2023年12月30日土曜日

偏屈な凝り性が金欠を生む

を痛めたようだ、、というよりか「酷使」と言った方がいい。膝が痛いなんて、ああジジイ臭い意味合いのこもったフレーズだなと。ジョギングの距離がやや長すぎるようだ。毎日走っているわけでないのだが、「行ける、まだ行ける」が本当はイケていないのかもわからない。あとアシックスのジョギングシューズも3,4年履くと靴底はツルツル。買えよ、という話なんだが、どうもこれも「まだ行ける」という具合になるもので、先日は雨上がりに走り、案の定レンガの歩道でコケたのでいた。「無理が利く」40代とは、このことか。

いけそうでいけない、四十路の冬「ご老体」なんて死んでもいうものか!!

と、昨今はステッカー集めに集中している。ステッカー、自分の好きなフレーズや、好きなアパレル物のステッカーで自己顕示を発揮?する、というもの。ま、広告塔に頼まれてもいないのになる、といった具合でいて。


昔、原宿のラフォーレの裏にあった、VANSHOP原宿、では閉店まじかにVANのステッカーが1袋たしか7枚ほど入って、1000円で売られていた。1998年当時、確か3袋買った記憶があるが、、通常だと2000~3000円していて非常に高い。もともとはノベルティで商品を買うとくれていたものらしい。販売促進用、なんて位置づけだったようだが~、IVYの流行った第二期(1960年代後半)、乱立するブランドはこぞってステッカーを作ったようで、当時の生き証人・親父の大学ノートなんかにはベタベタとJUN、VANのステッカーが貼られていた。そうした時代にあこがれを抱いたものだから~、当然VANやJUNのステッカーには興味そそるもので、一時期収集していたが、あのステッカーたちは果たしてどこに行ってしまっか


のだろうか?(おそらく単車に貼ったり、車に貼ったり、あげたり~で安易に底をついたのであろう)

有名な「丸VAN」のステッカー、誰でも見たことがあると思うが、、国識別の「J」マークのVANのステッカーは車に貼ると滅茶苦茶にカッコいい!(と個人的な見解)。

当時はモータリゼーションの夜明けだし、60年代の車にあの「J」マークのVANステッカーを貼り、街乗りするのは永遠の憧れでいる(やはり個人的見解)。中でもベレット、コロナマーク2、ハコスカなんかに貼ったら映えるんだろうな~~、とそんな夢を大人げなくも未だに見る。、まそれは経済的に無理としても、、また地味にステッカー熱が再発しつつあるのだ。


、、テーマを決めよう、何となく「ダサい」、そして「当時臭い」、けど「アーリーアメリカン」、これがテーマ。自分は60年代後半のクリント・イーストウッドや、ポール・ニューマンが出てるような開拓時代の映画や、アメリカンニューシネマが好きなので、、そうした思いと日本ブランドの合致、からこのアルミステッカーをチョイス!なかなかにヘボいが渋い!

あとVANのアルミステッカーも手に入れたのだが、やはり世代の人には人気があり、なかなかに高い。「向かい獅子」と呼ばれるタイプのアルミステッカーは、小さい割になかなかに高かった。たかがステッカー、されどシールである、そしてこずかいは定額でいる(笑)

どうもこの収集と、偏屈な凝り性が金欠を生む。これはよくわかっているのだが、飲み歩く一晩限りの楽しさよりも、形となり残る事、後者を選ぶ自分かな。


そんなこんなで、今年もいろんなことがありました。皆さんお世話になりました、、私のくだらぬ「小話」お付き合い頂き感謝です、、来年もまたよろしくお願いいたします!





2023年12月28日木曜日

わが心に蘇る、知念里奈。

 日が暮れるのが早い、、。

朝暗いうちから出て、暗くなって帰ってくる。日が短いのだから仕方がないが、、若干伸びているのに(日が)気がつくと、うれしい。なんだ、季節の移ろいに気がついてるんじゃないか?オッサンなのか、ジジイなのかよくわからない中年の年の瀬でいる。

先日はNHKの、のど自慢に知念里奈が出ていた。

いや~、いい女性になったもので、高校時代と重ね?見入ってしまった。それも、よくよく聞けば歌がメチャクチャにうまいこと、うまいこと!自分とそう年は変わらないが、、当時、安室全盛でいた、が今聞けば引けを取らないだろう、ハイトーンボイス。「流行の25年理論」25年周期で繰り返す、その流れから丁度25年前の懐古録ばかりやっている昨今だが、、知念里奈は「懐古」とは思えない、のでいた。


はて、ではどんな歌を歌っていたか?といえば、当時は流行歌としてしか聞いておらず、フオーク狂いでいた自分、、歌を知らない。今年の夏旅行の時には「90sremix」なるCDで聴いた「あ、これは!!」(のど自慢で鐘がなるあの瞬間の感覚)で「Wing」でいた。

、、偶然にも「知念里奈」の楽曲でいてその時、妙な感動を覚えたのでいた。そうなれば聞きたくてじっとしていられない~早速、知念里奈のCDアルバムを視聴覚資料で漁り音源蒐集。あのNHKの、「のど自慢」でうたっていた、旋律の難解な曲は「Do Do For Me」という楽曲と知る(てか、世代でいるのにも関わらず知らなかった)。デビュー曲のようでいて、あの音階旋律は90sっぽいといえば、それっぽいのだが難しい曲ではないか。

当時、自分が聞いていた加藤和彦「僕のおもちゃ箱」、岡林信康「それで自由になったのかい」、遠藤賢司「満足できるかな」と、かなり世代的錯誤はあるが、流行歌=世相、タイミングを逃していたのは痛いとこだが、、。25年ぶりにして耳につく?楽曲に、25年を超えて出会えたことは良いことだと思う。

そんなこんなで寝る前には知念里奈ばかり聴いている、初老40代半ば。本当は何を聴きたいのか、、聴いたことのある曲でなく「聴いたことない曲」なのでいて、思い出なんて、今となればどうでもよいのだ。



2023年12月27日水曜日

アラジンがヘビー仕様、デロンギはソフト仕様

あっというまに年の瀬、この前には「冬越え」という細野晴臣の楽曲を聴いた。
なんだかいつもこの楽曲、小坂忠と細野晴臣の「ありがとう」を聴くか、、そういうものなのかもしれない。年を重ねるに年月早く過ぎ去る、とはこの事か。いつも同じことをしているような気分になる、毎年毎年。そう、泉谷しげるの「春夏秋冬」でないが、そういう物なのかもしれない、「春を眺める余裕もなく、夏を乗り切る力もなく、秋の枯葉に身を包み、冬に骨身をさらけだす」だ。
何とか目標であった「ヤマ」を超えたのだが、超えてしまうとその成り行きの惰性に身を任せてしまうというのは、どういう事であろうか。すんなり大波乗り越えてしまったからか、あとは漂流これが自分のよろしくないところでいる。が、そこの辺りは「厳冬」に身を置いて、自分を戒めよう。嫌な事でもしよう、あえて避けてきたことでもしよう、と。


先日はデロンギのオイルヒーターの中古品を廉価で手に入れた、3千円
このオイルヒーターなるものは、そのスタイルといい欧米風な雰囲気から、なんとなく好めず気にはなっていたが20年と少しスルーしていた。まずオイル、、これがわからない。要は、あの揚げ物した時の、鍋の飛び散る、油風呂状態からの保温なのか?(魁!男塾)で、蛇腹状になってるあの形状は、窓際の「すきま風」を利用する?様でいるようだ。すきま風を、あのオイルが通るであろう、蛇腹状形状をもって通過し、暖かい風に変える様でいる。(エンジンのクランクケース、のあの形状を逆手に取った物であろう)


温まり具合を検証してみると、、「ほんわか」暖かい。であるから、厳冬の中帰宅して、すぐにでも温まりたいときには不向きである、余熱がいる。そういう状況下であるならばアラジンのストーブに限る。
それ故にデロンギのオイルヒーターは「タイマー設定」の熱の入れようが半端なく、15分おきに設定できるアナログなタイマーが、自分の購入した機器にはついていた。15分おきである、これには驚いた。まずアナログ過ぎて、設定の仕方がわからない。分刻みであるが故の、「芸術」的なタイマーのダイヤル。いじるだけども楽しいけど、これを使いこなせたならば「かっこいい」気もしないでもない。なんでも「空気を汚さない」というのが一番の特性の様だが、、このあたりもアラジンがヘビー仕様ならば、デロンギはソフト仕様である。
もう中年だし、、脱衣所にでもタイマー設定でおいて、ヒートショックからわが身を守りますかな、、。ああ、今年もあとわずか。


2023年12月12日火曜日

時代的寿命・冬の日曜日

所要で清瀬市へと向かう日曜日。
何回となく所用で行きつけた清瀬であるが、もう10年は通い続けているだろうか。その閑散さに、祖父母のいた千葉郊外のそれに似た雰囲気を持って、祖父母が住んでいたベットタウンを思わせるかな、清瀬。今では通いなれたからか、親しみさえ感じ好きな街でいる。必ず、とは言いすぎだが小坂忠を車中で流す、秋津・所沢・清瀬の空気に小坂忠の楽曲「つるべ糸」が良く似合う。

所沢クリーンセンターへ立ち寄り、忘却のアパレルを探す。JUNの「TUBE LINE」いわゆるドカン、とかバギーと言われるパンツを見つける。70年代中期に流行ったパンツだが、サイズ69と小さすぎる。と、石津謙介のブランド「KEN,S EYE」これは90とデカすぎて、サスペンダーのボタンのついたラルフのパンツは、これまた90とデカすぎて、吊るすにしてもチャップリンのような風体になってしまう、、いずれも100円でいたが何も買わず後にする。

所要すまして向かったは清瀬市リサイクルセンター、ここマイ・穴場。
というのも家具中心だが~昭和レトロの家具満載、しかも安価。親しみやすいシルバー人材センターの人が、丁度昼どきの店屋物を食らっている中、プレハブの展示室を見渡す。う~~ん、この古い家財の香りは、まちがいなく昭和臭からなる祖父祖母宅の家の香である、これに線香が混じればなおリアル、、そんなことを呟きながらプレハブ小屋をグルリ。、、と、探していたいい感じのセイコーの掛け時計(¥2000)を見つける。70sの時計で当時流行ったビブロン仕様なる時計は、発掘して使用していても必ず壊れる。(時代的寿命と自分は呼ぶ)もう何台か見つけて使用しては、止まり処分しているが(大抵は修理すると、断られるか、そこそこの値段を取られる)、、今回のはビブロン仕様でなく比較的扱いやすい単一で動く「懐かしい」掛け時計でいる。横に切り替えスイッチがあり「ストライク」「サイレンス」、、とある。要は定刻に鳴るか、ならないかを選べるわけで、、、鳴らしたいけど鳴らさず使える、と購入。この手は大手アンチック家具とうたう店では、+2000円ぐらいの価格で売られていることがある、こうした古い物は「言い値」だな、といつも痛感する。区営市営のメリット、こうした出会いがまた行きたくなる衝動を駆り立てる、そしてこずかいのカウントダウンが始まるというもの。

帰宅後には西荻モンガ堂へと足を運ぶ、、昨今行けてなくてヤキモキしていたいたのだが。先日は別の古書店で「水木しげるの遠野物語」、手塚治虫の「一輝まんだら」を手にしたので、それに関連じみた漫画が欲しいところ、、。「遠野物語」の座敷童の物語絵本があったが、、。こ、これはと1996年あたりに出た雑誌「太陽」。「ベトナム戦記」から開高健に興味あり、その開高健特集の雑誌を購入したのでいた。人の「愛用品」を見るのは好きでいて、ロンジンの懐中時計やらショルダーバック、そしてアウトドアライフ・旅、と模倣したくなる内容にかじりついて読み更けていたのでいた、、、。ベトナム魚醤「ニョクナム」を知ったのも開高健の本からであり、いまでは毎日なんにでも「ニョクナム」を振りかける食中でいる。どうでもいいけど、、唇がガサガサだ(笑)

2023年12月9日土曜日

「ちくわぶ」の自販機

鍋物の時期、なのか?
それにしては暖かいからあんまり乗る気しないが、数回鍋をした。中年になったからかあっさりとした鍋ばかりチョイスしがちでいる。豚骨、味噌、キムチ、とくどいのは(という表現も中年の現れか)辞めて、あっさりした塩ちゃんこばかり。ちゃんこ、とは名ばかりでいるが、米屋時代に元力士が造ってくれた、それとはおよそに違うもの。

勤がてら立ち寄る、とある無人販売機。なんと「ちくわぶ」の無人販売機である。時に騒がれる「関東エリア」限定?食材である「ちくわぶ」。一族が関東である自分にとっては、普通の食材でいたが、つい最近までは関東以外ではほとんど知られていなかった、と聞く。この無人販売機は、ちくわぶ工場のはし切れ、を安価に売っているもので、4本入って100円と訳アリとはいえ激安(切れ目・端っこでいて何ら問題はない)。1本でもスーパーで買えば100円以上はする「ちくわぶ」、この小麦粉の不思議な「練り物」は関東育ちには欠かせない、味気なくも腹に「貯まる」食材でいるのだ。寒い日には無くなっていることも多々、知る人ぞ知る「ちくわぶ」無人販売機に、クロスバイクにまたがり出動回数、今後うなぎ登り。
ラスト3袋のうちに1袋、を手にして~帰路、またも行きつけの古書店。
古い物なら何でものなんでも屋、になりつつある古書店だが~、LP・CDコーナー。CDシングルに目を通していると、、懐かしい自分が中学生時代のシングル盤が多々出ている、いずれも100円

当時は流行歌とはいえ、シングル盤でも1000円前後でいた。のちに通常のCDサイズになったが、あの小さなCDが今となれば懐かしく、よくデッキに乗せる過程で落としたり、、また収納は中間でプラケースを折って畳み込める仕様にしたり(これは流行らなかった)色々でいた。高校時代になると邦楽J-POP好きのYは、バイト代すべてシングルCDにつぎ込んでいたようで、94~97年あたりにでたJ-POPのシングルCDはほぼそろっていた。
それが机の上に、幾重にも重ねられ(揃えるばかりで、そのコレクションを飾るということはしなかったY)時に重ねられたシングルCD、ビニールの小袋には入っているものだから、ちょっとした接触で滑りやすく、雪崩を起こしたもの。そのたびに不機嫌になりがちのYが、今では唯々懐かしい。音響は兄貴が揃えたというパイオニアのコンポでいて、よく自分にグローブ・trfを聞かせてくれたのだが、許可ない使用がYには御法度だったようで、それを知った兄貴に連れていかれたりと~、今となれば微笑ましいエピソード満載でいるが。
話しはそれたが、いまでは見かけなくなったシングルCD。ま、コツコツは集めているんだけれど、また数枚買ってしまう(こういう事をしているから、こずかいが無くなるのだ)


、、そんなこんなで、楽しんでいるのか、いないのか、40半ば冬の入口にて。




2023年12月7日木曜日

一年で一番日の短い日のポタリング

変な風邪が流行っている、、今年のこの風邪、あまり取りざたされないのは、もうコロナだインフルだと日常生活に振り回されるのはうんざり、あまり大騒ぎしないでおこう、、そんな流れがあるような気がする。自分も寝起き限定で、緑膿色の喀痰あり、これが極めて不快でいて鼻をかめばイッキに通りが良くなり、それが刺激でくしゃみを連発するのが落ちでいる。    
そんなこんなで先日は久しぶりに都心の方へとクロスバイクで向かう。なんか掘り出しがあるかもわからない、、リサイクルセンター廻り、そんな期待と、ギアの歯とびが半端ないので、買った店で調整してもらおうとクロスバイクに跨がったのでいた。
行きつけの練馬区の某リサイクルショップ、この店舗は練馬区内で展開している、NPO関連のリサイクルショップだが、持ち込みの不用品を廉価な値段をつけて寄付?としているのか。様様なものがあり、品物問わずバザー的で実に面白く、値段も破格。ここで見つけた昭和レトロや懐かしのアパレル、古着は数知れず。今回はNIKEのナイロンパーカーを600円で見つける、この手のNIKEのナイロン衣料は、90sに流行ったのもあり唯々懐かしい。他はオッサン臭いブランドばかり。店をあとにして、もう一軒、同系列のリサイクルショップへ向かう。こうした「うっすらとした期待」がこの冬の晴れた午前中にはピッタリなのだ、、と2件目は特に何もなく~飛んで中野区へとクロスバイクを漕ぎ行く。
しかしギアの「歯とび」がストレスで、ガチャガチャと定まらないシフトチェンジがイラつく。中野区営のリサイクルセンターを覗く、コロナ前には制限されていた、無料配布枚数の制限(大人もの、一人3点まで)がコロナ後には撤廃され~、「必要な分だけ」という無制限配布になってから品薄状態。自分は60~70年代のVAN.JUNなどの古いジャケットなんか時折漁りに行っていたんだが、いまでは何もないに等しい。無制限だから、必要ないものも余計に皆、貰って行くからか。昨今立ち寄らない事の方が多い、中野区リサイクルセンター。


途中小休止、あの野方配水塔を拝みたく~向かいのコンビニでコーヒーを飲む。何やら外装塗装をしたようでピカピカに、1930年代に作られた配水塔は、幼少期から和ませてくれる、あのスタイルはいわばマザーシップである。


グラマンの機銃掃射の跡が残されていたが~(米兵も何が何だかわからなかったのだろう)外装やり直して、遠くからは確認できなくなっていた。70年代には、ほぼ放置されており中に入れたと聞く、、が今では遺構として自分みたいなものを和ませてくれている、、、。
その脚で方南町を抜けて、渋谷区リサイクルセンターを訪ねるも、休館日。衣類の値段設定がやや高いのであまり期待していなかっただけに、残念の一言。
日が午後の日差しになる頃に、明大前あたりの行きつけの自転車屋に立ち寄り、「歯とび」を見てもらう。やたら部品交換を勧めるのは、毎回なのだが~何千円は出しかねる。それに夏にチェーン交換をしてから、歯とびがひどくなり、様子見ていたのだが~馴染むことなく、ひどくなるばかりでいて、その旨伝えると「自転車の寿命は10年」「パーツを変えても改善するとは言い切れない」と、なんとも不確かな回答で、、とりあえず調整と、乗り出して4年目のクロスバイクの、シフトのケーブルを新しい物と交換してもらう運びに。あまり立ち漕ぎは良くないようで~、またシフトチェンジをほとんどしないのも、ギアの歯を摩耗させる原因であると店員さん。


結局、工賃込みで1800円。帰路かなり快適になるも~30Km近く都内を廻ったので、途中公園で日向ぼっこしながら仮眠を取っっていると、公園管理者の方から「、、あのお休み中すいません、、自転車は自転車置き場においてもらえませんか、すいません」と。「あ、すいません」とむくりと起き上がり、我に返った冬の昼下がり。 一年で一番日の短い時期の、杉並区の公園にて。




Jジャーエールのエールは、応援ではない。

 と、またも見つかった 虫歯治療 をしに、かかりつけの歯科がある目白辺りまで、クロスバイクで向かうのでいた、、。 先日の受診に帰り際に、、レントゲン撮ったらその影が反対側にあるとの事で、、年内に、いまある虫歯を治そうという、という、そういうアプローチ。 いかんせ、ビール代用として...