今月はあっという間に過ぎ去った、個人的理由にて久々に時間に追われることが多かった。それだけ充実していたのだろうが、、40代は追われるようにして過ぎ去るとはこの事か。男盛りとはいつを言うのであろう、40代前半は20.30代の総括であるような気がする、40代後半は下方修正してまたナメクジ並みのスピードで上へ上へと行こうとする、そんな感じがする。「気がする、感じがする」、、そんないい加減差で粛々と年を重ねる。
こむら返りの後遺症か、左足ふくらはぎの具合がよろしくない。疲労なのか、運動不足なのか、よくわからず川沿いを10Km走った、果たしてこれでいいのであろうか。
聞けばアラフォーの男女問わず、就寝時の「こむら返り」を経験している。脱水、疲労、運動不足、大脳からの誤信号とか色々言われているらしいが、原因はよくわからないのだろう。要は「老い」であろう。10代に膝とアキレス健の成長痛は経験したが、それ以降の珍事?にまったく恐ろしい。無駄に水をがぶ飲みしたり、無駄にストレッチしたり、無駄に、、、、ジョギングも無駄?と明らかに体調面での「変化」が起きている事には変わりなし。、、そう、いままでそうであったように「受け入れよう」、、そうポールはビートルズ解散で悩んでいた折に、お袋さんに言われたとか、「なすがままに」と。
そんなんで冬晴れの西東京は、練馬区のO町のリサイクルショップを廻る。
NPO法人は経営するリサイクルショップは値段にばらつきあるも、大手リサイクルショップと違い線引きが無いから、自分の趣旨の沿った、あ!これは!!といったものと出会うことが出来る。ま、値段の付かないものなんだが、そうした時代に取り残された物(トマソン)との出会いがたまらずに好きである。
、、1件目は漁りつくして、まるでニシンの群れが来なくなってしまった感、2件目は衣料品中心でいるが、、ここが面白い。あらゆる年代の衣料品が眠る。襟のでかい70sのニュートラの頃に着られていたような品や、死んだアパレルが地層のように並べられている。それらをスコップとノミで削るように見てゆくのが面白い。いずれも時代遅れの実用性重視のもの、例えばジャージブームのあった70年代後半の、足にゴムの付いたアシックスのジャージだったり、、それらを浅はかな憶測、ビンテージ感?から600円などという値段をつけていたりする。(自分的には100円である)そうした駆け引きを、無言で楽しむのも楽しい。今回はエドウィンの尻のポケットを重ねたポーチ、を100円で購入する。エドウィン、、中学時代にはエドウィンのショップがあって、リバイス・リー・ラングラーでなく日本のブランド、エドウィン・ビックジョーン・ボブソンに流れる雰囲気があった(学生の経済的理由)。今となれば日の目を見なくなったの日本ブランド後者の、そうしたブランドの方が親しみを持ちやすく、思わず即身仏が着られていた袈裟、を加工しお守り袋とした~趣旨のエドウィンのポーチを買ってしまったのだ。このポーチは充電器ポーチとしよう。
、、まったく楽しいぜ。休日はこれに限る!と、西日を浴びつつ、、お家へと帰る。

















