2024年3月31日日曜日

なぜ人は髪を伸ばすのか?

暑い一日でいた、、、。
やるべきこと済ませて、テレビをつけると丁度のど自慢がやっていた。
昨今、自分らぐらいの世代がヤングの頃に、一世を風靡した流行歌手が初登場で良くでる。今日はLOVE2000hitomiが出ていた。LOVE2000って、当時世紀末のあの敗退的な流れの中で「行ってまえ~~」的な、ブラックホールに吸い込まれてゆくような楽曲(当時、自分は零落していたからそう解釈)の記憶があったが、、あれから20数年たって聞くと、希望の曲だったんだなあ、と。それにモデル上がりのhitomiの変わらぬ体型維持が素晴らしいと思う。ラーメンとか、ロースかつは注文しないんだろうな、そう塩辛いチャーハンを食いながらつぶやいた。それよか、重鎮・吉幾三のトークが切れきれでないが、外さない話のもって行き方が、毎回すごいと思う。これは自分も仕事柄活かせたらと考えているところ、、。「そこにいて面白い」「いるだけで笑いが出る」って人が居るけど、あれを得たいもの。何も話していないのに面白いって芸の極論だな、と思う。(志村けんなんか好例)のど自慢、時代劇、テキストがあるような番組、それらを好きになったのは年を重ねた証である。

今日は家から出ないと決めていたので、食材を買い込んで、そんな事ばかりしていた。、、と自分の長髪が気持ち悪いと、職場で言われ(しかも女子に)面と向かって言ってくれたからいい人の証拠、と自分は位置ずけている(笑)。いままで小ざっぱりと刈り上げていたことが多かったが、、長いには長い清潔感という物があるに違いない。(髷を結う、的な)がさすがに長くなると、直毛ゆえに目に入り、犬が目の周りに毛が生えすぎると眼脂が増える、みたいな感じになってくる。わかりにくい、要は煩わしいのだ。それを掻きあげるか、武田鉄矢のように耳にかけるか、、と言った具合。ま、切れよという話なんだが、一度伸ばすと決めたら修正はしない性質なんで、、もう少し伸ばしてみようと思う。

そんな中、みうらじゅんの本を読んでいて、彼の長髪は吉田拓郎からだという話があった。しかもイラストレーターだけあり、初期の拓郎の髪型から現在に至るまでの考察が鋭い

吉田拓郎のLP何枚かあるが、おっしゃる通りでいる。今は実に不思議な髪型だが、、一番インパクトの強いのは70年代後半あたりのカーリーヘアの頃か。薄くなってきたんだろうが、加藤和彦もそんな頭髪している頃があった記憶がある。自分の死んだ叔父も、自分が幼少期カーリーヘアでいた。巨漢でいたが、あの細かく巻いたロッド、2~3歳の頃の自分から見れば、まるでアンドレイ・ザ・ジャイアントを思わせる風体でいた。70年代の終わりは流行ったんだと思う、あのドラマ「探偵物語」でもよくアフロやカーリーヘアの人が登場する。(松田優作自身もそんな感じ)、ま、ゆくゆくは自分もそうするか否かは、置いとくとして(老いとく)として、周囲から「気持ち悪い」とささやかれている自分に乾杯!!

2024年3月30日土曜日

養老孟司氏とみうらじゅん氏

   、  連休と至る。

ようやくだがどことなく楽しめないのは春のせいか、病み上がりだからか。天気があまりよろしくなく、家にいても仕方ないので雨の日のドライブ、と決め込む。

吉田拓郎の「Y」という楽曲(本当にYという曲である「僕の趣味は雨の日のドライブと、ダイエーでのお買い物」のその節が脳裏に浮かんだからだ。「気取ってんじゃないよ」と武田鉄矢調に博多弁っぽく言ってみたりして、、。

そして車に乗り横殴りの雨、車体が揺れるほどの春の嵐を、所沢方面へと車を走らす。

ボブ・ディランのシングル集を流す。やはりディランへ最終的に辿るのは、もう30年も前の90sの前半、見よう見まねでかじり付いたディランを難解な歌詞を、理解してますよ的に大人ぶる、そんな初めて「頭髪にジェルを付けた時」のことが、新鮮でならないからだ。で、あるからもっともっと新しいことをしてゆかねばならない、そうしないと帳尻が合わないんだ。

、、と途中セブンでコーヒーのラージを買い(Lをください、と)それを下品にすすりながら所沢へと向かう。丁度、目的地である所沢クリーンセンターへ着くころにディランの「マリーへメッセージ」が流れる。高橋真梨子のいたペトロ&カプリシャスでない、あれは「マリーへの伝言」でいる。あの自分の好きな「レィ・レディ・レィ」のあのディランの声色で唄われている楽曲だ。最近知ったが映画「真夜中のカウボーイ」の挿入歌は、本来ディランの「レィ・レディ・レイ」のなる予定だったとか。諸事情で二ルソンの「噂の男」になったようだ、、、。

リピートして車から降りて、いつも閑散とした所沢クリーンセンターへ。長い階段を上り、古着の並べられた空間へ。大人服100円、子供服50円この空間ではなんでも買えてしまう、歪んだ感覚にとらわれる。そのほとんどが女性ものでいるが2割ほどは男性物がある。スコスコと見てゆくが、今回はやたら西武ライオンズ系の物品しかなく、しかも一部雨漏りしていて床にピチャピチャと漏れ出し、滴り落ちた水分が小池となす。こうした巨大なリサイクル施設も維持管理というのは大変なのであろう、おそらく造りからして80年代後半、バブル期辺りにできた構造物なのではなかろうか。30数年たつと人間と同じくガタくるよね、、、。やたらに近未来的な装いと匂いの「所沢クリーンセンター」。

結局何も買わず、小金井街道を上る。

途中、前から気になっていたリサイクルショップへ立ち寄る。ご当地リサイクルという物もあるが、これといって気に入ったものはない。が、150円で有田焼の南蛮貿易をモチーフにした皿を見つける。自分は南蛮貿易の、ポルトガル人やオランダ人商人をモチーフにしたそうした絵柄の食器にクラリとくる。以前、調布のコーヒーショップで見つけたカップ&ソーサ―、あれもそうした出島に出入りしていただろう人たちの絵柄でいて、いつか余裕があったら買おうと考えているが、いまだに手中に納められていない(2003年頃の話)、、ま値段が5000円近くするからなんだが(笑)、150円ならば買いだ。

結局のところ、春の嵐、車で向かうもその有田焼の南蛮貿易モチーフの皿、一つだけでいた。、、

もう少し何か漁りたく、すっかり晴れた空の下、クロスバイクで練馬区のS堂へ。ここでみうらじゅん、の「正しい保健体育」を見つける。


みうらじゅん、って90年代の後「ASAYAN」にコラムを載せていて初めて知ったが、、「マイ・ブーム」という言葉の火付け役でもある。

自分の世界、自分だけが解りうる、ドはまりする感性を教えてくれたのが氏である。知らず知らずと、そのような感性を氏から学んでいたんじゃないかな、と昨今思う。その「正しい保健体育」、で高齢化社会に触れる写真があるが、、「ちゃんと自分塾(経験)で学んでいないと(考えていないと)、人生大変ですよ、つまらないですよ」と。

これは養老孟司氏のメッセージに通じるようなものがある(二方とも仏教に造詣が深いし)笑いを取るような文体でいたが、面白かった。一気に読んだ「正しい保健体育」、午前と午後では偉く陽気が異なる時間でいたが、、なかなか楽しい連休の初日。


2024年3月26日火曜日

奥州平泉の世界観

久しぶりの休みもこう雨続きでいると、気分的に滅入る。
昨日は水木しげるの漫画「異界探訪記」を読んでふて寝していたが、、二日もこうしているわけにはいかず(横になりすぎて腰が痛い)、まだ朝のうちには雨が本降りでないので、思い切って気になっていた東京国立博物館の特別展(中尊寺金色堂)を観に行くこととする。西東京から上野までは実に遠い、交通機関を使うにしろ、基本クロスバイク移動が主たる活動範囲となる自分。先月の青山行脚でないが、これから雨が降るし、レインスーツ着ての上野復路はさすがに気乗りせず、、電車で赴くと至る。
自分はパスモを持ち合わせていない、バス・電車が嫌いだからだ。であるから、毎回高校生の時と同じように、都度切符を買っての乗り継ぎとなるのだ。こうして偏屈な中年と至るには目に見えており、そうならないように柔軟な姿勢を、、とはいっても偏屈になるのは必須。 

と、久しぶりの上野公園口、、かなり雨が降っている。「足が濡れるのが嫌い」な自分、、わざわざトレッキングブーツに、ミレーの山用のパンツを履いてきたが、日本観光中の外国の方々は目をキラキラさせて皆笑顔。俺もそうありたいなあ、なんて国立博物館を目指す。9時30分開館でいるが、すでに雨の中、みな傘をさして並んでいる。邦人は2,3名でいてほとんど海外からの観光客。

会話すらしないが、この一期一会的な関係を、1970年の万博でないが「世界の国からコンニチワ」未だに慣れることがない海外の方、との交わりをかみしめる。海外の人は目が合うとニコリと笑う、これは実に感じがよい。こちらはまるで幕末で止まってるかの如くポーカーフェイスでいて、自分はそうしてこのまま死んでゆくと思うと物悲しさがある。鼻筋の通った人たちの、様様な言語を聴きつつ、「中尊寺金色堂」展へほぼ一番乗り。
奥州平泉」といったら、源義経を匿った事ぐらいしか知らなかった(手塚治虫、の「火の鳥」で出てきた)、平安末期には東北地方で一世風靡した豪族だが、、源頼朝に滅ぼされてしまう。しかしながら、独自の地方集権は鎌倉幕府のお手本となったとも聞く。その財をこれでもかと、当主3代をまつる金色堂、そして極楽浄土を彷彿させる仏像たち、、あの奥州からこうして上野までやってきたかと思うと感動。意外に小さく感じたが~これら集結して一つのコンポ―ネーションを醸し出す。  
そんな知識は無いけれど、奥州へ行きたくなるもので、、「一度も行ったことがない場所」へ、ディスカバージャパンである。(どうしてもキャッチ―が団塊世代向けだろうことに反応してしまうのは、アタシの癖である)
と、常設展示で、本物の遮光式土偶(重要文化財)と対面。片足がないあの、青森県出土のもの。自分が西荻窪で購入したレプリカと比べてみるが、、国立博物館の者は頭の装飾から、中が空洞でいる。(自分のは表と裏をつなぎ合わせた感じで空洞でいる)、これは焼いたときに割れないようにするためとの事だが、、それにしても呪い用としては手が込んでる。


須恵器、埴輪、なぜか笑っているようなものもあり、思わず自分の笑ってしまうが、、あの遮光式土偶は買ってよかったなあ~~~。、、広い国立博物館の中、、慣れぬトレッキングブーツに足を取られ、、雨の中を帰路につく。無所に奥州平泉に行きたくなったかな、40半ばの春先。

2024年3月24日日曜日

大阪万博の「戦争を知らない子供たち」

幾分か快方の兆し、、。

薬ってのはすごいと思う。呑めば一発で調子よくなるから不思議、、あのままただ横になって、月日が過ぎるのを待っての快方待ちでいたら、どれだけ時間が必要となる事やら。ただ風邪の敗残兵が喀痰となって飛び出るが、あの虚脱絶望に比べれば、大したことはない。

、、よせばいいのに、今日はだらけて居ればいいのに、、体を起こし古本屋へと向かう。たいしたレアな音源なくも、あのオール100円のEPをスコスコと見たい衝動に駆られていたのだ。先日はそうした夢さえ見るに至る。狭い通路を陣取り、スコスコと見てゆく。地味に前回あったものが無くなっていたり、追加されたりしている。以前、この店で小坂忠のEP「ありがとう」を発掘したけど、、あのてのEPってのはそう簡単には出ないもので、、今回も数枚チョイス。

「全日本アマチュアフォークシンガース」「司会 北山修」の「戦争を知らない子供たち」、この音源は北山修のLPに良く入ってるけど、あの大阪万博の会場で唄われた実況版。「、、それじゃいこう!」と北山修の緊張の度合いが伝わってくるバージョンでいる。自分の作詞した歌を大衆の、世紀のイベントで披露するって、どんな心情何だろうか。「戦後派のニューリーダー・北山修」そんなLPの売り言葉が脳裏をよぎる。そんな珍しいEPじゃないけど、1970年の大阪万博の雰囲気おさえる上でも、押さえていたい。「戦争を知らない子供たち」。うちの父親はこの楽曲を聴くと「♪僕らの名前を憶えてほしい」~の、この「僕ら」という集団に反応していた。「これが嫌なんだよ、、、」と。要するに集団での世代の共感を嫌悪していた。この後にはシラケ世代なんてのが現れるが、世の中の大きな仕組みを変えよう、変えられないんだよ、と言った具合をよく察していたんだと思う。けど、自分の叔父も死んだ叔母もブーマーなんで、自分は嫌いじゃないです、この唄。(職場でも仕事で良く歌うんです)。

他にサベージ(寺尾聡の在籍したGSグループ)とド定番の「ブルーシャトウ」を購入、計300円。ブルーシャトウのジャケで井上忠雄が着ているコーデュロィのダブルのジャケットは渋い。

高校の時から、ブルコメはやや年上のジャズ上がりGSの洗練さ~を感じて居たが、、「フルート」が異質に感じて、そして泣かせる「ザ・メランコリー」がブルコメだ!それらを手にして、厚いセーターを脱ぎ捨てる、、やはりこの厚手のセーターすら重く感じるのには、あまり本調子でない証か。帰宅後は昨今買い集めたEPなんかを床に並べて、眺めていたのだ。、、しかし眺めることが増えたものだ(笑)


2024年3月23日土曜日

ジャニスの「サマータイム」

体調を崩し一日寝ていたが、,
一向に良くなる兆しなし。朝なんかものすごくだるくて、数か月間荒野を彷徨っていて行き倒れの如く、なかなか起き上がろうとする気持ちにならず。これはまずいぞ、と病院へ行くことの。「鉄の体」も人生後半戦には、違う所作待遇を持って使って行かねばならぬと悟る、所詮肉体は「消耗品」である。もう40年以上使っているんだから、、配慮考慮してあげねばいけませんって事か。
それにしてもひどく風が強くて、、心折れるここ数日。雨戸がガタガタとうるさくて寝ていられない。だるい体を押して、、東京のはずれのかかりつけ病院まで車を走らせる。埼玉県との県境を行き来して辿るのは、まさにミッド・ウエスト・TOKYO、この風で町全体が埃っぽい。歩道のくぼみには、巻き上げられた土埃が堆積して、それがまたサラサラで、またどこかへ飛んでゆけるだろう機会を待つようだ、、。そんな砂っぽさが、咳に拍車をかける。「グォホ、、グォホ、、」まったく何たる体たらくだ。先にも書いたが「人生後半戦のこの身体との付き合い方」も含め、、これからの消耗品としての肉体との付き合い方を考えてゆく必要がある。

休日診療の院内、なかなかに混んでいたが~時期的に花粉症の方も多い。診察料がやや割高なのはアレルギー検査によるものなのか。数千円払って行く人が多く見受けられる。自分の問診で、諸症状を伝えて、実に2018年ぶりの再診であることが判明する。、あれから一度も病院へは行っていないという事、確か前回は鼻汁がひどく放置していたら、顔面が痛くなり~調べてもらったら副鼻腔炎(蓄のう症)になりかかった経緯あり。「ああ~~、あれ以来ですか」と記憶のインデックスカードを引き抜いたのだ。ドクターの診断は、醤油ラーメンのように実にスッキリしたもので明瞭。
薬を処方され、、ひんやりと薄曇り。なぜあんなに北風が吹きすさんでいたかの理由、がわかるというもの、、大気不安定、ぽつりぽつりと車のウインドウに雨が滴りだす帰りの道中、、。すっかり曇った東京の外れを、カーステレオから選んだのは「ジャニス・ジョプリン」の「サマータイム」でいた。「♪サマ~~~、、、」と続くハスキーな声に、中二の頃に親父が録画していた映画「ローズ」を思い出す、あの映画のモデルは「ジャニス・ジョプリン」と聞く。なぜそれとはおよそ正反対なうちのオヤジがその「ローズ」という映画を録画していたのか、、。ボブ・ディランのドキュメンタリー映画「ドント・ルック・バック」をVHSに焼いていたのか、、、。なんのことはない、カウンティ・カルチャーの申し子そのものだからでいる、それだけの理由である。なんとなく1960年代後半中毒なのは、そうした影響が濃厚、フラワーチルドレンの息子は、プチ・フラワーチルドレンなのかもしれない。自然回帰ってフレーズにもなぜか惹かれる、、絶対できっこない都会様式の生活嗜好なのに。
、、、とりあえずまた横になるとしましょう、、。ダウナー。



2024年3月19日火曜日

文無しに至る~遮光式土偶とカザールと~

貧すれば鈍する、、、。

手持ちが少なくなりつつあると、実に寂しい気持ちになる。春先なのに枯れすすきの様な心情で街をほっつき歩く(歩かなければいいのかもわからないが)、と立ち寄った、前回紹介した西荻の作業所、、しげしげと前回見つけた遮光式土偶を眺めている。と、「あ~~、それ可愛いですよね」「それ手作り?値段のつけようがないのよ」「あなたならこの値段設定で買う?」居合わせた女性曰く「、、買わないわ」と。

1500円でいたが、土偶のくせに割高だな、3桁なら買ってもいいかな、、?

そんな心情になる。「、、んじゃあ、いつも来てくださるから800円でどうですか!?埴輪」(土偶である)高さ14センチある、不思議な偶像である。調べるに、これらは手足欠損した状況下で見つかることが多く、呪いで使われていたよう。


縄文晩期というから、比較的後年(と言っても紀元前2000~1000年前とか)でいて、この「遮光式土偶」は東北地方で多く出土する傾向にあるとか。前話でも書いたが、13年前の2月に信州茅野の遺跡群でみた、レプリカの複製、あれは欲しかったが買えず、、こうして13年の月日を経ち現れた土偶に、投資してみたい気持ちになる。(よせばいいのに、、何を根拠に)まてよ、けど、800円使ってしまったら残りは1000円だ。ええい、とここで寅次郎張りに財布を叩いてしまうからいけない「ありがとうございます」と遮光式土偶を購入


新聞紙に包んでくれて、なぜかポールスミスの小袋にそれをいれ、丁寧に渡してもらった。購入、とはここで終了であとはぼんやりとしたものになる(LP蒐集とかもそうだが)、さらに残金少なくなり、、さらに寂しい気持ち(すでに心に風穴があいている状況)で街を行くと、、よせばいいのに、いつも立ち寄るガレージセール。

覗かねばいいのに、物をスコスコと見ていると、、「こ、これは!!」と「カザール」のシェードを見つけてしまう。しかも1000円なんて、すべての持ち金で購入できしてしまう、可能性。

「カザール」のフレームはかつて10年ほど前に西荻窪の古道具屋で見つけて、1ケ購入したが、、次に訪れた際にはほぼ在庫なくなってしまっていた。そのフレームもまだ持っているが、造りが繊細ゆえにゆがみボロボロでいる。

昨年の夏には、1500円で見つけたウェイフェラーもレンズを割ってしまい、、どうしてシェードというもは壊れるのであろうか?。ちゃんとケースに入れない、無駄に付け外しするのが多い事、外人ほど必要しない事だと思う。スタンス的に陽水やタモリ、みうらじゅん、みたいに常にかけて居たいところだが、そんなことできる、渡り歩いて行ける才能もなく、一匹のアリとしてその強大な組織の中のアリの巣で働く以上は、そうはできない事である。でも1000円、ええい!購入だぜ、最後悪あき、カザールを購入。カザールの新旧対決、独りよがり、ひとり上手。


一文無しになってしまった。残りの日々は書斎で物に囲輪まれ過ごしましょう。





ダウナー下での映画「タクシー・ドライバー」鑑賞

完全に罹患

朝は気だるく、何かに体を占領されたようだ。私の免疫は敗残・壇ノ浦、しばらくは占領下にあるのでじっとオトナシクシテいようかと。横になっているが、伸びた前髪が寝返りの如く、顔面に降り注ぐので、それをかき上がる所作が実にだるい。直毛ゆえにさらさらとまとまりのない髪質、ロン毛宣言からはや幾年、、。途中経過の至り、目標はCSN&Yの「ニール・ヤング」でいる、なんて。食欲はある、普通に朝食を喰らい、昼食も普通に喰らうんだが、、う~んダルイダウナーだぜ。

、とよせばいいのに、映画「タクシードライバー」を観る。あのロバート・デ・ニーロ主演の狂った映画。高校の時にはそう意味深く干渉せず「かっこいい」なんて単純もいいところでいたが、あれはベトナム戦争のフラッシュバック・映画「ランボー」と、アメリカン・ニューシネマ、ダスティン・ホフマン主演の映画「卒業」との混沌、不思議な結末。まるで季節外れの梅の花。
それらを二で割った内容であることに気がつく。二面性、と不思議なハッピーエンドが納得できない。なんとなく見た後に、胸にしこりが残る。

ロバート・デ・ニーロは車から降りると、まずジャケットの肩を揺さぶり整え、2つボタンの一番上のボタンを留めて、出向かう。これはデニーロの所作、というかほかの映画でも良くやる仕草である。この映画で、カッコいいのは「海兵隊」にいたという、デニーロがかける「パイロット・グラス」であろう。あの「ルビーの指輪」の寺尾聡がかけている、真っ黒のグラス、の、つるが一直線に伸びた、ゴールドフレームのものだ。あの軍隊のグラスこそ、当時の風情を物語る一品である。

、、あまりにラストの撃ち合いが血みどろすぎて、、嫌気がさしてしまう。まだ「俺たちに明日はない」のボニー&クライドのハチの巣にされるシーン、の方が一線を越えての、致し方なさがあり観れるというもの、、。


昼飯には袋めんを食べた、、なんて味気ないんだろう(笑)致し方なく大事にとっていた小川軒のレーズンウィッチを食らう、、これは実にうまい。食欲はあるから困るものだが、、水木しげるの言葉が脳裏をよぎる「、、砂でも食べて胃を悪くしようか、、、」。完食し横になるも、普段こんな寝ないから寝れない。ここは耐え時の様だ、、、。寄せては返すさざ波の如く、何度も読んだ「こち亀」を途中で投げ捨てて、白昼夢。疎遠になった友人が出てきたが、笑顔で何か言ってる、何を言ってるかまるでわからないぜ!さて出勤です。

2024年3月16日土曜日

感冒と自家中毒と遮光式土偶と。

どうやら感冒に罹患したようだ、、。

周りに体長不調者続出もあるが~ちょっと疲れていたところに、ヌルリと入り込まれるもの。「おまえ、隙だらけや」映画「パッチギ」に出てた、空手部主将のケンドーコバヤシ風に自分に問いかけるや否や、咳き込む始末。ここ2,3年感冒なんかひいてこなかったから、はたしてどこで貰って来たか?

幼少期に体調不良になれば、軍医上がりの外科の老医者は「自家中毒」と診断した。「自分自身で病気になる」「栄養取れば治る」そう二言呟いておわりでいたが、元軍医からしてみれば「大したことは無い」という事。医者には掛かっていないけど、今回の感冒は「自家中毒」であろう。

そんなこんなで夜勤前に西荻窪を彷徨う。

小春日和だが、、どことなく気だるい。春特有のけだるさは「緩み」、「暖かさ」、「解放」この三つが重なり奏でられると気だるくなるのだ。、、いや俺は風邪をひいているのだ。出勤前は張り詰めた厳冬の方が気合が入るというもの。途中、いつも立ち寄る西荻窪の作業所を覗く。冬物セールをしているが、、もう目ぼしい物は無く物品を漁っていると、、

!!これは遮光式土偶ではないか?もちろんレプリカだが、、いまから13年前の2月、友人チャベスの惜別旅行で信州を訪れた際、、遺跡群そばに隣接する茅野市の博物館で、W月先輩が衝動買い?したあれである。果たして遮光式土偶であったかまでは記憶に無いが、、この周辺の遺跡からは多くの土偶が出土したようで~、、本物の展示には興奮すら覚えた。

偶像崇拝、でないけど個人的にNHKの教育テレビ「お~い、はに丸君」世代なので、必然と興奮を覚えるのだ。まさか、W月先輩が購入するとは思わず(値段も5000円前後していた記憶)、チャベスと遅れて出てきて「、、この人おかしいよ、、」とチャベス。「土偶かった」と笑顔のW月先輩なのでいた。自分も目を付けていたのだが、当時生活の柄からものすごく金欠で、ガチャガチャで我慢、ものすごく羨ましかったのだ。「、、、MADKもいつか買える時が来る、、俺も前は買えなかった、、でも今こうして買えるんだから、、」そう一言呟いて車に乗り込むW月先輩。、、そのセリフと現在がリンクし、、「ああ、あれから13年経つんだな」と実感、光陰矢の如し。

、、で、迷った挙句、今回は見送るという結果に(笑)

やや高い、相場。自分は3桁基準なのでもう少し考慮する必要があるのだ。いかんせ金欠もある。これは胸の奥にしまっておくとしよう。


、、と、もう一軒立ち寄った店では、指輪のサイズを測る「全国標準指輪番型」なるものを50円で見つける、、これは面白い。最初はキーチェーンかと思ったが、、そうでなくピンキーサイズから親指まで直径を測れるそれでいる。これは必要か!?実際自分の指輪のサイズはわからないもの、右利き左利きも左右太さは非対称であるし、、小指の指輪が欲しいが~実際は自身のサイズがわからない事も多い。50円ならと冷やかしで購入。いい買い物をした、ような気がする。

、、さてその後も、脳裏をちらつく「土偶」であるが、W月さんは自身の書斎本棚に飾っていたらしいが、その後の震災で棚から落ちて、土偶は割れてしまったとか。それをアロンアルファでくっつけて修復したら~「よりリアルになった~~!」と満面の笑顔で話していたっけ。W月さんはどこまでも「前向き」な人?でいる。そんな感冒の中の武蔵野行脚。







2024年3月14日木曜日

春先の漁り、金欠の女神はほほ笑む。

春嵐、、という言葉が似つかわしい昨今。、、関越道にもそんなパーキングがあるが、あれは「らんざん」、、、。
横風に打たれながら、久しぶりでもないけどリサイクル廻りをすることに。本当はレコード屋・古本屋巡りをしたいんだが、違うことに投資してしまい小遣いまでは辛抱の日々を決行、であるから冬物セールの漁りへと赴く、、。
財布の中身は2枚しかないのだ。この懐の「寂しさ」が何とも言えず、けどこういう時にチャンスはめぐるという(何のチャンスか?)不思議な物のめぐりあわせ

一軒目は練馬区のT。ここは大手のリサイクルショップでない、民間のショップだが、、文房具や民芸品が何でも買える値段であるからうれしい。特に何もないな、、と店を出るときに振り返ると「トーテムポール」を見つける。

あのインディアンの遺構というかモニュメントというか、、。どうした訳か80sはトーテムポールが小学校で流行った(それは舶来コンプレックスか、わが校がユネスコ指定校というよくわからない指定からか)卒業生は「トーテムポール」を作成して、およそ似つかわしくないS区・戸山が原にそれを残していったのだ。かつて東村山あたりにあった「ユネスコ村」もそうだが、、1970年の大阪万博以来の「名残り」的なものがあったもの、鎖国・帝国がいかに長かったかのその反動?無性に懐かしい「トーテムポール」だが、400円が「春の応援セール」(これは金欠の自分も対象になるのであろうか?)全品半額、200円で購入できた。なにやら北米インディアンの土産物らしく「CANADA」と粗く掘られいる、いわばアイヌの「クマの置物」の感。


今時「トーテムポール」を拝むことが出来るのは、東京ディズニーランドの「ジャングルクルーズ」のあのインディアンの集落ぐらいであろう。ニール・ヤングも来日公演するらしいし、この「トーテムポール」を置いて、「バッファロー・スプリングス・フィールド」でも聞くとするかな、、、。
と、同系列の衣料部門のリサイクルも覗く。いかんせ半額ならば衣料品も、。!やはり半額だ!これはチャンス!と前から気にかかっていたB社ハウンズ・ツゥースのジャケット、、邦名(千鳥格子)のウールのジャケットだ。


やや年配者が着るイメージだが、自分も中年だから同類項。昨今ハウンズ・ツゥースのジャケットを着る人を見ない。その名の如く(猟犬の歯)の柄なのだが、、エゲレスの伝統的な生地の柄~実は高校の時にフリマ-で500円で素敵なロン毛カップルから買った思い出がある。今思えばあれは夏物のハウンズ・ツゥースのジャケットでいたが、、値切っていたら「君、なかなかやるね」と苦笑いされた思い出がある。(1995年あたり)、、と「冬物は半額ですからね」とおばさん、、「これね、、これ微妙なのよ、、裏地がないし、、でもウールよね、、」どうしよう?おばさんたちが相談、「700円と350円じゃ違うもんね、がはははは」「いいよ350円で」と。
金欠時に、こうした出会いに乾杯。要は値段という物は「いい値」であること。で、大手の中古衣料品では数千円するものが、こうして硬貨数枚で手に入れることが出来ること。「生活の柄」とは言いつつも、こうしたところに至福の、よく解らないけど女神は、ほほ笑むのでいる。
帰宅後にマイルス・デイヴィスの「ウォ―キン」を聴く。ああ、、いい休日だったなあ。高倉健主演の映画「居酒屋兆次」も、三菱パジェロで釣りの後、そんな事を言っていたっけな。休みなんて一瞬だぜ。




2024年3月12日火曜日

Mr.BoJangles

寒暖差が激しい昨今だが、体調の方はすこぶる良好。
3月に雪は、どうした訳か込み上げてくるものがある。昨年は雪という雪は降らなかったが、、今年は何度か出勤を危惧する・憂慮するような事があった、今思えば冬らしくてよろしい、なんて。

どうした訳か、そんな気持ちの時には中学時代に接点のあった仲間を思い出す、、同い年の彼らはいまも健在で過ごしているのか、男女も40も過ぎれば白髪頭になるもので、誤魔化し誤魔化し生活しているのであろうか、あの時のときめく様な澄んだブルーな将来を、今かなえているだろうか。全く持って余計な詮索なんだが、同窓会に全くでない自分でもそう思うことがある。出ないから、そう思うのかもわからない。そうしてジジイになって死んでゆきたいと思う。
六角精児の「呑み鉄本線・日本旅」に流れる楽曲が非常に良くて、、それに特化した六角精児チョイスの特集番組を夜勤明けに見る。「明け」に見たのがいけない、どうした訳か「ミスター・ボージャングル」という「ニッティー・グリッティ・ダート・バンド」という70sのカントリーロックバンドの曲、よく六角氏の鉄道での旅中にも流れるんだが、、目頭が熱くなる。

収監されている身の上、このミスター・ボージャングルなる曲芸師が、人生の不幸を顧みず陽気に踊るという内容の唄に熱いものを感じたのだ。この楽曲はボブ・ディランも歌っていたような、、。時期も1970年頃と重なる。実はこの「ニッティ・グリッティー・ダートバンド」は父親が好きで、この曲の収録されたCDを1997年の秋に聴いていたので、どうしても「振り返り」調になるのが悔しいところだが、、こうして40代になって改めて訳詞と楽曲を合わせてくると、、うん、泣けてくる。間の悪い男の、要領を得ない男の、そして生きるのが下手な男の鎮魂歌に聞こえる。「俺は酒を飲みすぎるからね」そんな一節も。


 そんなこんなで、ボブ・ディランのシングル集を聴いていたら、久々に自分的に当たりの曲、「マリーへのメッセージ」、、。これは久々に心響く楽曲でいた。7オクターブ出ると言われるボブ・ディランの、あのしゃがれ声でない、楽曲「レイ・レディ・レイ」のあの澄んだカントリー調の楽曲と同じ声色でいる。やはり収監されている男が、娑婆で生きる女性を思う唄で、、、どうも自分は収監されている、というスタンスに弱い様だ(笑)今日は仕事中、ずっとこの「マリーへのメッセージ」が脳裏を流れて、たまらなかったなあ、、。と、ドリカムの「マウンテン・マウンテン」とか、断続的に西日の如く脳裏に差し込む「♪大きなヤマ見下ろすあの町いるあなたに会いたくて~~~」、誰かに会いたいなんて、まず言われない自分だが、そう言われたいのかもわからんな。春先のたわごと。

2024年3月9日土曜日

鳥山明氏によせる

夜が明けて強風、空抜けるようだ朝の9時台。


このところ夜勤続きもあり、曜日の感覚が奪われる、はて?今日は何曜日なのか、、と鳥山明氏がなくなった、と昨日よりニュース速報。
アラレちゃんのEPレコードを数か月前に買って、手元に持っておきたいと思ったのはなぜか。母親がボタンケースを、なぜかアラレちゃんの「んちゃ!」のポーズの飴でも入っていただろう、ブリキ缶に納めていたのは時代か、、。「あさりちゃん」、あれは全く別物であることに、いまマジマジと気がつく。



80年代は鳥山明氏の世界が濃厚だった、アラレちゃん、ドラゴンボール、ドラクエ、、とあの逆三角形の面持ちをみると鳥山明デザインとすぐにピンとくる。
実はドラゴンボールをまじめに読んだのは24.25歳辺りでいて、こち亀派の自分にとっては何となく造られた世界感があったが、、面白かった。「ジョジョ~」は、さらにその先で馴染めなかった記憶がある。いかんせ「ドラクエ3」はまともに世代でいたが、、新宿のヨドバシカメラ本店に徹夜で並ぶ同級生(親同伴で)とかいたし、17時の区のチャイムが鳴るまで、ブラウン管・ナショナルかソニー・トリニトロンの前でかじりついて、その「往路復路」をメタルスライム出現にかじりついてみていた記憶がある。
あぐら」はしびれる、であるから足を延ばした瞬間に、親機に接触、画面が固まるといういわば「バグる」という現象に、周囲は落胆。あれはUSAのノリだ(笑)今思えば「おい~~チャンク~~!?」みたいな80sがリアルタイムで公団住宅で行われていたのだ。
、が先に述べたように17時には区のサイレンじみた「帰りなさい」メロディがながれ、母親に叱責されるのを恐れ、ものすごい勢いで仲間たちは退散する、、。
ふと振り返ると、その公団住居の友人はシングル家庭でいて、、なぜ、俺たちはその辺りを気遣わなかったなんだろう、通過途中、の台所にはラップにかけられた夕飯が。彼は振り向きもしない、そのまま黙々と一人「ドラクエ3」をやり続ける、、。
その話を大人になった今、出来るならば話してみたい。俺は知ってたよ、と。どうも鳥山明氏の話が出ると、その光景が脳裏をよぎる。
叔母の影響濃厚で、手塚治虫、水木しげる・つげ義春と、方面は違うも、鳥山明氏のその時代をリアルタイムで生きていたのは良かったと思う。
そんな訃報を昨晩から聞いて、やたらに北風の強い武蔵野路を行くのだが、、反対側から吹きよせるもので、全く進まないのだ。普段より時間をかけて帰宅、けど、、空がつんざく様に爽やかなのは、この強風のせいか、明けの解放感か。


時代を担った人を失うと、何とも言えぬ80s過ごした自分には「取り残された」感がある、そう受け取るのは、自分がしっかりしていないからであろう。「もう十分に充電したろう」そう面識なくも、「次はお前の番だぞ」と勝手に自身を煽り立てたりする。自己解釈とはまるで身勝手極まりない、自意識過剰でいるが、、そんな気持ちで春を迎えようと思う。、、「ああ、春だな」、そう呟いて寝落ち。


2024年3月7日木曜日

精神的には飛躍傾向・肉体的には過酷傾向

左ふくらはぎのこむら返りから数か月、、

まだ違和感あり。あの瞬間にちゃんと元に戻していれば、こうはならなかったのであろうか?と言っても夜勤明けの就寝中、激痛で飛び起きるも眠気には勝てないというオチで、、そのまま眠りこけたのでいた。であるから最初の処置がいけなかったのか、生まれて初めての「こむら返り」、これも老化現象の一つ、現実を受け入れがたく、この寒空をコンスタンスに走っているのだ。、、、それが尚いけなかったりして(笑)。

、と所用で府中へと向かう。昔、小学生の頃は調布と府中の、位置も発音も似ていて違いがよくわからなかった。「水木しげるが調布、中央フリーウェイのビール工場が府中」、そう中学のあたりに覚えたのでいた。一路、東八街道をくだれば景色が開けてくる、あの野川公園には一時的に南方の蝶「アオタテハモドキ」が一時発生したと聞くが、そんなの微塵ともさせない、重い寒空の元、1700Kmはなれた琉球を思う。

これは完全に寒の戻り、、というか2月は暖かすぎたのだ。途中ファミマに車を止めて、Lサイズのブレンドを買うが「濃いめ」ボタンしかなく、その後90分胃もたれがひどい。こうしたふとした「不快」イコール「老い」につながるので、「俺はネガティブ」そうボソリと呟いたのだった。

用事を済ませ、また真逆コースにて帰路に就く、、W先輩やT先輩はこうした、「もと来た道」を再度戻るのは嫌う傾向在り、自分も脇道を逸れて探検したいんだが、、どうのこの寒く重い空が、自分をそうさせない。直線の方が明らかに燃費からして、いいに決まっているし、、要は「ケチ」なのでいる。


帰宅したのちに、野川公園で一時発生した「アオタテハモドキ」からか、昆虫標本の整理をする。沖縄時代のもの、福島は会津で採集したチョウ類なんか、標本箱の中を整理。あの標本箱はドイツ箱と呼ばれる、大変気密性の高い箱でいて標本が、ヒメマルカツオブシムシやそうした地衣類につく害虫から、侵入を防いでくれるである。であるから、四隅を均等に押さえて開けないと、うまく開かないのだ。また、この箱は気密性高いゆえに、湿気の多い時に開けては御法度である。カビの原因となるのだ、であるから防虫剤を入れる際には、梅雨時・夏場を避けたいもの。春前と晩秋に入れ替えている自分でいる。地味な作業を黙々と1時間ほどしていたか、、。けど標本は良いもの、採集した当時の情景や、この個体が飛んでいた事を思い出す。、、まただ!「思い出」ばかりじゃないか、バカヤロー!!こうした「思ひで」に浸るのが、人生の中盤から後半にかけての生理現象なのか、、、。

急いで片づけて、昼寝へとこぎつける。半ば強制的昼寝、、こうでもしないと活動し続けるので、精神的には飛躍傾向、肉体的には過酷傾向、と務まらないのだ。頭の下で腕組をしていたら、ほら見ろ疲れてるんじゃない、すぐにうつらうつらし寝入る。が、浅い眠りからか、妙な夢を見る。中学時代仲良くしていたTが出てきた、、あの夕刻の音楽室で奥田民生の「息子」を、Tはピアノを、アタシは覚えたてのギターを、ボブ・ディランの「風に吹かれて」調、ベースランニング奏法で弾く。大変へたくそな演奏でいたが「♪半人前がいっちょ前に~」と始まるそれに、横顔西日が差し込む、あの音楽室。互いに40半ばになった訳だが、互いの現状なんかを長々と電話で話しているというもの、、、。ふと目が覚め「、、まただ!!」過去が自分を呼ぶんだな、、、。40歳半ばってそんな時期なのか!?


そんな寒の戻りの、寒く低い空、「老い」を受け入れがたく、、左足ふくらはぎの違和感を気にしつつ川沿いを走り~くたびれ果てる休日。でも、これで良いんだと思う。   


2024年3月4日月曜日

我がYumingの伝説

個人的な課題が終了、する。、、ようやく春だ。

思えば長い道、ほぼ八か月かかり終了と至る。、、ああ、うれしいが本題はこれからである。久しぶりに脳を使ったものだから、軽くめまいがすることもあったが~、まだまだ自分の脳は使えるなとニンマリ。学生時代からほぼ本能的にしか使ってこなかったが眠っている部位も揺り起こせば、作動するもの。ただし、以前よりも暖気を要するかな40代の半ば頃、、、。


ユーミンの番組を観る、ユーミンと言えば80年代に耳にタコができるほど聞かされたかな、車のカセットテープ、ライドオン・HONDAアコード清里行き。「Yuming」50周年になるのか、、母親が荒井由実フアンで、ユーミンが西海岸のいで立ちで、ローラースケートで滑る表紙のカセットテープを持っていた。当時はやたらに清里が流行っていて、レンタカーで行くのだが、中央自動車道に乗るに合わせて、「中央フリーウェイ」を必ず流す。ビール工場だか、競馬場だとか~ほんと通過するタイミングを知っているかの如く準備していた。半面、父親は洋楽好きでいたのであまり母チョイスには乗り気じゃなく、やたらにキャスターをバカバカ吸うもので、、昔は副流煙もあったものでない、目がしばしばするし気持ち悪い、それに加えて100Km超えると速度超過の警告音がキンコンキンコンなり続けるもので、まるで前衛ジャズの世界感である。清里に着くころには、気持ち悪いを通り越し、何かに流行り病に罹患したかの如くぐったりでいた。

さて、そのユーミンのカセットテープに「編曲・キャラメルママ」とあった、はてこれはどういう事か、と当時10歳の自分は考えたもので、、のちにフアンになる細野晴臣が在籍したバンドと知るのは20歳も過ぎてから、、、。どうりで耳に残るもの、洗練された感じがする。いまでも全然通用するのはこのあたり、時代臭さがあまり感じられない。以前W先輩と電車に乗っていた際には「○○、ここの駅のメロディ聴いてみて」と耳を澄ますと「雨のステイション」が流れて、思わず清里を思い出す、というフラッシュバックが起こる。その楽曲とその聴いていた背景が合致する瞬間、1990年辺りがむらりと蘇る。

個人的に荒井由実の唄で好きなのは「紙ヒコーキ」、「チャイニーズスープ」「翳りゆく部屋」、リアルタイムでは「真夏の夜の夢」か。「紙ヒコーキ」は「ひこうき雲」よりすきな楽曲。中学時代もそんな影響からかユーミンをよく聞いていたのだが、どうしたわけか中島みゆきに鞍替えしてしまった自分。ラジオ「お時間拝借」を聴いてからだと記憶するが、あの女子の重い感じをケロリと、恨み節調に歌う中島みゆきは、吉田拓郎から三上寛を聴いた衝撃に近い。であるから、時期に差があるも、自分の中では「真夏の夜の夢」と「浅い眠り」は対極なのだ。

さて、そんなユーミンを聴きながら、当時流行りの清里をめぐり、、コテージに泊まった80年代後半~90年代初頭。90年代の後半には夏2回、アルバイトもしたものだが~いまは元の山梨県の景色に戻ったと聞く。「高原」、、とは「高天が原」と解釈している自分。久々に清里にでも行こうかな、、避暑とは程遠い今では暑いであろう、今年の夏に期待。


2024年3月2日土曜日

成田三樹夫に魅せられて

このところ風が強くて参る

このまえ70代と思われる女性が「あたし、雨の日の方が好き、風邪強い日は転びそうになるのよ」なんて、そんな話をしていたが、転びはしないが移動手段が人力でいる自分にとってはかなりの弊害になる。「あ、、風が強いな、、今日は辞めよう」とこうくるわけで、休日の強風は勘弁である。

前話でも、先輩から借りている、1979年放映の松田優作主演の「探偵物語」をコンスタントに視聴している話を書いたが、、先日は自分の地元と思われる風景がでて、思わず「あ、あそこだ!」と中年のおっさん一人で叫んだりしていた。それも共感したく幼馴染に伝えたのだが、忙しい様だ、、。

そりゃそうだ、働き盛りだもの。検証とか確認しているなら、休みたいよな、、、。考えてみれば、自分は比較的に自分の時間を持てているんだなあ、とそう気がつく。みな同世代は忙しいのだ。その「探偵物語」の中で出てくる「服部警部」こと成田三樹夫が、実に渋い。当時は40代後半ぐらいなので、、現代と比べるとそうは見えない渋さがある。一度、職場の同僚に「成田三樹夫」を見せたら「久米宏?」とそう言った、、。まるで違うんだが、髪型が頭皮に張り付くようなオニ剃りでいて、独特な頭髪。「仁義なき戦い」にでてくるインテリヤクザがマッチな役どころ、、これがまたカックイイ~~んだ。いつも思うのはYで自分が働いていた際にいたN澤さん、はこの「成田三樹夫」をオマージュしていたのかと思う、世代的に当時19.20歳だったろうし~「お!!○○ちゃ~~ん、元気してるか~~!?」このフレーズなんてクリソツ。


30代の前半に通っていた高円寺の床屋「B」は、成田三樹夫のフィギアを店内に飾っていた。のちに知るに、この「成田三樹夫」フィギアは2002年に発売された物らしく、もう22年も前の物だが、リアルタイムで見ていた人たち向けに発売された物であろう「25年周期説」にピタリ。やたらインパクト強くて、いまだに脳裏に焼き付いている、、あれ、今になれば欲しい。もともとこの高円寺の「B」のオーナーさん、任侠映画フアンでいたのか、「兵隊ヤクザ」とか「勝新太郎」のそうした当時のポスターを額装して飾られていた。ああいう60年代全盛だったヤクザ映画をひも解くに、当時の時代背景と重ね、なぜ東大の学園祭のポスター、ヤクザ風の者が、背中に東大の校章である銀杏をあしらった紋々であるのかがわかる。「とめてくれるなおっかさん」、、どこかで聴いたフレーズである。

、、話は大分それたがそれたが、風も止んだようだしで、10℃届かない、いつもの川沿いのコースを走る。けどランナーにとって「風」以外は酷でない、走っているから「汗ばむ」事には変わりないのだ、2Kmも走れば汗ばんでくる、、。「楽は苦の種・苦は楽の種」そう呟いて、追加でもう一周入れて12Km走る。膝がガクガクだぜ、、、あまり調子に乗って走り廻っていると後日、膝にクるので、、、。なんとか完走、、。川沿いの桜のつぼみはまだまだ小粒、ああ波平に乗りかかっていますな。そんな休日。



Jジャーエールのエールは、応援ではない。

 と、またも見つかった 虫歯治療 をしに、かかりつけの歯科がある目白辺りまで、クロスバイクで向かうのでいた、、。 先日の受診に帰り際に、、レントゲン撮ったらその影が反対側にあるとの事で、、年内に、いまある虫歯を治そうという、という、そういうアプローチ。 いかんせ、ビール代用として...