見事に分断された連休、しかしながら自分の職種にはまったくもって関係がない。昨日今日と気ままに一日を過ごすこととする、、。
無性に体を絞りたく、なかなかの初夏の日和の昼の日中、川沿いを12Kmほど走る。「うさばらし」と位置ずけているが、こうするしかない、という捉え方も。紫外線が差すようでいて、これがまた体力を奪う。5Km過ぎ辺りからエンジンかかるといった具合でいて、LAのドアーズの曲が似合うというのはさんざんにお話したところだが、スマホで距離を測ったりカロリー計算をする必要はない。それをいつ見返すのであろうか、誰かに報告しなければならないのか?自分の苦しんでいる、呼吸がリズムだブルースだ、でいる。
なんて通人じみた事を言ってはいるが、2日続けてのジョグはふくらはぎがパンパンになるもの。回復力は20代の時の倍かかる感あり、ひたすらにふくらはぎ、をマッサージするのが40代のジョグ後の必須項目である、、。
顔の皮膚が突っ張るのは、紫外線を浴びたからであろう。
特に頬骨周囲には無数のそばかすが出来始めた、、。CMでやっている「男性のシミ予防」あれが脳裏をよぎるが、、ばかでかいシミが出来たならば、松崎しげるのようにそれさえも覆い隠すような「日焼け」をするのが良い、なんて解釈。みうらじゅんは、松崎しげるの優性遺伝を語る。「松崎しげる」と「志村けん」は高校時代よりバンドを結成しており、「松崎しげる」はレフティー(左利き)と聞く。あの60年代後半のGSブームの際に組んでいたバンド写真、といっても学園祭の一枚、をTVで紹介されていたことがあったが、、。2人の共通点。あの時代はエレキが華の時代である。
志村けんは、時代を読むアンテナが早かったようで、66年のビートルズの東京公演も行った、と生前に話していた。確か50.51年生まれだったから、高校の時分には生演奏を聴いていたこととなる。「カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ」、バカ殿に至る前のシャネルズ・メンバーとの絡みからの派生、と志村けんを毛嫌いしていた母親のつぶやきを微塵ともせずに、一緒に歩み続けてきた(一方的に)者としては、志村けんがもういない喪失感はデカい。「あの人が登場しただけで面白い」「何か一言放っただけで笑いが起きる」これは凄いことだと思う。
話しはそれに逸れたが、飯を食いながら「六角精児の呑み鉄本線日本旅」、の京都・鳥取・三陸あたりの回をまとめて視聴する。昔と違い、ノリで旅行に行けない世代に入ったもので、、書籍 齋藤 孝著・「軽くて深い井上陽水の言葉」ではないが「大変な目に遭っている人は大体いいですよね」四十代はしんどいが、たくさん泣いてくぐり抜けろ、この書籍にどれだけ励まされたか、、、。
中学時代はまだ陽水の楽曲がTVドラマで使われていたり、大変に身近だった。思えばカルチャー25年周期でいたから(90年代初頭は)、自分は親世代のはやり歌に興味津々でいた。「心もよう」「能古島の思い出」、、中学時代の保健室の女先生は宮古島出身でいたが「陽水のあの高い声を聴くとね、、う~~ん、懐かしい」と。おそらく親世代でいたのであろう。息の長いアーティストである。陽水の使用する「ギルド」のアコースティックギターにも憧れたもの、、。
ああ、だめだ、今回はそれに逸れるので、このあたりでグット・バイ。

























