2024年5月31日金曜日

五月の別れ

 五月も最終日である。

一年で一番いい時期、だろう5月は駆け足であった、なぜか自分の感覚からして昔からそうである。これからは強烈にて、そして蒸し蒸しとその勢いからの夏が追いゆくまでの過程を、この東京の地べたから感じてやろうと思う。

しかしながら、左肩が痛いのは、肩こりではなくこれは心臓不調からの放散痛というバイタルサインであろう。我が一族は心臓に難点あり、不整脈からの狭心症・心筋梗塞へ至る経過をたどる。これは血統的に致し方なく、車やバイクにも特徴や長点・欠陥はあるもので、あまり風邪はひかない、一見頑健ではあるけれど、いい頃合いでストレスたまらないように付き合わねばならないのだ。ちょっとこのところ忙しく、胸がバクバクしていたことがあった。こうしたサインが出た時には、好きな事しかしないに限るあらゆる我慢をしないことだ、、、。と、どうした訳かジョギングは有効、一気にポンプで押し出すその心臓の収縮作用が心地よい、、俺は競走馬か!?それが性というか運命。

台風一号の影響からの、雨予想でいたので映画見ながらウダウダしようと考えていた。撮りだめたジーン・ハックマン主演作品で、「俺たちに明日はない」からの、その後を辿る様な、狂気じみたその演技を腹ばいになりながら見るもよし、、。が、雨が止んだのでいて、早速図書館へと向かうことに。図書館がなければ自分はもっと早く老いていたであろう、、。借りた視聴覚資料を返しに雨上がりの郊外を行く。


図書館にはリサイクル図書というのが出入り口に置いてある、、大抵は統計物や、週刊誌、時代にそぐわなくなった図鑑や、寄付されたが色々な理由で所蔵されなかったものなど、、、。と、なんと「VANジャッケット博物館」があるじゃない!1993年7月に出た初版、しかも自分が1996年にまだは原宿ラフォーレの裏にあったころに、服が買えず資料としてかったあの一冊である。


以前にもブログで紹介したが、その時買ったものはボロボロでいて、オークションで見つけて新品同様を3000円も出して買ったそれである。最後のページにはステッカー2枚付きでいて、未使用のそれを個人的に所蔵していたかったのだ。(ステッカーは、1996年にかった本のそれはすでにどこかに貼ってしまったのだ)。いかんせ3冊目となる「VANジャケット博物館」、VANの系列ブランドや、当時のジャケット紹介など目をギラギラさせて読みふけったもの。これで色んな「アイビー」っぽさを勉強したもの、しっかりと頂いてきたのでいた。けど「拡充書架」とあるがあまり借りられなかったのであろうか、、、。


と、視聴覚コーナーで1995年頃に出た「ベルウッド」盤CD、「はっぴいえんど HAPPY END」を見つける。この大瀧詠一好みな「古き良きアメリカ」なイラスト、ナイアガラなんかほとんどこんな感じであるが~自分が注目したのはこの「ベルウッド」盤のCD、これが実に懐かしい。1995年あたり、LP盤でまだまだ初CD化なんてのが普通であり~、聞き飽きたドラマの主題歌で使われただろう流行歌には飽き飽きしていた時分、こうした親世代の音源をT町の「ムトウ」レコードで漁っていた。


高校生でいたが、このベルウッド盤のCDは、1500円ほどで廉価でいて、こずかい貯めては買い漁っていた。(確か初めて買ったのは高田渡の「ごあいさつ」でいたような、、、)図書館とはこうした物がまだ現役で貸し出されているからオモチロイ。中には1980年代半ばの、出たてのCDからか「デジタル・ディスク取り扱いについて」なんて注意書きのある視聴覚資料があったりする。この「はっぴいえんど」のCD、収録曲はもちろん聞いたことあるものでいるが、、貸りてしまう(笑)悲しい性やね、、ということこのベルウッド盤CDの、今までの軌跡を辿りましょうかな、、。井上陽水の「五月の別れ」がなぜか脳裏をよぎる、、五月最終日にて。

2024年5月28日火曜日

原始人と呼ばれて

雨の休日、、、。
雨で安心した、これでまた初夏の日和だとムラムラと川沿いを走りに行きたくなるもので、悲しい性やね。と、ふと気がつくともう1年も、床屋へ行っていない事に気がつく。
いかんせ女子からの ひどい不評でいる、中年の長髪だが~めげずに、そして独りよがりでここまでやってきたのだ、、、。後ろ髪が肩に付くまで伸ばしたことがなく、先日ラムステーキをパンイチでかぶりついていたら「原始人みたいだ」と言われる始末。臭みのあるラムステーキを、大好物とする自分でいるが、その滴る油を本気で食べていたので、皆の眼にもそう映ったに違いない。けど、風が強い時には髪が無造作に右へ左と入り乱れ、、はたから見ると水木しげるの妖怪「けうけげん」みたいであろう、、わかるかな?あのニワトリに乗ってる毛むくじゃらな妖怪、、、。

という訳で急遽、床屋へ行く運びに。雨だし平日だしで、週末は常連さんで混むので丁度よし。降ったりやんだりの中を車で向かう。久々にマスターの顔をみたら、嬉しくなったというか、このいつも途中で切ってしまい~ここ20数年間かなわなかった長髪に、42.195Km完走したそれに近いゴールの兆しアリ。
、、相談してさらに伸ばす方向で(笑)と、小奇麗に見えるにはサイドブロックを勧められたのだが、もう散々やったし、ことの他、長髪のサイドブロック・あれ嫌いでいる自分。
伸ばしている場所を逆にしばり~不思議な頭をしている人がいるが、、あんな可笑しな頭髪は無いと思う。かつての清王朝の髪型「弁髪」だったっけな、手塚治虫の漫画「一輝まんだら」でよく出てくる髪型だが、あそこまで行かなくもスタンスは同じ、それに酷似している。
直毛の自分は海援隊時代の武田鉄矢みたいでいて、、パーマをやんわりかけて伸ばす方向でお願いする。、、自分的にはスパン短い短髪は金がかかって致し方なく、、もう短髪は卒業したい。昔は少しでも伸びれば血ナマコになって予約して刈ってもらっていたが、、、似合う似合わないは別として(笑)長髪を実践してゆきたい。約二時間、けして美容院にはいかない、男のパーマは「床屋」である!パーマ液を落とすのも、肉厚なマスターの手で。髭剃り、マッサージも床屋だからできる技!!至福の2時間でいた、、。ポルトガルの宣教師みたな風貌になり、不安定な東京の曇り空の元、帰路に就いたのでいた。いかんせどうセットしたらいいか収拾がつかなかったものだから、長いけど小ざっぱりしたんで、高湿度の外気も心地が良かった、、、。

と、今年の夏用に以前から目を付けていたサングラスを観に行く、、。何度か下見をしていたのだが、フォックスのサングラス。キャッツアイはあってもフォックス型のサングラスってあまりないもの。50~60年代初頭に流行ったのだろう、いかんせ女性物が多く、かけさせてもらうと小さかったりする。今回見つけたフォックスのサングラスは、大手中古衣料販売店で飾られていたのだが、、まだかけさせ貰ってなく、気になり向かったのでいた。若い店員さんに声をかけてかけさせてもらうも、、やはり女性物でいて明らかにサイズが小さい。残念である。西荻窪の眼鏡工房で見つけたクロムハーツのフォックスは15万もしていた。とてもじゃないけど買えないので、、あっち行きこっち行きで身の丈にあうサングラスを探そうかと。俺は何をしたいんだろう、、あ、そうだ春先にカザールのサングラス見つけたじゃない。それで十分じゃない、、、。
雲が飛ぶように流れる空、自問自答しながら休日は終わる。


2024年5月27日月曜日

クリームの素晴らしい世界・O先輩との再会

キャベツが食卓から消えて、もうしばらくになるが、、4月の天候不順で流通量が少ないだとか。

キャベツってよくそうなるね、、と、いつも「とんかつ屋」の、お代わりし放題のキャベツはどうなるのかと気になる。「キャベツのお代わりください」あの情景が脳裏に浮かぶ。お好み焼き屋もそう、、いくらでもあるような気がするが、こうなるとそうでない事によくよく気がつくもので。普段常時がいかに恵まれている事か、、、。


(西荻窪界隈には、こうした棕櫚の木が植わる、戦前からの和洋折衷の洋館があるような住宅が混沌としている)

先日は職場の先輩、O氏と久々に再会する。私は古い絆を大切にするものだから?異動や転職であまり疎遠になることは実に稀でいて、好いた先輩にはまた会いたくなるのでいる。

実に半年ぶりでいるので、「ブルースについて語り合おう」とそう決めていた。というのもクラプトンのフアンであり、ひとり夜勤明けでカラオケへ行き「クリーム」の「スプーンフル」を唄うという工程がある人。また自分が着ているオーバーオールを褒めてくれた人で「自分も買ったんや、、年老いたらオーバーオールでウイスキー呑みながらドブロだろ」と。恐慌化、綿積み時代のようなおっさん二人方並べて歩く。

ブルース好きでいるが、時代的にプログレ好きでもいて、ピンクフロイドとキングクリムゾンの「太陽と旋律」について、熱く語りだすO先輩。「キングクリムゾンはビートルズを抜いたんやぞ!」そう熱く語るO先輩。、食事は何でもよいとの事で、なぎら健壱がチョイスしそうな「ハムエッグ」を注文。

これ、また美味そうじゃないない!話は楽器に代わり、「なぜギブソンはあまり好きでないのか」「手巻きの電気コイルと、その影響」と、なるほど理系大中退、その長い長い理論からして読み解くに、方程式見たなものが螺旋状に組み重なり、好き嫌いの判別が生まれるといった具合。徳島県出身でいる、O先輩でいるが、あの独特のイントネーションは「阿波弁」というらしい、が、どぎついことは無く不思議とO先輩の世界に引き込まれてしまう。

最終的にはシネマ狂いでもあり、西部劇、ジェームス・ガーナ―やマックイーンの遺作について語りあい、数時間でいたがお腹いっぱいでいたのだ。ちょっと色々あり、あまり元気のなかった印象のO先輩でいたが、いつも膝を叩いて笑うその姿に安心したのでいた。

「またな、、MadKちゃん」そういって暗闇に消えた先輩を、小さくなるまで見送ったのでいた。自分はどうも10歳上、20歳上ぐらいの方が可愛がってくれる。ま、いわば昭和の晩年世代でいるけれども、その人たちが普通でいたことが、やんわり理解あるからであろう。それは当たり前の喫煙だったり、男のわがままだったり、我で通そうとする男ゆえの昭和な、わがままだったり、、。自分は今の現代のスタンダードにそぐわないと思う。

特に自分は還暦過ぎあたり、と50代半ば世代の人が好きである。同世代の人たちと付き合うよりか、遥かに楽しいし、「新しい昭和」なのだ。レトロブームなんてお遊びさ、、またそうした昭和先輩との交流を楽しめたらと思う。オリカエシ地点、いつまでも影響を受けたい中年ここにいる。



2024年5月22日水曜日

KFCのオリジナルチキン

朝起きると首に違和感あり、どうやら寝ちがえた様子でいる。
本読みながら寝るのが、無理の姿勢の元凶なのだが、読書しながらうつらうつらするのは幸せそのものでいて、脳裏をよぎる「楽は苦の種、苦は楽の種」とはこの事。このおかげで一日首から肩にかけて重たく、子なきジジイを背おっているような一日だった、、、。

ふと庭先を見ると、縁の下でアゲハチョウが翅化していた。この時期だから夏型に近い春型、、となるが、冬を越した個体ってのは色彩も明るくて可憐である。翅化したてだったんだろう、翅をハタハタさせて乾かしているからしばし観察。ミカン科キンズの葉を丸裸にされてしまい、致し方なく今年の春から薬剤をまいているのだが、、この昨年の秋口に丸裸にしてくれた個体であろう。まいいさ、としばらくしてまた見に行くと、すでに飛び立った後でいたのだ、、、もうそこにはいない。

余談だが、沖縄地方のアゲハと言えばほとんどが黒いアゲハだ、暑いからであろうか?かつて沖縄の座間味島で初めてナミアゲハを採集したときは、逆に驚いたほどでいた。と、内地では普通のクロアゲハも少ない。内地とは真逆な構成、塩屋湾近くの産地だけが、なぜかクロアゲハは多く捕れ(それも赤斑の発達した、内地ではまず見ない個体)興奮したもの。もうしばらく昆虫採集にも行っていない。また汗だくになり野山を駆け巡り、Tシャツをぐちょぐちょにして額の汗をぬぐいたいものでいる、、。

、、と今日は職場の懇親会で用意するケンタッキー・フライド・チキンを受け取りに行かなくてはならず、所用をこなして仕事中に商品を受け取りに行く。20Pも注文すれば、あのパーティーバーレル・2個分となるわけだ。1つのパーティバーレルが3000円ほどだから、地味に1Pが300円近い値段となる、、そりゃバイトをしていた20数年前とは値段に差が出てくるのは、物価的にも当たり前だが~、1960年代にはラーメン120円とかそんな値段でいたのに驚いた高校時代、そうした物価という物の図式がようやく理解できたような、理解できていないような、、、。

60年代、大卒初任給が47000円とかの時代である、たばこ30円でも納得できるが、いまだに作業所リサイクルにて50円100円の衣類を買っている自分の、そうした値段の錯誤はリアル60年代なのかもしれない。そんなんで久しぶりにケンタッキー・フライド・チキンにかぶりついた。いや、いつ食べてもケンタッキーはうまいもの。沖縄では法事や年始のあいさつでケンタッキーを持参すると聞く。基地の文化からか、なるほど沖縄地方はなかなかに肥満体の男性も多く見かけるもの。
自分もバイト時代に、嫌というほど食べ体重が5Kgも増えたことがある。アイビー傾倒でいたのに体幹が太くなり、オックスフォードのシャツがパツパツでいた(笑)
手軽に買えるが、どうもケンタッキーは敷居が高い。それは中年にとっては「やがて身となる」ヘビーな食である事わかっていながら、ついつい衝動食いしてしまう、大盛カルボナーラのようなものでいる。、、そんなケンタッキーを1個かぶりつき、ご飯は半分残したのでいた(笑)


2024年5月21日火曜日

身の丈に合う休日

久しぶりに晴れた休日は、何故だかドリカムの「あの夏の花火」が脳裏に流れるという物。
あの92年あたりにでたアルバム、チャゲ&アスカの「スーパーベスト2」、米米CLUBの「君がいるだけで」収録のアルバムは「ファイ」か、、、?


中学一年は他区域からの合流、という混沌から生まれる10代カルチャー、まず大人の入口は「時代を捉えること?」それは音楽である。音楽を語るとカッコいい。そう、中には兄貴の影響?からかメタリカ好きがいたり、姉貴の影響だろう、やたら吉川晃司・藤井フミヤ押しが混沌としていた。みな自分の主張ばかりで交わらず、そんな中に同時並行で聞かざるを得ないのは、やはり流行歌でいた。しかしながら、あんなに自分の好きな世界を、熱く饒舌い語らいでいた彼らは今はいったいどこへ行ったのであろうか、、?あちらだってそう思っているに違いない。
この前はジョギング帰りに粗大ごみでSONYの「DoDeKaHorn」が捨ててあった。90年代前半、ラジカセ全盛時代の黒いバカでかいラジカセである。我ら中学時代に馴染みのあるスタイル、「DoDeKa」とは「どでかい」スピーカーとはよく言ったもので、スピーカー部の進化が突拍子もなくデカい。汗でぐちょぐちょの中、その埃を被ったラジカセを見ていたのだが、、その煤だらけのそれに30年の月日を重ねる。30年なんてのは寝て翌朝みたいな感覚だ。


、と久しぶりに作業所廻りとする。大泉エリアのよく行く作業所兼リサイクルをめぐる。
作業所の人はいつもひたむきで、純真でいるから、煤にまみれた40代の生きざまが恥ずかしくなる時がある。商品くまなく見るも、、ムーンアイズのTシャツが100円であり、購入。こういした出会いがたまらない、だれがSストリートでなんか買い物するものか、と。
その後数件廻るも、今回はTシャツ100円以上、である。
もう数千円もだしてTシャツなんぞ店舗では買えないし、買おうとも思わない。それは「生活の柄」でないけれど背丈にあった収入からのスタイルがベストである。中学時代に、スニーカーブームもあったけれど、NIKEだReebokだのに憧れて、そのロゴ入りの靴を漁るように見栄で履いていたが、親父はダンロップの黒いスニーカーを履いていた。それはディスカウントストア「Oリンピック」という店舗の目玉商品として、90年代中期に当時広告で入っていた特売商品でいて、40代のオヤジは1980円のそのスニーカーで職場まで通勤していたのだ。
その時、なんだか物凄く見栄っ張りな自分が恥ずかしく思えたこと、自分のそうした根性がひん曲がっていることに気がついたものだが、、かかとのすり減った中古の靴を履いている、やはり40代の自分、その達したんだなあと「やったあ!!」とつい叫んでしまうでいたのだった、、、(注・決して不幸な身の上でない)要は、40代は見栄を張らずに、肩の力を抜いて「あるがままに生きてゆこう」という訳である。

午後は小休止ののちに、西荻作業所でパンを保管するホーローのケースを800円で購入(これは前から気に留めていた、800円は高いので躊躇していたのでいる)その帰りがけには、西荻モンガ堂へ久しぶりに立ち寄る。JAZZの書籍を漁るが、、ボブ・ディランの書籍数冊あるのみで今回はお預け。本当は手元に置いておきたいところだが、、おこずかいは大事に使わなければね、だ。、、ほうぼう行った行脚な休日、西日に暗雲、ぽつりぽつりと頬を濡らす夕立未遂に、「いい休日だったな~~~」(映画・居酒屋兆次の高倉健のセリフより)

2024年5月20日月曜日

オスに押忍

 自分が採集、世話しているノコギリクワガタがまた生きている

もう来月で1年になるのだが、、冬場やや活気無くも、春になったら元気そのもので、こんなこともあるかと驚いている。同じ虫や(昆虫マニア)の、S氏(S氏は甲虫専門)に聞けば、「ノコギリの場合、寿命は冬は越さず2~3か月がいいところ」との事。自分もクワガタにしては何種か飼育してきたが、こんなことは初めてでいる。西東京市産の大歯のノコギリクワガタのオス、に押忍である。

しかしながら、ずっと気になっていて、蝶やである自分(チョウ専門)は中野むし社へ問い合わせる。むし社はとても親切、どんな疑問点でも明瞭に答えてくれるのは、子供も多く訪れるからであろう。「ノコギリクワガタのオスの寿命は、、?」「どこ産のノコギリですか?」「東京産です」「普通にみて2~3か月が寿命ですね」「うちのは6月で一年になるんですが、、」「まれにそういう事もあります」「その要因は何ですか」「環境による影響が大きいですね」「、、ありがとうございました」と。

親切な店員さんでいて、嬉しくなってしまった。自分の知りたいことを質問し、その答えが明瞭かつ迅速だと胸がスカっとする。かつてバイクに乗っていた時の、八潮のMさんも、その質問の答えが実に間もなく、とっさに応えられて「ああ、この方は弁士向き」とそう思ったことがある。ジャンルはそれぞれだが、不思議な共通項があるような気がしてならない。久々に胸躍った、夕刻の2,3分でいた。

と先日、久しぶりのGS「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」を聴く。

ゴールデン☆ベストがあり、ついつい図書館・衝動で借りてしまう。やたら長ったらしい屋号でいるが、有名どころは「ブルーシャトウ」、、。「ジャッキー吉川」、、不思議な名前でいるが「ジャッキのようにタフ」であるから「ジャッキー」である、という風な事を本で読んだことがある(ちなみにリーダーであるジャッキーはドラムス)

でもなぜ?クラリネットとかサックスがGSなのに付随するか謎でいたのだが、、「JAZZ」あがりであるバンドであることに気がついたのはここ数年である。

母親はタイガース・ジャガースの追っかけでいたが、10代後半の「マイ・GSブーム」の時には「ブルコメは年寄」みたいな言い方していて、なんて不謹慎な親だと憤慨したものだが(個人的にはブルコメ押しでいた)、ナンパな感じがしないGSであり(このあたりの感覚も、60年代NHK放送倫理っぽい自分)、どこかで読んだか、NHKへ出入りできたのはブルコメとザ・ワンダース(尾崎紀世彦在籍のGSバンド)と聞く。

当時でいう横分け7.3も健全?なコーラスグループといった具合。(自分が好きな初期のモップス、ダイナマイツ、ゴールデンカップスはまずダメであろう)いかんせアイビーに傾倒していたのもあり、10代後半はブルコメからの影響大な高2高3でいた(笑)、が今見れば、ブルコメは、けしてアイビー的でない事に気がつく。(あの横分けやタイトなダブルのジャケットや、キーボードの粋な顎髭、なんかが和製であるがトラディッショナル感がしたもの)


中でもブルコメだけに「青い~」シリーズの曲は必聴、EP「青い瞳」のジャケはおそらくだが、四谷の迎賓館の前、ジャガーEタイプと共にメンバーが映っているもので激渋!!と、友人のSが親父さんが懐古CD集として購入、それを面白半分で聴いて覚えてきたという「青い渚」。なんとも陰鬱ではないが、あの旋律は模倣にしては、本州の風土とイングランドの風土とがハイブリットして奏でられた実験的要素な感あり「♪恋の終わりは、メランコリー」そんな歌詞からして、なんともセンチメンタルな旋律が17.18の私の心を射抜いたのだ、、、。

それを40代半ばにして、再度聞けば、、。そんな余裕のなくなる19歳の前の、嵐の前の狂乱かフィツジェラルド的な華やかさか、今から思えば世間知らず。世間知らずな「現実前」の嵐の前の静けさの中で、マイGSブームを10代後半の「時代錯誤」の中で聴けたことが良かったなと思える。では、最後に「北国の二人」をリクエスト、団塊世代に受けが良いのは「北国」か。

2024年5月19日日曜日

「肉弾」ベン・ジョンソン

 周囲から「髪の毛を切った方がいい」といった助言?を受けることが多くなった。

もう結べるし、、これでいてやや天然パーマッぽかったら(好例・初期の井上陽水)自然なアフロっぽくてカッコいいんだが、、どうも直毛の長髪となると海援隊時代の武田鉄矢、80年代後半世間を賑わせたさせた宅八郎っぽくなってしまう。ことのほか女子からの不評がひどいもので、負けずと切らずにいるのだが、、も40歳も半ばの中年男のする事、どうでもいいじゃない!?クラスの人気者気取りでいるわけでもなく、伸び行く髪を楽しんでいるのだからホットイテ欲しい。(むさ苦しく、目に付くのであろう)

仲間内には「90年代に戻る」なんて訳の分からぬ理由を述べているのだが、、実のところはそうでなくカウンターカルチャー世代を、過ぎた時代でいるけれど、長髪とは何となくこんな感じなんだ、と前髪をかき上げてみたいのだ。しかし、何とかしなければと考えてはいるもので、、どう長髪を、不快感与えずに維持して行くかを、来月行くであろう散髪までに答えを出したい。(これでシェードなんか入れて、また短髪にしたら、ただ世間一般的に「気持ちの悪い」時期であっただけになってしまう)

1973年あたりの42.3歳の「野坂昭如」も流行作家と言われ長髪でいた、なんて一人よがりと言うか、自意識過剰というか、、そうした冷静に自己を分析する、もう一人の自分もまた面白いが、、。もっと他のことに労力を注ぐべきであるのは確かである。

先日、ジョギング帰りにふと「ベン ジョンソン」を思い出す。ひょっとしたら「ベン・ジョンスン」かもしれない。あの88年ソウル五輪の100M走金メダリストである。のちに剝奪されたのは、そこばかりの印象で、あのムッキムキの肉体に金色の、日本で言う「喜平ネックレス」。あの「ロケットスタート」時に、白い眼球がギラりとゴール地点を睨みつける、最高のボルテージその瞬間、ベンジョンソンにしびれたもの。ムッキムキの肉体が徐々に持ち上がり、大腿部がうねりを上げて脈動、ダダダダ~~とスタジアムを駆け抜けて見事に1着!!カール・ルイスなんか全く目になかった、当時小学生だったこと頃の自分。

剥奪されたなんて信じなかったし、やたら「筋肉増強剤」という言葉が流行ったが、、カナダ代表チームのあの赤いジャージもベンジョンソンの情熱のように感じ取られ、今だに自分の中のヒーローでいる。そのゴロから、便所にまつわるシールやカードが、子供たちの間では冷ややかに流行ったものだが。自分は当時「ロッチ」「戦国武将シール」や「ラーメンバーシール」といったものを集めていたが、何となく口では言い表せない物悲しさがあった記憶。

まさに、あのロケットスタートは「肉弾」である。戦前の軍歌にある・軍神「肉弾三勇士」のその意味合いとは異なる、美しくムッキムキな9秒台の危うさが、儚くて素敵だった。あの剥奪されたあとの、ベンジョンソンは一回り小さく見えた。あの帰国の途、モミクチャなベンジョンソンに一人「がんばれ!ベンジョンソン」とブラウン管テレビに吠えた自分、、。あれから約40年、、そんなベンジョンソン・フアンな中年の男が、TOKYOにまだ在。


2024年5月14日火曜日

目糞鼻糞

何となく気分がさえない。まさに西荻窪の薄っすら出た、フレア太陽光か。

ま、こうして生活していると色々あるもので致し方なし。先日は小坂忠のフアーストアルバム「ありがとう」を聴きいっていた。はっぴいえんど色も強くて、、これを聴いてしまうと拓郎陽水小室等、もいいけれど、何となく感性的に聴けなくなってしまう。

以前、ミュージックTVかなんかで小坂忠の番組をみたが、おもむろに甘党である氏が、「これ、、ちょっと食べちゃっていい?」と一声かけて、あんみつアイスを食らいつくシーンを思い出した。大病した後とのことで、えらく痩せた印象でいたが、もうこの世におられないと思うと物悲しいもの。加川良や高田渡もそうだが、、確実に世代交代が進んでいて、気がつくと亡くなっていることが多い。


ちなみに小坂忠の亡くなったのは、一昨年は4月。自分は所沢・松郷辺り「さくらタウン」での、細野晴臣のイベントブースに足を運んだ日だった。(車ではアルバムHOROを流していたっけ)以後、所沢方面に行くときは小坂忠か細野晴臣と決めているのである。

けど、昨今は愛宕山交差点に在った「TO YOU」も無くなってしまったし、所沢クリーンセンターも期待に応える掘り出しは稀有でいて、、。行きたくなるとすれば、清瀬市シルバー人材センターの展示ブース、か。あそこは今は亡き祖母ちゃん宅にあったような、応接間の時計だったり、懐かしいものがゴロゴロ。シルバーの方がも親切で、昼時に行けば弁当をつつきながら対応してくれる。自分はそういう雰囲気が好きなんだなあ、、。まだ清瀬市・所沢市・新座市には、そんな感じがある。畑と一戸建て、そうして砂埃が恋しくなる時がある、、、。

そんなんで昼も日中にまた川沿いを走る、、。気分とは裏腹になんて澄んだ五月晴れの空なんだ!たまらない、、幾重に続く空の下、息を荒げてゆけば、目の前の信号が赤になりそうだ。人間の一時の感情なんてものは目糞鼻糞、、。ジョギングするとそうした気持ちになれるから辞めれないものだ。





2024年5月12日日曜日

心の特効薬

 このところ走り込んでいるからか、体が身軽だ。

だが、あまりやりすぎると膝に来るので(ガショウエンというらしい、字は不明)何となく気晴らし、そうジョグは酒なんかより、よいフラストレーションのはけ口となる、ようは悶々と何もしないで色々考えるから、鬱っぽくなったりするもので、あまり考えねば良い。疲れていてはそんな余裕もなくなる。我慢のできない性質の自分には、こうして走り廻っている方が効率が良いみたいだ。

先日、ようやく図書館から予約の視聴覚資料の順番が廻ってきたと連絡あり。

六角精児の2枚目アルバムとなる初ソロアルバム「人は人を救えない」である。

実は人気のCDでいて20人近い予約希望が入り、、昨年暮れには順番が着ていたにもかかわらず、取り置き期間を過ぎてしまい、次の人に流れてしまった。1枚2週間借りれて、でも延滞する人もいるだろうから、おいそれと借りれるもんでなく、、やはり半年たって2回目の正直、手元に届いたのである。NHKの「呑み鉄本線・日本旅」のバックで流れるそれでいて、カバー曲中心の、六角精児チョイスが、その時代が好きな自分にとってたまらない。

「やつらの足音のバラード」、「各駅停車」、「お前の町へ」等、あのどら猫みたいな六角精児の歌声が、凝り固まった心のモツをゆっくりと解してくれる。休日の昼下がりには録りだめた「呑み鉄本線~」を観る日々である。結果、、約1年待ったわけで、、ま、そんなに聞きたいならば買えばという話なんだが、「待つ」楽しみと称してケチ。

それと同じくして、小坂忠のファーストアルバム「ありがとう」も、新たにありこちらは6番待ちでいた。奇しくも六角精児の1年待ちのアルバムと同時期に連絡がきたのだ。

「HORO」は何度も聞いたが、実は「ありがとう」はシングルカットした物しか聴いたことがなく、アルバム全体を聴くのは。これもあたり!!「いなか道」やオリジナルの「機関車」はついつい聞き入ってしまった、HOSONOサウンド



このアルバムが1971年だから、凄いすすんでいるというか、クオリティが高いというか、、、。後年の拓郎やかぐや姫なんかもいいんだけれど、すごく時代を感じさせてしまう、あの灰汁がないのだ。なぜシティポップが騒がれるが、その礎となる頃の、キャラメルママや細野晴臣はそうでもないのかが不思議。入間のジョンソンタウンに行きたくなる衝動。


ま、そんなんで「心の特効薬」は効いたんだが、、月末につれて懐具合が寂しいもので、、。と、よせばよいのに仕事の行きがけに、杉並区のリサイクルセンターの工具売り場、、工具好きで昨今近くに立ち寄ったならば必ず寄るのだが、、!!そんな中に、スノーピークの「ペグハンマー」を見つけてしまう。

あのキャンプのテント張の際に、地面に打ち付けるそれである。実は地味にキャンプ用品を集めている自分。(自分はけして新品では買わない)こんなプロっぽい、そしてゴツく引き抜くそれを持ち揃えたハンマーに心酔。600円、、買いだなこれは。

こうした事を連続して続けているから、小銭が大銭になるもので、チリ積。、、そうした衝動はフリマ上がりの10代のころより培われた、アーカイブコレクションとなった我が書斎は「雑多」である。五月晴れの雑多感。




2024年5月8日水曜日

フジロックのTシャツ

午後から雨が降ると、、で午前中に一極集中して、したいことをしようという運びに。

雨の前兆か高湿度、ムワリとする中を、開襟シャツの半袖でも汗ばむほど。

昨今キャベツの高騰が騒がれていたが、これだけキャベツがあるのに本当か、それは春キャベツに限った事だったのか、、詳しく流通のところ知らないが、1月前あたりまで白菜・キャベツと吹っ掛けたような値段でいた。


モンシロチョウが優雅に舞う中を、海野和夫氏の写真「モンシロチョウの交尾拒否反応」の一枚が脳裏に過った。交尾済みのモンシロチョウはおしりを逆さにのけ反らせ、オスのモンシロチョウに意志表示をする一枚。チョウ採集も昨今はご無沙汰でいるが、、先日は都立公園の林床でヒオドシチョウを見かけて胸躍る。

冬を越した越冬個体なのかもわからないが、優雅に日光浴をしていた。昨年の初夏には、柳の木の下ではコムラサキなんか目撃したこともあり、ほとんど見ることがない都内でのそれらの蝶が、居るところに居るのである。そうした事情を鑑みるに、そういう事に気がつくことにも、だんだんと生活に追われ鈍くなっているに違いない。少年の気ずきを持ち合わせた半ば中年の、蒸し暑い初夏のフリーホリーイン、クールハンド・MadK、やはり独りよがり。

今回は三鷹市の作業所の中古衣料品を漁りに行く、、、。ざっと見ると、、昨年のフジロックのスタッフTシャツが200円で出ていた。

フジロック、、苗場なのになぜフジロックなのか、新潟ならば八海山ロックの方がそれらしいんだが、、ああいう野外の催し物に行ったことがない。いわば現代の、日本のウッドストックなんだろうが、自分的にはどうしても時代背景的に「中津川」フォークジャンボリー、になってしまう。(第一回は中津川~は、ウッドストックより日付的に先行していた、なんて話も)。

以前、中越旅行(長岡)に行った折に、日程的に八月の初旬、フジロック帰りの人たちとパーキングエリアで出くわしたことがあった。一発でわかる、その共存共栄感。「あ、、もう空きますから、、ここどうぞ」「僕たちもう行くんで、、大丈夫ですよ」、、。アウトドアブランドに身を包んだその人たち、家族持ち、仲間内それぞれだが、その何日間を共有した感がにじみ出ていて、羨ましかった。俺はいつ都内に入るか、帰ってゆっくりしたい、、そんな事ばかり考えていて、、。これじゃうちの昭和期のオヤジと一緒じゃないの!?されたことを「履行」する、その自覚のない性に苦笑いをする。

結局200円で購入、、これもあのパーキングで出会った人たちの如く、羽織ろう。もう黄ばんだヘインズのビーフィしかない今年の夏に。そして「、、お先にどうぞ」と。

蒸し暑いが、日差しがないので何時もの川沿いを走る。走ると「邪念」という偏った心の「ごみ」が払しょくされるような気がする。実際男性の更年期は、テストステロン減少から始まり、だからか女性みたいな中年の男が増えるというのは。

ジョグは、そうした作用から引き起こされる作用に、そして筋力の維持管理に有効と聞く。何もやらないと、覇気の欠く中年男性になる。ただ黙々と走る、、、ただただ走る、、それが私の生きる道。







2024年5月4日土曜日

迷ったときには「買い」

 連休後半の明け、、

刺すような日差しの中から、日暮れ、夜半、宵、明け方と一晩やり過ごしたのでいた。

以前出勤前に、あまり自販機では見かけない「ルート・ビアー」を発見(発見した時には売り切れ)何度か、足を運び入れてようやく補充されたようで、4本購入したのでいた。「ルート・ビアー」「ドクター・ペッパー」「マウンテン・デュー」はメリケン風三大御三家飲料と自負している。嫌いな人は嫌い、そしてコーラや邦人好み炭酸に押され気味な、「やや癖強い」飲料でいる。沖縄の人は、この「ルート・ビアー」を基地からの影響か、懐かしく呑む人が居る。クレイジーケンバンドは「♪歯磨きみたいなルートビアー」と唄う、なんとなく惹かれる飲み物でいるが、、なぜ4本も買ってしまったのであろうか、売り切れを焦らされたからであろうか、、、。こういう事をしているから、小遣いが減るという物で、、わかっているけどやめられない性である。

そんなこんなで帰路に就く途中にて、杉並区のリサイクルセンターを覗くと、、、。昨今では、ほんと必要となくなったネクタイ、事務所もみなシャツ一枚、昔みたいにネクタイをして仕事をする業種って、ほんとに減りました。であるから、「トマソン」と化したネクタイが売られているのだ、自分はコレクションしているので毎回目を通す。、、!とでた、ブルックス・ブラザースのネクタイが4本も出ているじゃない!!柄・色彩で遠めでも一発でわかるアメカジの帝王・ブルックス・ブラザース(ラルフではない)


(2枚目の写真・80~90年代であろう、ブルックス・ブラザースのタイの方が自分好み)

区にこれを寄付した人も、昔はバリバリ仕事をこなされていたのであろう。1本100円とは、、フリマよりも安い。こうした物が出るから、立ち遣らずにはいられない。これから、こうしたネクタイやシャツも活用してゆけそうなので、それが今年の春の自分の転機であろうか、と。他にスタンドカラーのシャツ、これはカウンターカルチャー的な花柄でいて実に面白い。15分ぐらい迷っていたのだが、、迷った場合には「買った」方が良い


次に来てない事の方が多いからだ、このシャツおいくら?700円でいる(自分的には高い値段設定)、まえの「ルート・ビアー」でないけど、こういうチョイチョイした買い物が蓄積されて、、だんだんと懐の事情が寂しくなるもので、、。嬉しいような寂しいような、中年の5月さつき咲きでいる。もう何年こんなことをしているのであろうか、、生活の柄。

帰宅後は、体力温存もあり川沿いを走る。


刺すような紫外線、職場の女子が「ちゃんと対策しないとシミがひどくなりますよ、うちの旦那は飲む「紫外線対策」をしている、、」と。そうかと、薬は塗らずともキャップを目深に被り、ランナー用のサングラスを装着し走る。しかし煩わしくて致し方なく、、後半はキャップの唾を反対に、サングラスも外して走ってたのでいる。、、公園の蛇口で水をがぶがぶ飲む自分を、散歩に来た子供が何度も振り返り観ていた、、「あのおじさん、何してるんだろう?」と言葉出ずにも純真の疑問。かつては大型犬に水を飲ませる人があって、その後ろで並んで待っていると飼い主が「あ、、すいません!!」なんて譲ってくれたことがある。その辺り気にしない自分、蛇口に口は付けないまでも、逆さ呑み。

ああ、いい明けの時間の余裕だったなあ~~。



2024年5月1日水曜日

ガラパゴス中年

 五月に突入、昨日今日と天気がさえない。しかしながらこれを超えたならば、ゲンナリするほど初夏の日よりが続くのであるから、こうした「五月病日和」が心地よいものでいる(5月病の最終罹患は17歳の5月)面の皮が厚くなったと言われるが、年々鈍感になるもので、、そのあたりはそれでよしと、「年の功」とポジティブにとられている、、。


先日は映画「ケイン号の叛乱」を観る。ハンフリー・ボガードがやや病んだ掃海船の艦長として赴任してきて、色々ゴタゴタがある話だ。煮え切らない感じのボギーがもどかしくて、そして神経質・粘着質な役柄が大変に面白かった。ああいうUS軍隊物、話の筋を知らずに見るというのも悪くない。ジャック・ニコルソンの出ていた映画「ア・ヒュー・グッドメン」もそうだが上官下ろしの裁判映画は、ハラハラするものがある。
昨今は古本屋巡りが出来ていない、勤務時間帯もあるが朝早いとやってないし、遅いと閉店しているし、、無性にあの古本の据えた匂いが恋しくなるというもの。つげ義春や植草甚一の本でなくとも、開高健や野坂昭如、昭和一桁世代の本が無性にほしくなる、その生きざまに触れたくなる衝動に駆られる時がある。買う買わずとも「ああ、こんな本を出しとるんだ」と手に取り、買うか否かを考えるのが良い。であるから、自分の書斎はそうした「据えた」匂い漂う、雑学の書庫となりつつある。そこにこもり一日をねぎらう、この空間だけは弥生時代の有力豪氏の墓の中、棺物のそれに囲まれて閉塞感、閉じられた密閉された空間での寝息は2000年を超えて翌朝に至るのだ。、、超えたのは7.8時間である。

ふと同年代の旧友はどうしているんだろうと思う、中学高校の同級生はどう生活を営み、どういままで過ごしてきたのだろうか、、と。余計なお世話であるが、正直気になるところで、自分は同情を得たいのか、男の虚しさを共感したいのであろうか。みんなそうして老いて死んでゆくことを、頷きたい、「自分もそうだよ」と言われることに期待しているのか、、。

みうらじゅん、は同窓会で熱を上げる人達を「野獣の群れ」と揶揄していた。もう、何十年も会わずにいれば経験の差から、もうあの頃には戻れないのは解っているにもかかわらず、団結結束を生きがいとする人たち。気には掛かるがどうも同窓会は苦手である、、、。10代後半の印象が立ち消えになってしまう(お互い様だが)、リアルな現実に肩を落とすことが実に多い。一度高校時代の同窓会に出たことがあるが、二度と出ないと誓った。「おそらく○○だろう、と変わった容姿・その推測に無言になるのが耐えられない。(お互い様なのであろうから)それで酒で誤魔化し失態、なんてなれば最悪である。

共感がないゆえに孤立化・中年は独自の進化を遂げる、その辺りを自身に問い続けてゆきたいと思う。ガラパゴス・厄年後の中年の迷走。

Jジャーエールのエールは、応援ではない。

 と、またも見つかった 虫歯治療 をしに、かかりつけの歯科がある目白辺りまで、クロスバイクで向かうのでいた、、。 先日の受診に帰り際に、、レントゲン撮ったらその影が反対側にあるとの事で、、年内に、いまある虫歯を治そうという、という、そういうアプローチ。 いかんせ、ビール代用として...