2024年4月29日月曜日

大変な目に遭っている人は大体いいですよね、だって。

 見事に分断された連休、しかしながら自分の職種にはまったくもって関係がない。昨日今日と気ままに一日を過ごすこととする、、。

無性に体を絞りたく、なかなかの初夏の日和の昼の日中、川沿いを12Kmほど走る。「うさばらし」と位置ずけているが、こうするしかない、という捉え方も。紫外線が差すようでいて、これがまた体力を奪う。5Km過ぎ辺りからエンジンかかるといった具合でいて、LAのドアーズの曲が似合うというのはさんざんにお話したところだが、スマホで距離を測ったりカロリー計算をする必要はない。それをいつ見返すのであろうか、誰かに報告しなければならないのか?自分の苦しんでいる、呼吸がリズムだブルースだ、でいる。

なんて通人じみた事を言ってはいるが、2日続けてのジョグはふくらはぎがパンパンになるもの。回復力は20代の時の倍かかる感あり、ひたすらにふくらはぎ、をマッサージするのが40代のジョグ後の必須項目である、、。

顔の皮膚が突っ張るのは、紫外線を浴びたからであろう。

特に頬骨周囲には無数のそばかすが出来始めた、、。CMでやっている「男性のシミ予防」あれが脳裏をよぎるが、、ばかでかいシミが出来たならば、松崎しげるのようにそれさえも覆い隠すような「日焼け」をするのが良い、なんて解釈。みうらじゅんは、松崎しげるの優性遺伝を語る。「松崎しげる」と「志村けん」は高校時代よりバンドを結成しており、「松崎しげる」はレフティー(左利き)と聞く。あの60年代後半のGSブームの際に組んでいたバンド写真、といっても学園祭の一枚、をTVで紹介されていたことがあったが、、。2人の共通点。あの時代はエレキが華の時代である。

志村けんは、時代を読むアンテナが早かったようで、66年のビートルズの東京公演も行った、と生前に話していた。確か50.51年生まれだったから、高校の時分には生演奏を聴いていたこととなる。「カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ」、バカ殿に至る前のシャネルズ・メンバーとの絡みからの派生、と志村けんを毛嫌いしていた母親のつぶやきを微塵ともせずに、一緒に歩み続けてきた(一方的に)者としては、志村けんがもういない喪失感はデカい。「あの人が登場しただけで面白い」「何か一言放っただけで笑いが起きる」これは凄いことだと思う。


話しはそれに逸れたが、飯を食いながら「六角精児の呑み鉄本線日本旅」、の京都・鳥取・三陸あたりの回をまとめて視聴する。昔と違い、ノリで旅行に行けない世代に入ったもので、、書籍 齋藤 孝著・「軽くて深い井上陽水の言葉」ではないが「大変な目に遭っている人は大体いいですよね四十代はしんどいが、たくさん泣いてくぐり抜けろ、この書籍にどれだけ励まされたか、、、。

中学時代はまだ陽水の楽曲がTVドラマで使われていたり、大変に身近だった。思えばカルチャー25年周期でいたから(90年代初頭は)、自分は親世代のはやり歌に興味津々でいた。「心もよう」「能古島の思い出」、、中学時代の保健室の女先生は宮古島出身でいたが「陽水のあの高い声を聴くとね、、う~~ん、懐かしい」と。おそらく親世代でいたのであろう。息の長いアーティストである。陽水の使用する「ギルド」のアコースティックギターにも憧れたもの、、。

ああ、だめだ、今回はそれに逸れるので、このあたりでグット・バイ。


2024年4月25日木曜日

六角精児の域に達したい。

昨日は一日濡れた日でいた、、。

霧吹きを眼前で吹きかけられたような、密の濃い霧雨とでも言おうか、ずぶ濡れであちらこちらへ移動してスッカリ萎えてしまった。


一転、初夏の様な日取りの今日は、さてどうした物か、、撮りだめたNHK特集をみるか、映像の世紀を観るか、六角精児の「呑み鉄本線日本旅」をみるか、、いずれもなんども鑑賞したものばかりで、、ここのところ遠出していないのもあり六角精児に惹かれ、朝飯くいながら「千葉・いすみ鉄道」編の旅を観る、、。

「いすみ鉄道」は内房線の「五井駅」から出ている、何とも時代が止まっている車両でいて、、この数駅先の「姉ヶ崎」に祖父母がいたので、小学生・中学生の時分には不思議な感覚「なんだろう、あの電車は、、どこに行くのであろう」と内房線から眺めた物。

それ以来「養老渓谷」、、其処に行くにはわかるのだが、地元にある「養老の滝」とどう因果関係があるんだろう、、?なんて(後者は居酒屋チェーン)。

あの千葉の工場地帯は実に閑散と寂しくて、好きである。(好きだけど、住めないが)祖父母の家の二階から京葉工業地帯の工場の、あの長い煙突、そのてっぺんには炎が揺らめいている。夕暮れ時は「消してはいけない炎」というか鎮魂的で好きだったなあ、、。

そんな「いすみ鉄道」の旅を見て、昼前より近場のリサイクル廻りへ。以前も話に出したが、自分は大手リサイクルショップへは行かない。NPOが運営するような、中古衣料・雑感店を廻るのだ。商業的でなく、そこで働いている人へ還元できている、そんな気持ちで支払いできるから、心地よくもあり商品に疑いがないのだ。そして値段も3桁であり、時にはこれが!?と思うような商品があったりする、中古品という物はもとは「いい値」、そういう中から自分の感性に合ったような掘り出しをするのが面白い。

なんて偉そうな事言ってるが、そんな習慣は結果、時にこずかい故の金欠を生み、部屋が物だらけになる、のは将来的に「ごみ屋敷」となる起因?でもあるような、ないような。



何軒か廻ったが~ベルトで良いものを見つける。明らかにネイティブなコンチョの付いたもの、とレザーの型押しのハンドメイドっぽいもの。あまりベルトに金をかける男はいない、どうしても下着というか、見えないし黒と茶があれば良い、的なスタンス。どうしても服が上からかぶり、ちらりとしか見れないからであろう。けど、カッコいいベルトを巻いている人って、西部劇好きな自分にとってはミステリアスだ。西部劇ではガンベルトはじめ、色々なベルトが露出している。親父は「男は幅の太いベルトが良い」とよく言っていたが、、太いベルトと言えば、旧日本軍将校の、乗馬ズボンに巻いているベルト、10センチ以上はあるであろうブッといベルトには圧巻、あそこまで太くするのは「さらし」の文化のある日本故か、それとも乗馬ズボン故の腰への負荷軽減か、、、。

そんなことを呟きながら、、コンチョと付いたものは200円、型押しのものは300円で購入。そんなこんなで2本携えて帰路に就く、、いつも寄る古本屋は、特に変わり映えすることなく10分ほどで店を出た。

、、その後、初夏の日和の中を、川沿いジョギング行う。後半かなりバテる、強い紫外線のためか、年のせいか、、おそらく脱水気味だったからだ。「寒気」がその指標、熱中症ぽくなると暑いのに寒いのだ(笑)何とか走り終えて、途中「ビタビネC」(オロナミンCと似た商標だが)愛飲していて63円で購入し、帰路に就く。

そして昼飯を食らいながら再び「六角精児の呑み鉄本線・信州編」を観ながら、、野菜炒めを作って食べて項垂れる、、、。そんな初夏の休日にて。


2024年4月20日土曜日

「夜遊びの帝王」W月先輩の伝説

久しぶりにW月先輩と会う運びに、所沢方面を目指す夕暮れ。
実は前回、2月に予定していたのだが「ぎっくり腰」になってしまったとの事で(この辺りも夜遊びの帝王の異名をとる)キャンセルがあり流れてしまったのだ。と、2か月近くたちようやく再会になる運びに、、、。

自転車で駅改札に現れたW月先輩でいたが、髪は金髪に近く~ビートきよしを彷彿させるいで立ちでいた。「くくくく、、相変わらずだな、お前」「なんだ?昭和、、?なんだよそれ」と自分のスタイルを酷評。「何にする?」と左右行き先が違う、駅の離れた私鉄国鉄の雑多な人の流れに巻き込まれる。あの焼き肉屋「R」へ行きたかったが、、残念ながら畳んでしまったとか。致し方なく、W月先輩行きつけの店に腰を下ろす。懐から「セブンスター」を徐に取り出し、火をつけるにもライターを忘れ、店のを借りて一服始める先輩。
もう10年以上付き合っているが、何ら変わらない、一重瞼を見開いて、口を尖らし雄弁に語る仕草に、ジェスチャーが入れば、話が間違っていても「そうなんではなかろうか?」といった気持ちになるので弁士に向いていると思う。仲間内で囁かれている「W月節」でいる。当日は昔で言う「はな金」であり、どこの店も人でいっぱい。ようやく空いた店に入り、黒澤映画について熱く語る。「蜘蛛の巣城」「椿三十郎」「七人の侍」「乱」、、、、と「雨あがる」は全く違う、、なんて。人生訓、、不思議とW月先輩が話をすると「先導・伝道」ということばがピッタリと当てはまるもの。引き出しも多く、話は尽きない。
そうしたときに、セブンスターを火をつけるも、吸わずに灰皿の上でいつまでも燻っている、それを忘れてまた火をつける、、。


先日みた、NHKの「映像の世紀・ノルマンディ上陸作戦」で、アイゼンハワーの愛人サマーズビーの回想録で、「判断に迷うアイク(アイゼンハワーの愛称)はタバコに火をつけて、灰皿に置いたそのタバコを忘れて、考えては灰皿のタバコを忘れ~また新しいタバコに火をつける始末、、、」という回想録があったが、、悩んじゃいないが「雄弁」ゆえに、火をつけたばかりのタバコを忘れて、語らい興奮、それを忘れてまた火をつける、、そっくりである。これからW月先輩は「アイク」と呼ぼうと思う。
そんなこんなで最初に来た店へ戻り、まったりするが、W月先輩は職場帰りにほぼ此処へ立ち寄るようで~常連の人と非常に仲がよい
紹介され「、あ、どうも」と頭を下げること数回。W月先輩の人柄さることことながら「じゃ、僕のおごりで一杯ずつどうぞ」とそれも好かれる要因の一つであろう、普通の人にはなかなかできない事である。そんなことする邦人(ここは日本であるが)は皆無に等しい、「振る舞い」はまさに勝新太郎である。


「影武者」降板の話でさんざん語らったが、、「勝新的な好感度」を持ち合わせて、「寛容」さがW月先輩の魅力の一つ!?隣の人が吉田拓郎の「元気です」のLPを先日購入したとかで、スッカリ仲良くなってしまった。
おっともうこんな時間!「お前、早く帰れよ!」と背中を押され、終電車に近い私鉄で帰路に就いたのでいた。次回は暑気払いでお会いしましょう、、アイク、、いやW月先輩!お疲れさまでした。「夜遊びの帝王」W月先輩の伝説。



2024年4月16日火曜日

VHS「スノーマン」との再会

春真っ盛り

もう少し余裕があってもいいような季節の移り変わりだが、、ヒートテックを脱ぎ捨てる間もない、行きも帰りも汗だくでのクロスバイクでの往復。昨今走り込んでいる、というのも汗ばむ快感は、それありきで見越した時(ジョグなど)は容易に受け入れられるが、そうでないときには不快になるといった具合。、もう人生後半戦ともなれば、膝が大腿部が、ジョグ後には痙攣を起こすありさま、酷使しすぎなんだろう。

だが、これが心地よかったりする。自虐もいいところ、萩原健一は自伝「ショーケン」でウォーキングしすぎて疲労骨折した話があったが、、表紙の自身で描いた絵の暗さに、自分も滅入ってしまうような気分で読んだ記憶がある。ピクピクと意思とは無関係な膝あたりの筋肉をさすりながら、こうして打ち込んでいるのでいる。

先日、西荻のガレージセールでトミカのミニカーが20円で出ていた。

ふと闘病中でいる富永卓郎氏を思い出す。そう、以前氏の書いた趣味であるミニカー収集の本を読んだことを思い出す。自分も物を集めて囲まれて暮らすのは嫌いでないから、「いいなあ」と思い一気に読みふけったのだが、、「100万円の限定ブルーバードのトミカのミニカー純金モデル」購入とか(自身は中古のカローラを乗っている)、「灯台下暗し!」都立家政駅そばにあった古いおもちゃ屋で、初代トミカのミニカーを漁る話、自身のコレクションルームを沖縄に作りたいが、鉄製のミニカーの保管上、湿気が多すぎて困難である事、、などなどなかなかに面白かった。一時はガラクタのようになってしまっているミニカーをガサガサ漁ってみたりした時期もあったが、飽きるのにも早い自分、そのほとんどを処分してしまった。(フォードGTだけどこかにあったような、ないような、、)そんな中で、見つけた20円のトミカ、ベレットかと思ったがプリンス スカイライン1500(1966)でいた。

1966年って年も好き、捨て値のそれを握りしめ会計したのでいた。箱あればもっと正規な値段で流通するんだろうけど、書斎に飾るには裸で十分。話しのきっかけいなればいいのだ。

そして復路、、西荻窪で「スノーマン」のVHSを見つける。もちろん今時「VHS」デッキを持っているわけないが、、知り合いの方が譲ってくれそうな感。

25年前は(といっても四半世紀前)ウイ~~ン、キュルキュルと巻き戻しがスタンダードでいたが、テープなんてめったにお目にかかれない。けど、この「VHS」仕様の映像資料?「スノーマン」は押させておきたい!!

これを観たのは1980年代中盤だが、、セリフなし、音楽が流れているだけで~雪が降り子供が喜んで大きな雪だるまを造る、夜寝るときにも幾度となく雪だるまがそこにまだあるか確認し、寝入ると~雪だるまが夢の中にやってきて、子供と旅をするという話。~でお別れして、朝になり窓の外を確認すると、その雪だるまは半分以上溶けている、、というもの。

なんとなく少年時代に見て心に突き刺さるストーリー(今でも胸がえぐられるようなシュール感あり)なんか、40半ばになって、無垢だったろう当時のそのような映像を思い出すと、無性にその「スノーマン」を手元に置いておきたくなるもので、、、。

そんな自分の性分からか、おかげで書斎はものだらけ(笑)




2024年4月13日土曜日

蘇る「マディソンバッグ」の遍歴

「♪葉桜~ドン、、」、、いやいや黄桜だが、昨今の日本酒離れから、黄桜のCMも見なくなった。加藤登紀子が唄っていた日本酒のCM懐かしや。現代は多様性の時代、「男なら~~」のフレーズは響かないのか。すっかり桜の花びらは散り、葉桜。先週日曜と比べたならば、川沿いの桜並木も閑散としたもの。そんな中ジョグをし見納めとした。昔と違い、走り終えたならば、足の痙攣がひどいもの。


先日は職場の先輩と一緒に弁当を喰らっていると、、「マディソンバックが欲しいんだよね」と突然告白。うちのオヤジも以前そんなことを言っていた。先輩は還暦過ぎあたりであるが、この世代の方は皆口をそろえて「マディソンバック」を懐かしがる、欲しがる傾向にあり。

この「マディソンバック」たるもの、70年代が学生の時分で先輩からしてみれば、みなリアルタイムで使用していたのだと思う。自分のオヤジはその一廻り上あたりの世代であるけど、第2期アイビー世代、60年代の後半あたりから使用していたのか、やはり物凄く懐かしいようだ。現行品でもAmazonなんかであるが、若干シルエットが違う。そしてビニールの厚みもまたペラペラである。(オヤジが衝動買いしていたものを見て)値段もけして安価でない。

当時物は、たまに古道具屋で見つけるが、いかんせ使用済みで酷使されていただろう面影、ボロいものが多い。もう20数年前になるけど、下北沢の古道具屋で5000円近く出して買ったことがあった。下北沢という場所もそうだが、今思えば高すぎる!!しかも「エンジ」のマディソンバックでいた。はて、、あのバックは仕事でも普通に使用していたが、どこに行ってしまったものか、、私用品なんてものはそんなものである。とってあれば先輩にあげられたのに、、、。マディソンバックは使用してくると、サイドのモールが破れてくる。とジッパーの部位、あそこも年代物になると、ひっかかり、何かの拍子にダメージが起こりうる。壊れてくると人は大事にしない、後半はジッパーも閉めることが困難になり、開いたまま物を入れていた記憶。ジッパーの金具がキーホルダー上になっていたから、今思えばかなり初期の頃のマディソンバックでいたのかもわからない。「エンジ」というカラーリングが現代まで生き延びたキッカケだったのかもわからない。

時期同じくして、調布の閉店まじかの衣料品店でも見つけたことがある。が、マディソンでなくてあの、バスケットボールメーカーの「スポルディング」のスポーツバック(デットストック)でいて、「すいません」と何回か呼んで、店主?であるおばあさんが出てくる。「あなたこんなの欲しいの?これ?100円でいいわよ」と。「では色違いも貰います、、」「んじゃ二個目は500円」さすが商売人。、両腕にスポーツバックを下げて帰ってきたことがあったが、、あれもどこに行ってしまったのであろう?そんなものである。


、先輩には悪いが、、実は一昨日、またマディソンバックを杉並区の古道具屋で見つけて、押さえておいたものがある。1500円!しかもあまり使用されていた感なく、殴り書きで「当時物」とあった。大抵、中の貼りが破けて居たり、名前が書いてあったりするものだが、、そういうのもなく分厚いビニールの重量感。ACE社製であるし、、いつ頃のモデル何であろうか?


あのエンジのマディソンみたいにジッパー部位はキーホルダーでないから、、自分が生まれたころの物であろうか(匂いが昔の匂いがする)、今となれは20年のマディソンバックの遍歴、、飾っているが先輩も飾りたいらしく、、。そう意味では世代を超えても共有できている価値観は嬉しい。

また出会えると思うので、、足しげなく「マディソンバック」を廉価で出ていないかチェックしときます。そんな昼休みの会話より。




2024年4月10日水曜日

一桁少年だった頃、タッパーウェアの記憶

物凄い風に叩きつける雨、、。

宿直前だというのにこれでは寝て居られない。何度も寝返りをうち、布団の上ではワニのデスロール状態、ジャックスの「マリアンヌ」が脳裏に流れる。浅い夢は、心の写し鏡とでもいうのか、そうした類の夢を見るから「夢でもし会えたら」はまんざらに嘘、でないのかもわからない。軽い悪夢・闘争心を煽り立てるような夢を見て、嫌になり床を離れる。

外を出れば桜デンブの様なアスファルトでいて、叩きつけた雨風でだいぶ花散らし。

ま、いい。日曜日は花見を楽しんだし~これも「経過」にすぎん、と向かい風の中をクロスバイクを走らす。昨今の小道具漁りも、衣類は冬物が出払い春物にかわり、いまいち面白くない。冬物セールも4月になれば終わり、どうしても小物置物といった具合。いつもの恒例のガレージ巡りもこの強風で、畳んでしまっているところも多く、これでは楽しめず夜勤突入となる。

そんなこんなで澄み切った翌朝、あの風のせいかすっかり冷え込んだ武蔵野近辺。前述もしたが都内の水曜休みのリサイクル・ガレージ系ショップは多いもの。(車屋もそうだが)明けで水曜日だと、これはこれで楽しめないというもの。がっくりして家路につくも、、ガレージショップ休みであるが、軒先に「0円均一・ご自由にどうぞ」が出ており、その中にタッパー・ウェアの商品が何個かあり、ごそごそと漁る。

!?これは!このタッパー・ウェアは70.80年代に日本でも普及した、メリケンのホームパーティ用の食品保存容器でいて、実家にも、そして母屋でもよく見かけた容器。「これは懐かしい、、」同世代にはそう思う人も少なくはないのでは!?昨今あまり見かけないが、一方的価値観を押し付けるような、アンティークのショップなんかで見かけると「え!?」と思われるような値段で並んでいるところもある。ま、所詮は古い食品保存容器でいる。

、、けど、その雰囲気というかデザインというか、アーリーアメリカンとでもいおうか、映画「ET」の食卓に出てきそうな装い、、好きな人は好きなのだと思う。いろんな容器ではあるが、、自分は中でも「菓子箱」と呼んでいた。この円柱状のギザギザのタッパー・ウェアが好きである。


この中央に描かれた「マーク」こそ「お菓子入り」と当時認識しており、当時この蓋をあけると、、「ハッピーターン」「アスパラガス」「コメット」、、そしてお祖母ちゃんチョイスで、お祖母ちゃんしか舐めない「ハッカ飴」、ライオネス・コーヒーキャンディー、、、そうした物が乱雑に放り込まれていたのだ。「、、おばあちゃん、貰うね」とそのふたを開けて、パンドラの箱のようなタッパーウェアの中身をガサガサと漁るのが、一桁少年の母屋での楽しみでいた。

、、そん中「押忍」としか言わないオジサンがやってくる、、そのタッパーウェアの上に座っていると「、、おい、菓子箱の上に座るな」そう無表情で言われて、たじろぐ一桁少年。あの頃オジサン怖かったけど、いまでは色々笑顔で話してくれて、年を重ねると人は意固地になるというけど、意固地だった人は年月過ぎれば、丸く優しくなるのかもわからない。さて、、自分はどちらかな?

疲れは貯めることが出来るけど、寝だめはできない定め、そう呟いて70年代のドラマ「木枯し紋次郎」の主題歌「♪ど~~こかで~~、だれかが~~、きっと待っていてくれる~~」を歌いながら、昼前に帰路に就いたのでいたのだ、、。

その後、轟沈。

2024年4月7日日曜日

ソメイヨシノからの白髪染め

先日、ふと伊勢正三が唄っていた「♪花びらが散った後の~ 桜がとても冷たく見られるように(歌詞が違うかもしれない)が脳裏をよぎる。桜の木というのは、この時期だけ見つめられて、葉桜になればアメリカシロヒトリの餌となるイメージ(昨今、アメリカシロヒトリは話題にもあがらないが)、現在では北関東辺りでは外来のカミキリムシが大繁殖し、桜の幹に食い入り、致し方なく伐採されているという。気候変動なのだろうけど「外来」、、「舶来」と比べて、ずいぶん差のある言葉である。

本来?は4月の1週目の、週末辺りが桜の満開でいた気候。
であるから90s男としては久々の「適齢期」とでも言おうかな、この時期の開花が、なんだか数年ぶりで嬉しい。ここのところ天候も安定しないし、結果そう至ったのだが~、また明日辺りから天候崩れる。明後日も雨予報でいるしこうしてはおれない、、とジョギングスタイルにて川沿いを行くのでいた。不思議とこの時期は「希望」にあふれている、40数回目の春の実感に心ウキウキ、とはいかないのが釣り堀の、擦れた魚の感
めったな事でアドレナリンは沸き立たす。いつも閑散な川沿いも、桜見物の人でごった返す、赤ちゃんから老人までいるのがとても幸せ感を助長し、よろしい。気候的にも天国の感、、だがなぜか初夏観るような入道雲が遥か先で印象的でいる。

普段のフラストレーションを「薪」としてくべる、12Kmの道のりは実に走りがいがある。ストレス発散効果もあるし、男性ホルモン維持にもいいとかジョグ。(中年になると筋力が減る=男性ホルモンの低下)、確かに中年男性はおばさん化している人も多い。チャールズ・ブロンソンみたいな中年男性は稀有なのはそうした生理作用なのか。
そんなことを考えながら、人込みをよけつつ完走。日差しが強く、頬骨が皺寄せると違和感あり、春の紫外線は強烈と聞くが、、。

ま、そんなこんなで明日から新学期、何となく気分的に白髪染めを行う。
床屋で染めれば、そりゃ楽で転寝してれば、「お待たせいたしました」ってな具合だが、最後には銭勘定がある(笑)この辺りが現実的でいて、家で自分で染めればその分浮くという物、いわゆる「家庭の事情」という事。
高校時代の友人の「Y」、ご両親ともに床屋さんでいて、高校時分に金髪に染めた髪を、黒髪に戻す一連作業を観ていたことがある。1996年頃の話だが、反抗期の彼は「いてえな!!早くやれよ、、」「、、チッ!」と舌打ち(おそらく黒髪に戻したくなかったのである)、顎に何かを塗っていたが、皮膚に色がつかないようにあれはワセリンである、と、イヤーキャップもしていた。それをアイビールックの自分は(笑)寡黙に見つめていたのだが、、。
その経験が応用される運びとなる。まず額にワセリンを塗り、、耳介にも塗りたくる。いわばスキンガードでいたが、、髪を染めて鏡を見ると、、あれは化学反応で着色するためか、頬骨辺りに飛び散ったものがしっかり皮膚に着色!「、、しまった!!」とギャッツビーの洗顔フォ―ムで洗うも、目の粗いボディタオルで擦るもいっこうに落ちない。
まるでこれじゃ「大槻ケンジ」だ!!と、ふと目に入った「激落ちくん」、よしこのメラニンスポンジでやってみようと、、と泡を付けて擦るも、、一発で落ちました!
、、が真皮層まで行かずも赤剥けに、、。未だひりひりする頬骨、顎周辺、、、。


桜色の中年肌に、明日は新学期を迎えます。

2024年4月4日木曜日

4月になれば彼女は

   4月に突入。


自分は真新しいことが現時点でまるでなく、ゴールもぼんやりで環状線のような人生をひたすら廻っている。

旅に出たいが、2泊もすれば戻りたくなるという帰巣本能が、20代と違って物悲しい、所詮遠くに行っても、もとの「」に戻りたくなるのがオチ。「猫は家に憑く」という(字が違うかもしれない)が、まさにそれですな。


 そんなでクロスバイクで振り子のような一日が始まる、途中の橋げたでクロスバイクを止めて周囲を観察していたら、こんな人工物でいっぱいの川沿い、カワセミが「ピ~~」とないて行き交う。カワセミは写真家から、もてはやされることが多いが普通の鳥でいる。あの金属光沢の鳥は、蝶でいったらモルフォチョウがもてはやされる、それと同じである。動物園へ行っても和鳥は見向きもされない、けど中年になるとあの地味な色彩が何とも好ましく思えるもので、葉隠れかな。

和装もそう、男性の着物なんて和鳥そのもの、成人式では男は実に華がないと感じた(九州・中京地方は別として)けど、今になればわかる「男はその地味な色彩で良いんだな」と。であるから、カケスやモズを見かけると「やあ」という、痛い中年男性でいる(笑)

職場へと至る中継地である、西荻窪のいつも立ち寄る西荻作業所は心落ち着く。

あの空間に入ると、なんとも言えない、口では言い表せない抱擁感がある。であるから、ついフリーマーケットの商品を購入したくなるのだ。別に欲しい物がなくても行く、品定めするのがいい。そこを観て、もう一つの西荻ガレージセールを辿ってから夜勤に突入するのが巡礼コースでいる。数百円の至福、心の潤滑剤。

で、明けは真反対な大泉学園にある作業所を廻る。西荻のそれと同じスタンスでいて、大泉学園の場合は何店かあり、小物類の店、衣料品の店、と期待を胸に巡るのがよろしい。

衣料品の店では実にピュアな女性が鼻歌交じりで店頭に立つ。この前は映画「美女と野獣」の主題歌を唄を歌っていた、なんて透き通った声色であろうか

こうした声色をはたで聴くと、自分の油にまみれた心のカスが拭い去られるようだ。どうしても中年になると、消化しようのない、どうしようもない「不良肉芽」のようなものが心に張り付いてどうそれを除去しようかと考えるもの柔軟性に欠く、現実を受け入れるに、ジワジワと痛い火傷のような「呵責の念」に苦しむ。彼女のその歌声を聴きたくて欲しいものなくても行くのかもわからない、大泉学園の作業所。気になった200円のコンチョの付いた小物入れを購入した。

、、雨が降り出してきた、お気に入りのもう10年は着ているフランネルのオープンカラーシャツを気にしつつ帰路に就く。家に帰る頃には本降りに。「貧愁」という言葉を故・石津謙介氏がかつて話していたが、、(字が違うかもしれない、意味は持っているもので楽しむ)確か何かの雑誌でみたが、、40年もまえに買ったチロリアン地方のソックスを現役で履いたり、自身の経営するジャケットを何十年も愛用する、、、。そんなスタンスで楽しんでゆきたい、人生半分経過した男の楽しみ方、春雨とは言ったもの。

Jジャーエールのエールは、応援ではない。

 と、またも見つかった 虫歯治療 をしに、かかりつけの歯科がある目白辺りまで、クロスバイクで向かうのでいた、、。 先日の受診に帰り際に、、レントゲン撮ったらその影が反対側にあるとの事で、、年内に、いまある虫歯を治そうという、という、そういうアプローチ。 いかんせ、ビール代用として...