2023年5月30日火曜日
Hi8テープで「半生のカンファレンス」を
2023年5月28日日曜日
ああ「煩悩」、SONYのソナホーク
当時は中学生でいたが、高嶺の花でいた。お年玉で買う、という「あるある」は都内在住の親戚、両祖父母と、しょっちゅうあっているが故に期待できなく、集まっても1万円ぐらいでいた。ちょくちょく貯めていたのだが、、時期を逸することが多く当時最新の機種、それもSONY製品となると5~6万はして中学生では手が出なかったもの。致し方なく、中野ブロードウェィにあった安売りの電化製品ショップにてaiwaのラジカセを買う、これがまた「あるある」でいて手が届かなく妥協する「aiwa」,友人に聞けばその決断に至った者も多い。コンポーネントシステムでは5枚CDが入る、CDチャージャー、しかもあれはスケルトンでいて、CD何枚格納されているかわかるものでいた。友人が持っていて中の歯車がカラフルで実に憧れたんのだが、オーディオ好きの父親に「あれはやめとけ、壊れるから」と一喝されたことがある。事実、それを使い続けている奴は、高校になった時の友人SATOHでいて、それでハイスタンダードの「夢のカルフォルニア」を聞かせてくれたが確かに読み取りが不調だった。
2023年5月25日木曜日
「通せば天国」・野坂昭如のEP盤
いつも歌手・野坂昭如は自分を楽しませてくれる。針を落としニンマリしていたのだが、痛む左腕などどこ吹く風、副反応のそれを吹き飛ばすだけの音源でいた。
2023年5月23日火曜日
人生はあっという間
人生はあっという間、、、諸行無常。この前18歳の体で、さてこれからどんな未来を、将来を歩もうかと胸躍らせる青年時代の夢を見た、そしてさめたら40代過ぎていることに気が付き、覚醒からの落胆、メランコリーに5分ほど布団の上でうなだれていたのだ(笑)考えてみれば人生80年としても半分は終了しているわけで、そう思うのも無理ないのだが、なんとなく限られた時間を無駄に過ごしてはいないかと、懐疑的になる。こんな話ばかりしているから、友人からは「暗い」という指摘を受けることがある。確かにあまり前向きでないのだが、どうも熱くなれない、何かに「はまる」ということも良し悪しでいて、「はまる」にしても経済力と体裁が立ちはだかるもの。無理して「はまる」事無くとも、この氷河期世代を乗り切った?半生を糧に、残りの人生を90sな羅針盤で行きたいと思う。
俄然体調が良いのは何故だろうか、言うまでもない酒をやめたこと。酒もやらない・たばこもやらない、それを個人的に「健さん化」と自分は呼んでいるが、健さんの真似をして朝はグラノーラに牛乳をかけたものなんかを食している。もう後半戦は体に悪いことはしてはいけないのだ、、昨今よくそう思う。この状況をいかに日々維持してゆくが、40代からの課題である。ことのほか同年代の男性たちの体形の崩れ、は20~30代の「なれはて」感あり。頭髪の有無は致し方なくも、肉体的には「もうそうしていてはいけない」という現れだろう。かるく飢餓状態であるほうが、感情的にもあまりならないし、経済的、衣服にも優しい。(が、メンタル的にはややネガティブ思考になる)これからは自身の意志優先より「体」優先で、事起こすときの尺にしようと考えている。
そんなことを一人ブツブツ言いながら、初夏の日和の青梅街道。仕事帰りに西荻モンガ堂へと立ち寄る。別に欲しいものなくも、ふらりと立ち寄り積まれた書籍や、古本の香りをかぐのが好きなのである。よくよく見ると新入荷や、配置がかわっていたりする。そんな折、前回は無かった「つげ義春 初期傑作短編集 第1~4巻」を見つける。雑誌時代、貸本漫画時代の短編集をまとめたもので、つげ義春らしい「ひねり」のきた、そして「サイコパス」な作品が多くもっと読みたいと思っていた折の出会いでいた。こうした出会いはチョイチョイあるので、普段は使わなくも、幾らか持ち合わせていなくてはならない。まさにつげ義春の「300円」保持の世界感である。買ってしまったならば300円は無くなってしまうも、「何かあったならいつでも使える」という安心感がお守りなのである。氷河期世代?の自分は同調できるが、やや物欲が多いのが難。
考えてみれば15.16歳からほとんどライフスタイルが変わっていない。古本屋は昔から常にそばにあったし、いまだ中古衣料品を着ているわけで、、しかし恥ずかしがることは無い、「身の丈に合った生活」というものが一番、快適に過ごせる訳なのだから。
2023年5月19日金曜日
はじまりは「ジーンズ・メイト」
2023年5月16日火曜日
「陶枕」を求めて、休日。
全てを終わらせて、クロスバイクにまたがるもポタリングへ。刺すような日差しが心地よい、もう途中でのコーヒー、アーモンドナッツの時期は終わり盛夏にはガリガリ君と麦茶の時期に向けて移行中。途中行きつけのリサイクルセンター、ここで前回気になっていた「陶枕」(とうちん)が気になっていて、再度訪問すると、、まだある!
2023年5月15日月曜日
小坂忠をききながら、古着屋「TO YOU」
雨の休みの日には所沢方面へと、車で行きたくなる衝動に駆られる。縁もゆかりもない土地、所沢でいるが、前職の先輩や仲間が所沢方面であったことから、飲みや散歩は必然とそちら方面へ行くことが多くなった。清瀬、秋津、所沢、、全くの未開の土地でいたが、いまではその方角や土地柄なんてものも、おぼろげにわかるというもの。
勝手な解釈であるが、所沢のあの横長な風景はしとしと降り続ける景色がよく映えるのだ。まだ畑や雑木林なんかから沸き立つ水蒸気がムワリと、信号待ちの時に包み込む。清瀬あたりの米軍住居に住んでいた、細野晴臣の曲、小坂忠の歌声があれば尚のことよろしい。小坂忠の楽曲「つるべ糸」、秋口にあの曲をかけると都心部より2,3度低い外気温、より抒情的に感じる。自分がわからなくなる衝動に駆られて、わからないから所沢な自分はやはり小坂忠の「ありがとう」がそのエリアで聞きたくなる。「♪ありがとう 君の気まぐれにありがとう~、、だんだん馬鹿になってゆくのです、、」と。
所沢へ来たならば、気休めに所沢クリーンセンターを覗く。ここは中古衣料を大量に扱っており、市営リサイクル施設だが、中古衣料品は1枚100円で販売しているのだ。時に某リサイクル衣料品店なんか今後行けなくなるような、お宝が眠っているときもある。中古の値段なんて「言い値」である事と、中古となれば「ただの服」であるという、当たり前のことに気が付かされる。特に死にかけたアパレル、死んだアパレル、時代の波に押しつぶれそうな「型落ち」ウエアーが好きな自分にとっては「墓泥棒」のような心境なのである。、、まったく何もない時もあるが、それも「釣り」みたいでよろしい。主にネクタイ、ジャケットをあさるのだ。
であるから、客層を見てもおばあさんから、高校生までと、気さくな店主とレジ横で語らう姿なんか懐かしく、親せきの家に上がり込んだみたいな心境を築く。この日はオーバーオールを探す、ヒッコリーが良かったのだがよいサイズがなく、がサイケな縦縞のパンツがあった、が29インチと劇細で入らず。結局、麻のパンツを1本購入(500円)これぞ、ザ・古着である。何回か足を運んでいるからか、店主も顔覚えてくれたようで「実は8月に店たたむんですよ、、8月までは買い入れしてますからよろしく~」と。そんなような会話をほかのお客と話をしていたので、まさかとは思っていたが古着屋「TO YOU」、直訳すると「あなたへ」、健さん最後の映画みたいで自分は悲しいぜ。
あと数か月、また雨の日にでも車を走らそう、所沢へ。
2023年5月14日日曜日
「厄」年なんて肩こりみたいなもの
、しかしながら中年のおじさんになったもんだ、気が付けば40と幾ばく中年期。厄年なんてものは信じなかったが、なにかしら起こっているは確かでいる。体調変化の節目、今まで出来たことが出来なくなる、気分的な落ち込み、、、とKAZUAKI先輩を思い出す。10年前に確かにKAZUAKI先輩は薄幸でいた、、笑顔に西日がよく映える方だったが、そういう事だったのかと、同い年ぐらいになってわかる。てっきり当時は逃げ腰なのかと、そうでなかったんだと。長渕剛でないが「KAZUAKI GOMEN」。
ようやく厄を抜けるようなので、安堵、ようやく。と言いたいところだが、確かにいろいろあった。同胞CHABESは厄払いに行ったと話していたが、そういう事も気持ち的にしておけばよかった。まるで深手のけがをして、ちゃんと治療せずそのまま放置して経過を追ってきた感がある。ジワリとその後遺症じみたものが、ドロリと心に流れ込む。
しかし厄年とはいえ、生い立ちや、育った境遇、過去の心的な受傷なんて「肩こりみたいなもの」と養老孟司氏は本で言っていたが、、なるほど。みな生い立ちは何かしらあるもので、朝はみなフエアにやってくるところから、そんなに考え込むことの程の事でもないのだ、厄とはいえ。
僕らの世代を世の中は「ポスト団塊ジュニア」というらしい。団塊世代の子供たちの、さらに次の子供たち、、読んで字のごとく「ポスト」であり、なんとも半端な、宙ぶらりんな響きだ。ビックリマンでいったら悪魔でも天使でもない「お守り」、車で行ったらマニュアルでもオートマでもない「コラムシフト」とみたいな。小学校時代はバブル全盛、中学でバブルがはじけ、高校で就職氷河期突入、フリーター、という縮図。まさにその通りで、あの過激な受験戦争(小学校時分)は団塊Jrの熾烈な競争の名残りだったんだなあ、、と。
この自分でさえ日能研なんかに通っていた、同級生が全国模試で1位になり皆の前で紹介、でかでかと塾の講師が固有名詞を書き、神格化していた。しばらく自分も通ってた(というか通わされてた?)そんな光景が狂って映ったもので、ビートルズの「ラバーソウル」ばかり聴いていた。ノイローゼを装い日能研をドロップアウトした自分、まさに行きあたりばったりな人生が始まった(いい意味で)。90年代後半の高校の進学室、普通科女子泣かせ、高卒女子の募集もほとんどなかったと聞く、男子ですら大手紳士服メーカー1社のみで、落胆した記憶がある。
結果、フリーターみたいなことを一時期していたが、世紀末もあり「これからどうなるんだろう」と切磋琢磨していた当時。あれから20数年、今がある。この長い旅路からして、考えるに行きついた先が現在、厄年も何もないものだ。団塊世代やシラケ世代はバブルを懐かしがる、自分から見れば「華麗なるギャッツビー」の世界観でいて、新宿の夜景や西ドイツの高級車、都庁の大理石、、大恐慌前のアメリカみたいな記憶がうっすら程度。あれは虚像だ、二度と来ぬ祭り、「祭りの後」が自分らの世界なのだ。
そう「厄年なんて、肩こりみたいなもの」そう呟きながら、腰をさすりため息をつく、ムクり起き上がる40,朝の目覚め。
2023年5月12日金曜日
散歩の日々vol.1「練馬駅」あたり
先日の雷、夜勤明けの虚脱から、ふと我に返る瞬間でいた。ああ、こうしていたいと思いつつも、それでは夜に突入してしまう。むくりと起き上がりウエアーに着換えて、家を出たのでいた。、どうやら雨もザザザと降ったようで、駆け足の泥水がふくらはぎを汚す。
いい感じで汗ばんできたんで川沿い、赤レンガ敷の歩道をUターンした瞬間にコケる。ズテンと右足大転子部を強打し、右腕上腕も打撲。、、しばらくそこにうずくまっていたのだった。これは加齢によるものなのか、ただ単に滑っただけなのか、、なんとも宙ぶらりんなのが40代の特徴であろう。
、とそんな宵を超えて、今日も散歩へと繰り出す。もちろんクロスバイクでのポタリング、カッと照り付けるんで、昨晩の湿り気が戻ってゆくのがわかる。練馬駅辺りに行ってみよう、、ポタリング開始。まだ若干うすら寒い陽気を、日中汗ばむのに期待してゆくのが、今時期のいい感じな期待。交通量の多い道、矢原の交差点ではそこが起点かの如く、多くの車が四方八方。ここは信号がなくクロスバイクを担いで、クモ体に這い上がるように歩道橋を渡る。
ガスタンク、、怪獣映画も見なくなったがこの自分の、宇宙刑事ギャバン世代でさえ「爆発するとやばい」といった警戒感を植え付けられているが、、近寄れば浅田美代子の「赤い風船」みたいにかわいらしい容姿でいて、、巨大なマリモといった具合。
小学校の時分はやたらに「マリモ」がもてはやされ、みなこぞって飼っていた。しかしあれは「飼う?」というのだろうか、所詮「藻」であり、どこで仕入れた情報かうち家族は「マリモはドライアイスの気化した、あのモコモコを充てるとよい」なんて根拠のないことを。
話はそれたが、練馬駅あたり。練馬区でもこのエリアが元祖「練馬」、新宿区の新宿、みたいな感じ。都心ぽい雰囲気より外れて、商店街エリアをポタる。商店には1件古着屋があり、古着でもかなり廉価なので、ガサガサ漁るのが練馬駅に来た際の楽しみ。おばちゃんと揉みくちゃになりながら、いろいろな物を手にし物色。昨今は男性はつけなくなった「ネクタイ」蒐集にはまっており、幾らでもあるネクタイの中から1本、レジメンタルストライプの物を購入(200円)あの雑踏の中から、このいいなと思う1本、を見つけるのが休日の醍醐味、自己満足の極致?であるが、こうした物に囲まれた生活というものも、「そこにいる幸せ」自分には魅惑なのでいる。
同じく商店街にある植木屋でコーヒーの木を買おうか否か、迷うおうと考えるもまだ開店準備中でいて、忙しそう、今回は寄らずに富士見台方向へ。富士見台の商店街を自転車で行く手塚治虫の写真を見たことがあるが、次回はこの町を徘徊してみようと思う。初夏の日差し、昼過ぎには吹き出す強風が、黒い雲を呼ぶ5月のこの時期。
小遣い貰いの辛いとこ!「MADISON BAG」
先日、雨あが行きつけの古道具屋にて「マディソンバッグ」と対面する。僕らの世代にはなじみが薄いだろう「マディソンバッグ」、、ご存じであろうか?、というのも90年代にはすでにデイパックにとって代わっていたが、スポーツバッグ・通勤バッグにはこの手のショルダー型のスポーツバックが主流でいた。
使用しているとフチのシルバーのモールの芯が破れ、何ともみじめな様相になるのだが、やはり使われていなかったのか、その様なことは無い。だから使わない、このマディソンバックにとってはただオーナーが変わっただけなのだ。現行品もAmazonなんかでみるとあるが、ACE社製でなく当時物とは全く違うものでチャチいというか、なぜか素材が現行となると時代遅れな間抜けな感あり。自分は20歳ごろの時、何個か愛用したがこのマディソンバックは「眺める」様として、カーテンレールにでもひっかけ楽しもうかと思う。
、、こうした出費の積み重ねが火の車に、、小遣い貰いの辛いとこ。
2023年5月8日月曜日
父ちゃん、虫けらってどんな虫?調布にて「無能の人」再縁
今年の冬に調布市役所で開催された「つげ義春と調布」展、偶然散歩で訪れた調布市の、商店の張り紙で知ることとなり、胸躍らせて自転車を滑らせたのでいた。
自分はこうした催しものに際しては極めて情報に疎く、その場で知るか、終わった後に知ることが多い。調布は以前働いていたことがあり、20代の青臭い記憶の中、ガス廻りの、換気扇のプロペラの如く、ベッタリとメランコリーな記憶が張り付いている。どことなく「風」が強い街でいる、開けた多摩川から流れ込む風か、遠く稲城の梨畑からの吹きおろしか。昼休憩には百店街を抜けて、旧甲州街道。京王線沿線は南蛮渡来の珈琲にご贔屓、古本屋を廻り30分ほど歩きまわるのが常でいた。そんな折、かの水木しげる氏が調布パルコ内を散歩されていたことがあり、握手をしていただいた記憶がある。水木しげる氏は西友のビニール袋を腕にかけ闊歩されており、のそりのそりと歩くその姿、第三期ゲゲゲの鬼太郎を見ていた自分にとって憧れの方でもいた。
「水木先生ですか?」「、、はい」「握手してもらえませんか、、」そういうと片手で持たれたビニール袋を瞬時に肘へ移動し、握手してくれたのだ。腰の低い老紳士でいて、いまでも調布の地に立つと思い出す、、、。ま、その繋がりではないけれど、水木しげる氏の著作にもたびたび登場する「つげ義春」が、その後マンガ家であることを知る運びとなり~、調布多摩川沿いが舞台となる「無能の人」、すっかり虜になってしまったのでいる。あの頃は、働いてはいたが何をしても上手くいかなかった、女性もできて一生懸命なんだが空回り、「こんなはずじゃない」と口癖のように呟いて自暴自棄になったり、酒に走ったりしていたが、、あれは「若さゆえ苦しみ 若さゆえ悩み、、」60年代のGSバンド「ザ・ジャガース/君に会いたい」でないが悶々の20代前半でいた。白髪交じりの中年社員の口角をあげた、狡い笑い。容量ばかりよくて次男坊気質の同僚、そして悶々の自分。まさに「無能の人」でいた。
この主人公、助川助三は無類の骨董好きであり、同じくして骨董好きな自分にとっても同調でき、骨董市なんかに顔を出すようになったのもこの頃からであった。「無能の人」で知った布田天神の骨董市や、アンチック多奈加、、後者は実在しており鉄バネの扇風機(ジャンク)を勧められたことがある。骨董は言い値、興味ある人からしてみればお宝だが、興味のない人から見れば全くのごみに等しいものだから「沼」である。
「つげ義春と調布」展では、おおよそ此処であろう舞台となった箇所が紹介されており、当時の時代背景は調布のいい意味での閑散さが、つげ義春の世界観とうまく溶け合っている。その風景は寂しくも、情欲めいた湿った男の息遣いが伝わるような「痴漢注意」の立て看板が映える景色そのもである、と自分は感じる。何度も読みたくなるのは、何ら変わらない日常と、何度でも足を運びたくなる、復唱であってほしいだろう現実が読み取れるからだ。なかでも好きなセリフ
「父ちゃん、、虫けらってどんな虫?」「はは、虫けらというのはね」「つまり世の中の何の役にも立たぬ、、」「ん?誰がそんな話をした」「母ちゃんがね、父ちゃんは虫けらだって」「・・・・」「うんそうだ、虫けらとは父ちゃんみたいなものだ」。
実にシュールな会話でいるが、、この会話が初めて読んだ20歳ごろより脳裏から抜けない。ブースを一回りして、帰る際につげ義春のキャラクターが書かれたTシャツ、なかなかの値段でいてほぼ完売でいた。「明日の朝、またサイズが入りますよ」と教えてくれたのだが、遠路道のり真冬の小径、また来る気力は無くに等しく、記念にクリアファイルを購入。ほぼ使わないクリアファイルを買うなんて、、源泉徴収票でもしまいましょうか、、。
そうした関連は、自分的に「ツキ」というか「縁」が一気に押し寄せることがあり、行きつけの古本屋がLP販売をも初めて(古本屋の多角営業化)、スコスコ見ていると竹中直人の「かわったかたちのいし」1984年を見つける。竹中直人といえば「無能の人」を撮ってたし~、この題名からして「無能の人・石を売る」をオマージュしているに違いない。盤に針を落とし聞いたのだが、、、竹中直人氏の加山雄三を思わせる「いや~~、まいったな」というフレーズが耳についてはなれないのだ。20年ぶりに突如として沸き上がった「つげブーム」は今も続いている、、、。
2023年5月7日日曜日
もって30年「自分の時間は自分で造る」
「ああ、ここでこうしているんだな」西荻モンガ堂
寂しくなると自分は西荻モンガ堂へ行く、、、。そんなつげ義春的な心情で自転車にまたがる休日の午後。時間は限られている、また昼のジョグでそこそこに疲れている、この虚脱が何とも癖になる(疲労困憊が自分にはよいバロメータ)なのである、ただし肉体的限定。
そこへ行くまでは坂が何度かある、またダラダラと長いので、そうすると昼間に走ったことを後悔する(足が重いのだ)「ああ、重い」そう顔をゆがめつつもたどり着く西荻モンガ堂。これで日付を確認せず休みだったりすると死にたくなるのだが、何度かそういう思いをすると簡単に人は死にたいとは言わなくなるもの。その曲がりくねった西日の当たる、段ボール群に囲まれた店舗を見ればホッとため息が漏れるというもの。
西荻モンガ堂、、その看板には名前から連想するに「モモンガ」をイメージするところなのだが、、「すずめ」である。すずめは「MONGA BOOK」と書かれた書籍を抱え踊りだしそうなイメージ。
まず、その段ボールの中身を拝見する。まるで書籍とは関係ないものもあり、以前は「オキナワウラジロガシ」なる南西諸島の巨大なドングリが売りに出ていた。とCD関係は90年代を過ごした自分には唯々懐かしいものばかり。以前来た時に数枚買ったが、「かつて聞いていた曲」ってのは今聞くと、「懐かしい」で終わるパターンなのであまり聞かないようにしている。人一通り見終えると、昔の学習塾のような店舗、引き戸の扉はアルミニウムサッシであろう、古書の香りに包まれる。騒々しい青梅街道の喧騒をシャットダウンさせるのは、このアルミサッシ製の引き戸でなく、古書の威圧感。店主の方はいつもPCに向かっておられるが、自分の親ぐらいの世代であろう。そう思うのはランダムにチョイスする選曲が、まるっきり自分のオヤジおふくろ枠でいて、「赤い鳥」「はしだのりひこと~」「チューリップ」、と1970年代前半の歌謡フオークであることが多い。そんな空間で気になる書籍を探す~というのは、人工構造であるけれど野外の昆虫採集とリンクするところがあり、胸がときめくのだ。
一時、西荻モンガ堂で数冊のつげ義春の漫画と書籍を買った、おかげでだいぶ手元に置くことができた。20代の頃に手にして、手放したもの。それをまた手にするというのは、なんだかとても贅沢な気分になるもので余裕余暇そのものでいる。そうしたものは、離れてもまた戻ってくるものなのではなかろうか。店主のランダム選曲が井上陽水になったならば沼、ここはかつて自分が育った「実家」なのかもしれない、、そう思いつつ強くなる西日。別に目ぼしい品を探しているのでなく、つげ義春風にいえば「ああ、ここでこうしているんだな」的な抒情に浸るのが常でいることが多い。気になるところ「べ平連~巨大な反戦の渦を!」これは1969年9月に刊行された、自分からみたら叔父世代(団塊世代)の書籍にて、フォーク好きならば必ず通る反戦歌。それをひも解くにべ平連(ベトナムに平和を!市民連合)を知れば、その真髄が見えるかもわからない!?例えば岡林信康や高石友也、中川五郎。けど、、そこまで熱くなれないんですね、自分。親父はシラケ世代と言われていて人達だし、自分の内面ばかり模索していたような感じで、自分もその節がある。加川良の「教訓1」の方が馴染みやすい。けど、60年代好きとしては押さえておきたく、購入。
20分ほど店にいたか、、休日の終盤は西荻モンガ堂にて西日を浴びるのが最高の休日である。
オリカエシイズム
何となく熱くなれない初夏。これは加齢に伴う新たな境地なのか、考えてみれば折り返し地点も過ぎたか。あの倍数でもってどれだけ惰性で歩いてきたか、いまだ振り返る所作が治らない。かつてボブディランのドキュメンタリー映画「Don.t Look Back」を親父はビデオテープにやいて、VHSデッキ周辺の、埃をかぶるその空間にそれを見つけた時、いつかは見ようと殴り書きのそれに胸躍らせた。「振り返るな」、中学生の脳裏に響くただただカッコいいフレーズ、自分の主張の如く無駄にそれを吠えていたが、、30過ぎ辺りから全く触れなくなった。真反対の半生がいま此処にある。ま、致し方ない、人生は夢だらけ、、そういうにはすでに遅すぎるかな2023年春。
世代を感じる、という局面にここ5,6年おかれている。いろんな局面、例えば12歳年が違えば「ついに来た」そう同じ干支の、俗にいう「一回り違う」とか、昭和二世、「○○世代」の子供「○○世代Jr」とか。まるっきり意識したことがなかったが、日々刻々と移ろいでいて、月日ばかり流れて、気持ちばかり取り残される心情は、まさに「諸行無常」そのものである。この公開ブログは、そんな整理券を手渡された、なんとも半端でまだ若いんだか、中年なんだかわからない自分みたいな人、に読んでいただけたらと思う。共感は求めない、そうもう答えは出ている、自分は初老の男、なのである。(ちなみに、Jhonesとは幼少期のヒーロー・インディアナ・ジョーンズからである)
2023年5月 諸行・M・Jhones
Jジャーエールのエールは、応援ではない。
と、またも見つかった 虫歯治療 をしに、かかりつけの歯科がある目白辺りまで、クロスバイクで向かうのでいた、、。 先日の受診に帰り際に、、レントゲン撮ったらその影が反対側にあるとの事で、、年内に、いまある虫歯を治そうという、という、そういうアプローチ。 いかんせ、ビール代用として...
