2024年3月31日日曜日
なぜ人は髪を伸ばすのか?
2024年3月30日土曜日
養老孟司氏とみうらじゅん氏
、 連休と至る。
ようやくだがどことなく楽しめないのは春のせいか、病み上がりだからか。天気があまりよろしくなく、家にいても仕方ないので雨の日のドライブ、と決め込む。吉田拓郎の「Y」という楽曲(本当にYという曲である「僕の趣味は雨の日のドライブと、ダイエーでのお買い物」のその節が脳裏に浮かんだからだ。「気取ってんじゃないよ」と武田鉄矢調に博多弁っぽく言ってみたりして、、。
そして車に乗り横殴りの雨、車体が揺れるほどの春の嵐を、所沢方面へと車を走らす。
ボブ・ディランのシングル集を流す。やはりディランへ最終的に辿るのは、もう30年も前の90sの前半、見よう見まねでかじり付いたディランを難解な歌詞を、理解してますよ的に大人ぶる、そんな初めて「頭髪にジェルを付けた時」のことが、新鮮でならないからだ。で、あるからもっともっと新しいことをしてゆかねばならない、そうしないと帳尻が合わないんだ。
、、と途中セブンでコーヒーのラージを買い(Lをください、と)それを下品にすすりながら所沢へと向かう。丁度、目的地である所沢クリーンセンターへ着くころにディランの「マリーへメッセージ」が流れる。高橋真梨子のいたペトロ&カプリシャスでない、あれは「マリーへの伝言」でいる。あの自分の好きな「レィ・レディ・レィ」のあのディランの声色で唄われている楽曲だ。最近知ったが映画「真夜中のカウボーイ」の挿入歌は、本来ディランの「レィ・レディ・レイ」のなる予定だったとか。諸事情で二ルソンの「噂の男」になったようだ、、、。
リピートして車から降りて、いつも閑散とした所沢クリーンセンターへ。長い階段を上り、古着の並べられた空間へ。大人服100円、子供服50円、この空間ではなんでも買えてしまう、歪んだ感覚にとらわれる。そのほとんどが女性ものでいるが2割ほどは男性物がある。スコスコと見てゆくが、今回はやたら西武ライオンズ系の物品しかなく、しかも一部雨漏りしていて床にピチャピチャと漏れ出し、滴り落ちた水分が小池となす。こうした巨大なリサイクル施設も維持管理というのは大変なのであろう、おそらく造りからして80年代後半、バブル期辺りにできた構造物なのではなかろうか。30数年たつと人間と同じくガタくるよね、、、。やたらに近未来的な装いと匂いの「所沢クリーンセンター」。
結局何も買わず、小金井街道を上る。
途中、前から気になっていたリサイクルショップへ立ち寄る。ご当地リサイクルという物もあるが、これといって気に入ったものはない。が、150円で有田焼の南蛮貿易をモチーフにした皿を見つける。自分は南蛮貿易の、ポルトガル人やオランダ人商人をモチーフにしたそうした絵柄の食器にクラリとくる。以前、調布のコーヒーショップで見つけたカップ&ソーサ―、あれもそうした出島に出入りしていただろう人たちの絵柄でいて、いつか余裕があったら買おうと考えているが、いまだに手中に納められていない(2003年頃の話)、、ま値段が5000円近くするからなんだが(笑)、150円ならば買いだ。結局のところ、春の嵐、車で向かうもその有田焼の南蛮貿易モチーフの皿、一つだけでいた。、、
もう少し何か漁りたく、すっかり晴れた空の下、クロスバイクで練馬区のS堂へ。ここでみうらじゅん、の「正しい保健体育」を見つける。
みうらじゅん、って90年代の後「ASAYAN」にコラムを載せていて初めて知ったが、、「マイ・ブーム」という言葉の火付け役でもある。
自分の世界、自分だけが解りうる、ドはまりする感性を教えてくれたのが氏である。知らず知らずと、そのような感性を氏から学んでいたんじゃないかな、と昨今思う。その「正しい保健体育」、で高齢化社会に触れる写真があるが、、「ちゃんと自分塾(経験)で学んでいないと(考えていないと)、人生大変ですよ、つまらないですよ」と。
これは養老孟司氏のメッセージに通じるようなものがある(二方とも仏教に造詣が深いし)笑いを取るような文体でいたが、面白かった。一気に読んだ「正しい保健体育」、午前と午後では偉く陽気が異なる時間でいたが、、なかなか楽しい連休の初日。
2024年3月26日火曜日
奥州平泉の世界観
2024年3月24日日曜日
大阪万博の「戦争を知らない子供たち」
幾分か快方の兆し、、。
薬ってのはすごいと思う。呑めば一発で調子よくなるから不思議、、あのままただ横になって、月日が過ぎるのを待っての快方待ちでいたら、どれだけ時間が必要となる事やら。ただ風邪の敗残兵が喀痰となって飛び出るが、あの虚脱絶望に比べれば、大したことはない。
、、よせばいいのに、今日はだらけて居ればいいのに、、体を起こし古本屋へと向かう。たいしたレアな音源なくも、あのオール100円のEPをスコスコと見たい衝動に駆られていたのだ。先日はそうした夢さえ見るに至る。狭い通路を陣取り、スコスコと見てゆく。地味に前回あったものが無くなっていたり、追加されたりしている。以前、この店で小坂忠のEP「ありがとう」を発掘したけど、、あのてのEPってのはそう簡単には出ないもので、、今回も数枚チョイス。
「全日本アマチュアフォークシンガース」「司会 北山修」の「戦争を知らない子供たち」、この音源は北山修のLPに良く入ってるけど、あの大阪万博の会場で唄われた実況版。「、、それじゃいこう!」と北山修の緊張の度合いが伝わってくるバージョンでいる。自分の作詞した歌を大衆の、世紀のイベントで披露するって、どんな心情何だろうか。「戦後派のニューリーダー・北山修」そんなLPの売り言葉が脳裏をよぎる。そんな珍しいEPじゃないけど、1970年の大阪万博の雰囲気おさえる上でも、押さえていたい。「戦争を知らない子供たち」。うちの父親はこの楽曲を聴くと「♪僕らの名前を憶えてほしい」~の、この「僕ら」という集団に反応していた。「これが嫌なんだよ、、、」と。要するに集団での世代の共感を嫌悪していた。この後にはシラケ世代なんてのが現れるが、世の中の大きな仕組みを変えよう、変えられないんだよ、と言った具合をよく察していたんだと思う。けど、自分の叔父も死んだ叔母もブーマーなんで、自分は嫌いじゃないです、この唄。(職場でも仕事で良く歌うんです)。
他にサベージ(寺尾聡の在籍したGSグループ)とド定番の「ブルーシャトウ」を購入、計300円。ブルーシャトウのジャケで井上忠雄が着ているコーデュロィのダブルのジャケットは渋い。
高校の時から、ブルコメはやや年上のジャズ上がりGSの洗練さ~を感じて居たが、、「フルート」が異質に感じて、そして泣かせる「ザ・メランコリー」がブルコメだ!それらを手にして、厚いセーターを脱ぎ捨てる、、やはりこの厚手のセーターすら重く感じるのには、あまり本調子でない証か。帰宅後は昨今買い集めたEPなんかを床に並べて、眺めていたのだ。、、しかし眺めることが増えたものだ(笑)
2024年3月23日土曜日
ジャニスの「サマータイム」
2024年3月19日火曜日
文無しに至る~遮光式土偶とカザールと~
貧すれば鈍する、、、。
手持ちが少なくなりつつあると、実に寂しい気持ちになる。春先なのに枯れすすきの様な心情で街をほっつき歩く(歩かなければいいのかもわからないが)、と立ち寄った、前回紹介した西荻の作業所、、しげしげと前回見つけた遮光式土偶を眺めている。と、「あ~~、それ可愛いですよね」「それ手作り?値段のつけようがないのよ」「あなたならこの値段設定で買う?」居合わせた女性曰く「、、買わないわ」と。
1500円でいたが、土偶のくせに割高だな、3桁なら買ってもいいかな、、?
そんな心情になる。「、、んじゃあ、いつも来てくださるから800円でどうですか!?埴輪」(土偶である)高さ14センチある、不思議な偶像である。調べるに、これらは手足欠損した状況下で見つかることが多く、呪いで使われていたよう。
縄文晩期というから、比較的後年(と言っても紀元前2000~1000年前とか)でいて、この「遮光式土偶」は東北地方で多く出土する傾向にあるとか。前話でも書いたが、13年前の2月に信州茅野の遺跡群でみた、レプリカの複製、あれは欲しかったが買えず、、こうして13年の月日を経ち現れた土偶に、投資してみたい気持ちになる。(よせばいいのに、、何を根拠に)まてよ、けど、800円使ってしまったら残りは1000円だ。ええい、とここで寅次郎張りに財布を叩いてしまうからいけない「ありがとうございます」と遮光式土偶を購入。
新聞紙に包んでくれて、なぜかポールスミスの小袋にそれをいれ、丁寧に渡してもらった。購入、とはここで終了であとはぼんやりとしたものになる(LP蒐集とかもそうだが)、さらに残金少なくなり、、さらに寂しい気持ち(すでに心に風穴があいている状況)で街を行くと、、よせばいいのに、いつも立ち寄るガレージセール。
覗かねばいいのに、物をスコスコと見ていると、、「こ、これは!!」と「カザール」のシェードを見つけてしまう。しかも1000円なんて、すべての持ち金で購入できしてしまう、可能性。
「カザール」のフレームはかつて10年ほど前に西荻窪の古道具屋で見つけて、1ケ購入したが、、次に訪れた際にはほぼ在庫なくなってしまっていた。そのフレームもまだ持っているが、造りが繊細ゆえにゆがみボロボロでいる。
昨年の夏には、1500円で見つけたウェイフェラーもレンズを割ってしまい、、どうしてシェードというもは壊れるのであろうか?。ちゃんとケースに入れない、無駄に付け外しするのが多い事、外人ほど必要しない事だと思う。スタンス的に陽水やタモリ、みうらじゅん、みたいに常にかけて居たいところだが、そんなことできる、渡り歩いて行ける才能もなく、一匹のアリとしてその強大な組織の中のアリの巣で働く以上は、そうはできない事である。でも1000円、ええい!購入だぜ、最後悪あき、カザールを購入。カザールの新旧対決、独りよがり、ひとり上手。
一文無しになってしまった。残りの日々は書斎で物に囲輪まれ過ごしましょう。
ダウナー下での映画「タクシー・ドライバー」鑑賞
完全に罹患。
朝は気だるく、何かに体を占領されたようだ。私の免疫は敗残・壇ノ浦、しばらくは占領下にあるのでじっとオトナシクシテいようかと。横になっているが、伸びた前髪が寝返りの如く、顔面に降り注ぐので、それをかき上がる所作が実にだるい。直毛ゆえにさらさらとまとまりのない髪質、ロン毛宣言からはや幾年、、。途中経過の至り、目標はCSN&Yの「ニール・ヤング」でいる、なんて。食欲はある、普通に朝食を喰らい、昼食も普通に喰らうんだが、、う~んダルイダウナーだぜ。
、とよせばいいのに、映画「タクシードライバー」を観る。あのロバート・デ・ニーロ主演の狂った映画。高校の時にはそう意味深く干渉せず「かっこいい」なんて単純もいいところでいたが、あれはベトナム戦争のフラッシュバック・映画「ランボー」と、アメリカン・ニューシネマ、ダスティン・ホフマン主演の映画「卒業」との混沌、不思議な結末。まるで季節外れの梅の花。
それらを二で割った内容であることに気がつく。二面性、と不思議なハッピーエンドが納得できない。なんとなく見た後に、胸にしこりが残る。
ロバート・デ・ニーロは車から降りると、まずジャケットの肩を揺さぶり整え、2つボタンの一番上のボタンを留めて、出向かう。これはデニーロの所作、というかほかの映画でも良くやる仕草である。この映画で、カッコいいのは「海兵隊」にいたという、デニーロがかける「パイロット・グラス」であろう。あの「ルビーの指輪」の寺尾聡がかけている、真っ黒のグラス、の、つるが一直線に伸びた、ゴールドフレームのものだ。あの軍隊のグラスこそ、当時の風情を物語る一品である。
、、あまりにラストの撃ち合いが血みどろすぎて、、嫌気がさしてしまう。まだ「俺たちに明日はない」のボニー&クライドのハチの巣にされるシーン、の方が一線を越えての、致し方なさがあり観れるというもの、、。
昼飯には袋めんを食べた、、なんて味気ないんだろう(笑)致し方なく大事にとっていた小川軒のレーズンウィッチを食らう、、これは実にうまい。食欲はあるから困るものだが、、水木しげるの言葉が脳裏をよぎる「、、砂でも食べて胃を悪くしようか、、、」。完食し横になるも、普段こんな寝ないから寝れない。ここは耐え時の様だ、、、。寄せては返すさざ波の如く、何度も読んだ「こち亀」を途中で投げ捨てて、白昼夢。疎遠になった友人が出てきたが、笑顔で何か言ってる、何を言ってるかまるでわからないぜ!さて出勤です。
2024年3月16日土曜日
感冒と自家中毒と遮光式土偶と。
どうやら感冒に罹患したようだ、、。
周りに体長不調者続出もあるが~ちょっと疲れていたところに、ヌルリと入り込まれるもの。「おまえ、隙だらけや」映画「パッチギ」に出てた、空手部主将のケンドーコバヤシ風に自分に問いかけるや否や、咳き込む始末。ここ2,3年感冒なんかひいてこなかったから、はたしてどこで貰って来たか?
幼少期に体調不良になれば、軍医上がりの外科の老医者は「自家中毒」と診断した。「自分自身で病気になる」「栄養取れば治る」そう二言呟いておわりでいたが、元軍医からしてみれば「大したことは無い」という事。医者には掛かっていないけど、今回の感冒は「自家中毒」であろう。
そんなこんなで夜勤前に西荻窪を彷徨う。
小春日和だが、、どことなく気だるい。春特有のけだるさは「緩み」、「暖かさ」、「解放」この三つが重なり奏でられると気だるくなるのだ。、、いや俺は風邪をひいているのだ。出勤前は張り詰めた厳冬の方が気合が入るというもの。途中、いつも立ち寄る西荻窪の作業所を覗く。冬物セールをしているが、、もう目ぼしい物は無く物品を漁っていると、、
!!これは遮光式土偶ではないか?もちろんレプリカだが、、いまから13年前の2月、友人チャベスの惜別旅行で信州を訪れた際、、遺跡群そばに隣接する茅野市の博物館で、W月先輩が衝動買い?したあれである。果たして遮光式土偶であったかまでは記憶に無いが、、この周辺の遺跡からは多くの土偶が出土したようで~、、本物の展示には興奮すら覚えた。
偶像崇拝、でないけど個人的にNHKの教育テレビ「お~い、はに丸君」世代なので、必然と興奮を覚えるのだ。まさか、W月先輩が購入するとは思わず(値段も5000円前後していた記憶)、チャベスと遅れて出てきて「、、この人おかしいよ、、」とチャベス。「土偶かった」と笑顔のW月先輩なのでいた。自分も目を付けていたのだが、当時生活の柄からものすごく金欠で、ガチャガチャで我慢、ものすごく羨ましかったのだ。「、、、MADKもいつか買える時が来る、、俺も前は買えなかった、、でも今こうして買えるんだから、、」そう一言呟いて車に乗り込むW月先輩。、、そのセリフと現在がリンクし、、「ああ、あれから13年経つんだな」と実感、光陰矢の如し。
、、で、迷った挙句、今回は見送るという結果に(笑)
やや高い、相場。自分は3桁基準なのでもう少し考慮する必要があるのだ。いかんせ金欠もある。これは胸の奥にしまっておくとしよう。
、、と、もう一軒立ち寄った店では、指輪のサイズを測る「全国標準指輪番型」なるものを50円で見つける、、これは面白い。最初はキーチェーンかと思ったが、、そうでなくピンキーサイズから親指まで直径を測れるそれでいる。これは必要か!?実際自分の指輪のサイズはわからないもの、右利き左利きも左右太さは非対称であるし、、小指の指輪が欲しいが~実際は自身のサイズがわからない事も多い。50円ならと冷やかしで購入。いい買い物をした、ような気がする。
、、さてその後も、脳裏をちらつく「土偶」であるが、W月さんは自身の書斎本棚に飾っていたらしいが、その後の震災で棚から落ちて、土偶は割れてしまったとか。それをアロンアルファでくっつけて修復したら~「よりリアルになった~~!」と満面の笑顔で話していたっけ。W月さんはどこまでも「前向き」な人?でいる。そんな感冒の中の武蔵野行脚。
2024年3月14日木曜日
春先の漁り、金欠の女神はほほ笑む。
2024年3月12日火曜日
Mr.BoJangles
2024年3月9日土曜日
鳥山明氏によせる
2024年3月7日木曜日
精神的には飛躍傾向・肉体的には過酷傾向
左ふくらはぎのこむら返りから数か月、、
まだ違和感あり。あの瞬間にちゃんと元に戻していれば、こうはならなかったのであろうか?と言っても夜勤明けの就寝中、激痛で飛び起きるも眠気には勝てないというオチで、、そのまま眠りこけたのでいた。であるから最初の処置がいけなかったのか、生まれて初めての「こむら返り」、これも老化現象の一つ、現実を受け入れがたく、この寒空をコンスタンスに走っているのだ。、、、それが尚いけなかったりして(笑)。
、と所用で府中へと向かう。昔、小学生の頃は調布と府中の、位置も発音も似ていて違いがよくわからなかった。「水木しげるが調布、中央フリーウェイのビール工場が府中」、そう中学のあたりに覚えたのでいた。一路、東八街道をくだれば景色が開けてくる、あの野川公園には一時的に南方の蝶「アオタテハモドキ」が一時発生したと聞くが、そんなの微塵ともさせない、重い寒空の元、1700Kmはなれた琉球を思う。
これは完全に寒の戻り、、というか2月は暖かすぎたのだ。途中ファミマに車を止めて、Lサイズのブレンドを買うが「濃いめ」ボタンしかなく、その後90分胃もたれがひどい。こうしたふとした「不快」イコール「老い」につながるので、「俺はネガティブ」そうボソリと呟いたのだった。
用事を済ませ、また真逆コースにて帰路に就く、、W先輩やT先輩はこうした、「もと来た道」を再度戻るのは嫌う傾向在り、自分も脇道を逸れて探検したいんだが、、どうのこの寒く重い空が、自分をそうさせない。直線の方が明らかに燃費からして、いいに決まっているし、、要は「ケチ」なのでいる。
帰宅したのちに、野川公園で一時発生した「アオタテハモドキ」からか、昆虫標本の整理をする。沖縄時代のもの、福島は会津で採集したチョウ類なんか、標本箱の中を整理。あの標本箱はドイツ箱と呼ばれる、大変気密性の高い箱でいて標本が、ヒメマルカツオブシムシやそうした地衣類につく害虫から、侵入を防いでくれる箱である。であるから、四隅を均等に押さえて開けないと、うまく開かないのだ。また、この箱は気密性高いゆえに、湿気の多い時に開けては御法度である。カビの原因となるのだ、であるから防虫剤を入れる際には、梅雨時・夏場を避けたいもの。春前と晩秋に入れ替えている自分でいる。地味な作業を黙々と1時間ほどしていたか、、。けど標本は良いもの、採集した当時の情景や、この個体が飛んでいた事を思い出す。、、まただ!「思い出」ばかりじゃないか、バカヤロー!!こうした「思ひで」に浸るのが、人生の中盤から後半にかけての生理現象なのか、、、。
急いで片づけて、昼寝へとこぎつける。半ば強制的昼寝、、こうでもしないと活動し続けるので、精神的には飛躍傾向、肉体的には過酷傾向、と務まらないのだ。頭の下で腕組をしていたら、ほら見ろ疲れてるんじゃない、すぐにうつらうつらし寝入る。が、浅い眠りからか、妙な夢を見る。中学時代仲良くしていたTが出てきた、、あの夕刻の音楽室で奥田民生の「息子」を、Tはピアノを、アタシは覚えたてのギターを、ボブ・ディランの「風に吹かれて」調、ベースランニング奏法で弾く。大変へたくそな演奏でいたが「♪半人前がいっちょ前に~」と始まるそれに、横顔西日が差し込む、あの音楽室。互いに40半ばになった訳だが、互いの現状なんかを長々と電話で話しているというもの、、、。ふと目が覚め「、、まただ!!」過去が自分を呼ぶんだな、、、。40歳半ばってそんな時期なのか!?
そんな寒の戻りの、寒く低い空、「老い」を受け入れがたく、、左足ふくらはぎの違和感を気にしつつ川沿いを走り~くたびれ果てる休日。でも、これで良いんだと思う。
2024年3月4日月曜日
我がYumingの伝説
個人的な課題が終了、する。、、ようやく春だ。
思えば長い道、ほぼ八か月かかり終了と至る。、、ああ、うれしいが本題はこれからである。久しぶりに脳を使ったものだから、軽くめまいがすることもあったが~、まだまだ自分の脳は使えるなとニンマリ。学生時代からほぼ本能的にしか使ってこなかったが眠っている部位も揺り起こせば、作動するもの。ただし、以前よりも暖気を要するかな40代の半ば頃、、、。
ユーミンの番組を観る、ユーミンと言えば80年代に耳にタコができるほど聞かされたかな、車のカセットテープ、ライドオン・HONDAアコード清里行き。「Yuming」50周年になるのか、、母親が荒井由実フアンで、ユーミンが西海岸のいで立ちで、ローラースケートで滑る表紙のカセットテープを持っていた。当時はやたらに清里が流行っていて、レンタカーで行くのだが、中央自動車道に乗るに合わせて、「中央フリーウェイ」を必ず流す。ビール工場だか、競馬場だとか~ほんと通過するタイミングを知っているかの如く準備していた。半面、父親は洋楽好きでいたのであまり母チョイスには乗り気じゃなく、やたらにキャスターをバカバカ吸うもので、、昔は副流煙もあったものでない、目がしばしばするし気持ち悪い、それに加えて100Km超えると速度超過の警告音がキンコンキンコンなり続けるもので、まるで前衛ジャズの世界感である。清里に着くころには、気持ち悪いを通り越し、何かに流行り病に罹患したかの如くぐったりでいた。
さて、そのユーミンのカセットテープに「編曲・キャラメルママ」とあった、はてこれはどういう事か、と当時10歳の自分は考えたもので、、のちにフアンになる細野晴臣が在籍したバンドと知るのは20歳も過ぎてから、、、。どうりで耳に残るもの、洗練された感じがする。いまでも全然通用するのはこのあたり、時代臭さがあまり感じられない。以前W先輩と電車に乗っていた際には「○○、ここの駅のメロディ聴いてみて」と耳を澄ますと「雨のステイション」が流れて、思わず清里を思い出す、というフラッシュバックが起こる。その楽曲とその聴いていた背景が合致する瞬間、1990年辺りがむらりと蘇る。
個人的に荒井由実の唄で好きなのは「紙ヒコーキ」、「チャイニーズスープ」「翳りゆく部屋」、リアルタイムでは「真夏の夜の夢」か。「紙ヒコーキ」は「ひこうき雲」よりすきな楽曲。中学時代もそんな影響からかユーミンをよく聞いていたのだが、どうしたわけか中島みゆきに鞍替えしてしまった自分。ラジオ「お時間拝借」を聴いてからだと記憶するが、あの女子の重い感じをケロリと、恨み節調に歌う中島みゆきは、吉田拓郎から三上寛を聴いた衝撃に近い。であるから、時期に差があるも、自分の中では「真夏の夜の夢」と「浅い眠り」は対極なのだ。
さて、そんなユーミンを聴きながら、当時流行りの清里をめぐり、、コテージに泊まった80年代後半~90年代初頭。90年代の後半には夏2回、アルバイトもしたものだが~いまは元の山梨県の景色に戻ったと聞く。「高原」、、とは「高天が原」と解釈している自分。久々に清里にでも行こうかな、、避暑とは程遠い今では暑いであろう、今年の夏に期待。
2024年3月2日土曜日
成田三樹夫に魅せられて
このところ風が強くて参る。
このまえ70代と思われる女性が「あたし、雨の日の方が好き、風邪強い日は転びそうになるのよ」なんて、そんな話をしていたが、転びはしないが移動手段が人力でいる自分にとってはかなりの弊害になる。「あ、、風が強いな、、今日は辞めよう」とこうくるわけで、休日の強風は勘弁である。
前話でも、先輩から借りている、1979年放映の松田優作主演の「探偵物語」をコンスタントに視聴している話を書いたが、、先日は自分の地元と思われる風景がでて、思わず「あ、あそこだ!」と中年のおっさん一人で叫んだりしていた。それも共感したく幼馴染に伝えたのだが、忙しい様だ、、。
そりゃそうだ、働き盛りだもの。検証とか確認しているなら、休みたいよな、、、。考えてみれば、自分は比較的に自分の時間を持てているんだなあ、とそう気がつく。みな同世代は忙しいのだ。その「探偵物語」の中で出てくる「服部警部」こと成田三樹夫が、実に渋い。当時は40代後半ぐらいなので、、現代と比べるとそうは見えない渋さがある。一度、職場の同僚に「成田三樹夫」を見せたら「久米宏?」とそう言った、、。まるで違うんだが、髪型が頭皮に張り付くようなオニ剃りでいて、独特な頭髪。「仁義なき戦い」にでてくるインテリヤクザがマッチな役どころ、、これがまたカックイイ~~んだ。いつも思うのはYで自分が働いていた際にいたN澤さん、はこの「成田三樹夫」をオマージュしていたのかと思う、世代的に当時19.20歳だったろうし~「お!!○○ちゃ~~ん、元気してるか~~!?」このフレーズなんてクリソツ。
30代の前半に通っていた高円寺の床屋「B」は、成田三樹夫のフィギアを店内に飾っていた。のちに知るに、この「成田三樹夫」フィギアは2002年に発売された物らしく、もう22年も前の物だが、リアルタイムで見ていた人たち向けに発売された物であろう「25年周期説」にピタリ。やたらインパクト強くて、いまだに脳裏に焼き付いている、、あれ、今になれば欲しい。もともとこの高円寺の「B」のオーナーさん、任侠映画フアンでいたのか、「兵隊ヤクザ」とか「勝新太郎」のそうした当時のポスターを額装して飾られていた。ああいう60年代全盛だったヤクザ映画をひも解くに、当時の時代背景と重ね、なぜ東大の学園祭のポスター、ヤクザ風の者が、背中に東大の校章である銀杏をあしらった紋々であるのかがわかる。「とめてくれるなおっかさん」、、どこかで聴いたフレーズである。
、、話は大分それたがそれたが、風も止んだようだしで、10℃届かない、いつもの川沿いのコースを走る。けどランナーにとって「風」以外は酷でない、走っているから「汗ばむ」事には変わりないのだ、2Kmも走れば汗ばんでくる、、。「楽は苦の種・苦は楽の種」そう呟いて、追加でもう一周入れて12Km走る。膝がガクガクだぜ、、、あまり調子に乗って走り廻っていると後日、膝にクるので、、、。なんとか完走、、。川沿いの桜のつぼみはまだまだ小粒、ああ波平に乗りかかっていますな。そんな休日。
Jジャーエールのエールは、応援ではない。
と、またも見つかった 虫歯治療 をしに、かかりつけの歯科がある目白辺りまで、クロスバイクで向かうのでいた、、。 先日の受診に帰り際に、、レントゲン撮ったらその影が反対側にあるとの事で、、年内に、いまある虫歯を治そうという、という、そういうアプローチ。 いかんせ、ビール代用として...







































