2024年6月30日日曜日

根暗なのかアクチブなのか

 蒸れる休日は、気ままにいつもの街を一回り、、、。


こずかいもそこそこあるし、そうした場合には、時に行きたくない方面へ向かうのも悪くないもので。先日はTシャツを数枚買った、、髪も長いし、中年の色気?とあやかりヒッピー的な絞り染めのシャツを1100円で購入(もちろん中古衣料)この手の、決まった思考の人しか着ないものは安い。タイダイは、大手中古衣料品屋を観れば大体1000円前後だ。かつて1971年に日比谷野音で岡林信康が行ったコンサート「狂い咲き」ではこの手の絞り染めのTシャツを、岡林信康が着ていた。もちろん生まれていないので、LPのジャケットで知ったのだが。「これが正しい日本のヒッピー」(1996年・チェックメイト誌・綿谷寛氏監修・イラスト)のイメージが抜けない自分、いつか絞り染めを着たいと思っていたのだが、40代半ばで着ることになるとは。

どうしてもフラワーチルドレンな親父を持つと、この手の物も必然と脳裏に刷り込まれているようで、、スッコット・マッケンジーの「花のサンフランシスコ」とか、ママス&パパスの「夢のカルフォルニア」なんかをバックグラウンド、幼少期から聞いているといけない。とどめに六角精児の「呑み鉄本線日本旅」で「六角精児おすすめの曲」コーナーで、「ザ・バンド」の「ザ ウェイト」が流れたならば、旅も終盤な気がする(まだ40半ばだから半分!?)

、、まんざら幼児教育が反映されているけど、いまさら反映って遅すぎる気もしないでもないが、、。

ここ数年は「」素材を重宝している、、といっても数枚しかないけど麻のズボンというのは実に快適、事の他こうした高湿度での汗だくのTシャツは、体幹に張り付き実に不愉快でいる。100パーセント麻だと、割合いに高価だから、綿麻が良い。先日買った無印良品の綿麻のズボン、笑ってしまうほど快適でいて手放せない。かつて、カンボジアの「クメール・ルージュ」の幹部たちが着ていた、あの上下黒の服は麻仕立てなのか!?昨今多い、ウェスト部位に紐が通っているし、ややフレア仕立てもそんなイメージ。けれど、昨今は古着ばかりで正規で服を買っていないな、、けどこれでいいんだと思う、楽しんでいるのだから笑

溜まっただろうコレステロール、先日のラーメンの蓄積を消費すべく川沿いを走るが、まるでシナ半島にいるのではないか、というほどの高湿度にやられる。みな歩いている人背中が汗で張り付いている。笑顔の人が少ない、眉間にしわを寄せて歩いている。「不快」なんだな、この陽気。井上陽水の「東へ西へ」がなぜか脳裏を流れた瞬間「床に倒れた老婆が笑う」、、それは恥ずかしい笑いなのか、「大丈夫ですよ、」その安否の周囲への笑みなのか、、そんなことを考えながら走る俺は、根暗なのかアクチブなのかよくわからない

解らないのは死ぬまで解らない、気がする、夏前の40代の男ここにいる。




2024年6月23日日曜日

未来予想図Ⅱ(中年編)

 先日、梅雨入りしたという関東地方、短期集中型の梅雨のようだ。

こうした季節の移ろいに敏感になりつつあるのは、感性は鈍化するけど加齢に伴う、新たなる段階の入口と考察

かの、みうらじゅんは加齢に伴う関節痛や、不調は放置せよ、と本で言っていたが。文化系の男がいきなり体育会系になんか、それも歳をとってからはなれないのだから、といった内容でいたが、自称体育会系の自分の左肩は、ジワリといたい(これは滞っていた腕立て伏せを、いきなり始めてからの後遺症なんだが)、、腕立てなんかしないで、予見持たずして「放置」すべきだったと。けど、逆に「体育会系」なんだと自覚したのだけど、その意気込みと、肉体年齢は伴わない、満足度は右肩下がりでいる、、、。

先日は昨今西部劇にはまっているの、1967年作のジェームス・ガーナ―主演の「墓石と決闘」を観る。この60年代後半、というのが良い。煮え切らない感がリアル。ガッツ石松の「OK牧場」、その真昼の決闘から始まる、伝説の実在した保安官「ワイアット・アープ」の話。牧場に「OK」と書かれており「ああ、これがOK牧場か!!」とつい叫んでしまったのだ。内容は盛られてはいるんだろうけど、アープ兄弟の黒を基調とした保安官スタイルがカックイイ!!ジェームス・ガーナ―出演の作品は、コメディタッチな西部劇しか見ていなかったのあり、「笑わない・おどけない」ワイアット・アープ役のジェームス・ガーナ―、すっかり虜になってしまった、、。西部劇映画にはしばらくはまりそうな予感、片っ端から見てゆこう、、。

そんなこんなで、久しぶりの虫やの「S先輩」が遊びに来る。多忙のようで、いつも会う時にはでいる。律儀な先輩はコージーコーナーのクリーム詰まったシュークリームを携えて、プリウスでやってきたのだ。もう35年の付き合いでいる、趣味とのつながりでいるがそういうのは実に素敵でいて、幾つになっても10代のころの会話でいる。

外来種の昆虫について語らい、今年の夏の昆虫採集の計画を、厳かに?すすめる梅雨の夜半、、。自分は「蝶や」、S先輩は「甲虫や」でいるが、互いの伸びしろは幾重にもあり、そうした「趣味の広域」というは大事。、、よくつるんでいた1999年、2000年の延長といった会話、から「おっさん」と化した現状、「面の皮が厚くなった」かつての青年は、余裕たっぷりだ。

余韻に消えたS先輩、ハザートを数回焚いて、まるでドリカムの「未来予想図Ⅱ」じゃない。



さて来月の採集行脚は勤務表次第ですな。そんな梅雨入り帝都の端の端。


2024年6月19日水曜日

「うれしい たのしい ラム肉大好き」

 蒸し暑く雨の一日、、帰りの車の中でFM放送を聴いていた。

ほんとはブルートゥ―スで飛ばした楽曲が聞きたかったんだが、ガレージセールで買ったネットウォ―クマン、よく固まる。思えばMP3とかも、当時は(2000年代前半)よく固まったもので、、当時首から下げてジョギングなんかしていたが、よくあんなハードディスクの詰まったもの持ち歩いていたなあ~と。(ちなみによく聞いていたのはエレファント・カシマシ、かクレイジーケンバンド)「今思えばかっこいいが、あれはかなり重たいものでいた(SONY製)固まると永遠に読み込んでいて~嫌気がさして裏面の「リセットボタン」をピンで押し、終了されるというもの。いかんせ100円で買ったものだから~約15年まえの威光を現代で味わうがごとく。

結局小坂忠のアルバム楽曲は聞けずじまいで~話は戻るけど、番組の曲紹介で「93年の楽曲で、ミスターチルドレンのクロスロードです」と、久しぶりに聞いた楽曲。


同級生たちの顔が浮かんだのだが、みな40代半ばになって、そういった付き合いをしない自分でいるがどうしているだろうかという心境になる。あの時のいい場面しか、浮かんでこないから思い出ってのはずるい。もっと苦しんでいたはずだ、若さゆえの苦悶。いまはそれがない、あっても現実的な(例えば金のとか、生活とか)自身への苦悶がないことに気が付く。若き日の旅路は「現実を知る」、いわば映画イージーライダー、キャプテンアメリカこと「ピーター・フォンダ」のあの名セリフ「、、俺たちの旅は失敗だ」である。ようは自分の生き方を諦めたんだな、、そうするとなんだか物事が上手くゆくのも癪なんだが、、もう一度「諦めたんだな」と。全然関係ないけど、90年代初頭の仲の良かった女子たちと歌ってただろう、ルーズリーフに意味もなく歌詞を書き写していただろうあの頃が、諦めた自分を責め立てるのでいる。けど、みんなそうだろうよ「もういいんだ」と。

あまりの高湿度とメランコリーさは払しょくできないのでいて、先日、西東京市のRで買った「ラムステーキ」でも食らい、憂さを晴らそうとそう決めていた。ラムのステーキ、なんてのは普通のスーパーではなくて、西東京市へ行くことがあれば必ずRへ立ち寄り購入する。ラムは好き嫌いあるが、ああいう獣くさい匂いのする肉は自分大好物でいる。好き嫌い別れる肉でいるから、土日でも大抵手に入れることができて、幸せである。いわばチョウやガの世界における、食草の喰い分けであり、ラム肉というスタンスは自分にとっては極めて好都合なのでいる。(ちなみにヤギ肉も大好物)

使用している、厚さが3センチもあるステーキ用フライパンで焼いてゆく。蓋をするのがまた是良し。あまりレアーは好かない自分はじっくりウェルダムがよろしい。10分ほどかけて焼いてゆく、と室内ラム臭くなるころ、至福のその時。


この塊にナイフを入れてかじりつけば、、だれがいったか原始人。中年だが、やはり男はこうした男性ホルモンを刺激するような肉の塊を食べなければいけない、でなければどんどん「おばさん」になってゆく気がしてならない。すでに職場の先輩方、「おばさんおじさん」化が顕著、筋トレして、肉を食って闘争心=テストステロンをどんどん出さなきゃと独りよがりな「うれしい たのしい ラム大好き」な入梅前。そのあたりは「諦めない」ぜ。



2024年6月12日水曜日

「シネマディクト」

 明けでいたが、、こうせずにはいられなかった。

東京は昨日に引き続き真夏日更新、こりゃ梅雨が今年も来なさそうな予感だが、こうした時期の炎天ジョグでグルにインドへ会いに行く修行」とカコツケて、走りたくなるものだ。昔はドアーズとかもっぱら聞いて走っていたのだが、音がないと交通環境的にも危うい年になったんで、無音。自分の荒い呼吸がリズムとなる。


人はジョグを「効率的でない」と敬遠するが、それは走りなれていないだけの口実、走り慣れてしまうと、明けといえどもこんな天気がいいのに、昼寝仮眠なんてできやしない心境になる。走り終えた後の、よくわからない「達成感」と心情の「ゴミ箱」を空にする、という至福感がとりこになるものだ。結果、なかなかに忙しい夜勤でいたが~炎天下走り込んで、すっかり明けは幸せ色になってしまった。

そんなこんなで、帰りがけに古道具やを覗くと「鉱石ハンマー」が300円で出ていた。地学は高校の時にすきだったなあ、タモリもかなりの地学好き・詳しいが高校の時分に、地学の授業になると、皆寝始めて数人しか真面目に聞いていなかったのを思い出す。たまに見かける「鉱石標本」なんか、胸躍るものがある。


さて、この「鉱石ハンマー」なのだが実は身近でないけれど、映画「ショーシャンクの空に」で鉱石を見つけて彫刻する名目で、運び屋のレッドに注文し届くシーンがある。普通、ハンマーを入手するなんて無理難題だが~あの1940年代ぐらいの時代背景からしては、可能だったのかもわからないが。その「鉱石用ハンマー」で脱獄するわけなんだが、、それをくり抜いた聖書に隠しているいう、所長への「灯台下暗し」な環境・観察眼、、、素敵。数十年かけた脱獄、、、ああ、むらむらと300円の「鉱石ハンマー」を自分も欲しくなったのだ。映画のようにコンパクトではないが、、マイ参考商品として購入。こういう事をしているから物が増えるわけなんだが、、元来工具収集は好きなんで、これらをツールボックスから取り出してにんまりと過ごす、それがなんとも「自分なりな癒し」である。


「ショーシャンクの空に」にも面白いが、、個人的にはポール・ニューマン主演の「クールハンドルーク」(邦題・暴力脱獄)が好きである。ポール・ニューマンってかっこいい、チャールズ・ブロンソンよりかっこいい、、なんていうかネチネチ具合がかっこいい俳優さんでいる。(このブログタイトルもそこから)1960年代後半のアメリカンニューシネマな流れや、社会に抹殺される、ハッピーエンドでない、そうした映画「イージー・ライダー」ないが「俺たちの旅は失敗だ」的な観点が、悲観的で悲しくてたまらない。

拭っても拭いきれないでいるのは、自分の生き方にも顕著か?氷河期世代め。親父の十八番はフオークルの「悲しくてやりきれない」だぜ、その息子がそうなるのも当たり前だのクラッカーだぜ。

あまり興味のない心境から、1972年の映画「ポセイドン・アドベンチャー」を観る、昨今自分がドはまりしている「ジーン・ハックマン」主演のパニック映画でいるが、、これは映画「タイタニック」なんかより数十倍面白かった!!いわゆる巨大旅客船が海底地震からの横波を受けて、ひっくり返るんだが~そのなかでひっくり返った、海面へでた、船底目指して、すべてが逆さまになった環境を模索し、海面に出ているだろう船底を目指す~というもの。

ジーン・ハックマンの、あの「ぶっ飛び具合」がなんとも魅力、映画「俺たちに明日はないの」のクライドの兄貴役がドはまりだけあったのもある。とりあえず見たことない映画、昔見たものは極力避けて、なおかつ「見たくない映画」で楽しめればと思う昨今。先輩O氏ではないが、、昨今シネマディクトになりつつある。


2024年6月10日月曜日

男版「パフィー」

みうらじゅん氏は映画「たそがれ清兵衛」に否定的であった、実は「たそがれ清兵衛」を観たとばかり勘違いしていたのだが、自分が見たのは「雨あがる」でいた(笑)

見たくもない映画を見て「え、ナニコレ面白い」と言ったものも多い、そのあたりはみうら氏の言うことがわかる。「白い巨塔」なんかも、見なくてもストーリ展開がわかるもので敬遠してきたのだが先日、田宮二郎の白黒の「白い巨塔」を観る。
以前は働いていた病院の回診もあのスタイルでいて、、それに田宮二郎が演じる財前五郎の泥くさいまでのヒューマンな出世欲が面白かった。結局ラストシーンでの、つまはじきにされてしまう善人医師の左遷、とか、現代でも場面は違って普通にあるものだなあ、と妙に納得してしまう。


そんなこんなで「うなだれて清兵衛」、はこの蒸し暑いけど気温の低い街へと繰り出したのでいた。通らない道を右往左往して、結局袋小路なんてな落ちもあるもので、若干不審者にみられることも多々あり。
月曜日は図書館が休みでいることが多く、寄り道ができないものだから「生まれて初めて」街道を探し、クロスバイクを漕ぎ行く、、、。と、夜中に街道筋を掃除している道路清掃車が停めてあったので観察。いつも日付変わる頃に見かけるので、白昼に観察するのは初めて。

第一印象は「ヤドカリっぽい」。それはこのタイヤの前についているブラシが、ヤドカリの毛深い甲殻を彷彿させるからであろう。このブラシ、ワイヤーのように金属でできている、これで側溝のごみを半ば強制的に掻き出すのである、、。その不思議な構造体を高湿度のなかしばし見入っていたのでいた。、、行きつけのリサイクル店は新たなモノはなく、、それは解ってそうしている自分、空回りの感あり。
と、撮影所には、いま映画でクランクインされた「帰ってきたあぶない刑事」、まさに復活だが~今回は「刑事」でなく「探偵」というスタンスらしい。「探偵」といえば我が憧れ松田優作しかないわけで、、。なぜ「探偵」になったのか、アウトローな二人だからお役御免になったのかもわからない。このお二人は世代的にうちの親父と年齢的にも変わらない、、足を組みがちな二人、おそらく劇中では吸わないだろうタバコ、、とこうなれば吸って欲しいけど、まさに昭和20年代生まれの「男版パフィー」であろう。

どうした訳か好感度持てるのは、リアルタイムで小・中学生のころ見ていたのと、今の自分の年齢とそう変わらないであろう背景、に自分ももっと頑張らねばならぬ、といった気持になる。氷河期どうのこうなんて、今の世代には目糞鼻糞でしかない。そしていつも思う。「俺はいつも単純だ、、、」と(笑)
、、あの日産の車は何だったっけな、、ガゼルのマークなエンブレム「レパード」だっけな、、あの新作でもレパードが登場するのであろうか、気になるところ、「探偵」だが。

その後も数件廻るも面白いものはなく、帰路に就く。昨日は休息日(勝手都合で、そうあることにした)ジョグをしなかったのもあり、川沿いを10Kmチョイ程走る。不思議なもんで、パソコンでないけど不要なデータが、心情的にクリアされたような気分になる。ジョグ後はビタビネCを流し込みながら、チョコモナカジャンボを食らいつつ帰宅。
どこか行きたい心境から「六角精児の飲み鉄本線日本旅」をみて、行ったことない山陰エリアに浸る。境港へいたる電車、デカール車両「子なきジジイ」電車に乗りたいと希望していた六角氏が全く関係ないデカール車両が着き、乗車するところが今日のハイライト。
、、あすからブルーカラーな日々へと戻ります。

2024年6月9日日曜日

偏屈への入口

蒸し暑さ リネンのシャツで 麻の朝


つい数か月前までダウンを着込んでいたというのに、もう夏の装いへと至る、諸行無常の日々。ああ、ブルーカラーは死ぬまでブルーカラーだぜ。肉体労働者の移動手段となれば歩きか自転車通勤は鉄板。後者自転車通勤が常でいるが、背中にじっとりと張り付き漕ぎ行くゆえの産物「発汗」を、少しでも紛らわせようと安物の麻のシャツで自分で自分の労を労う。麻は綿麻製品が安価でよい、要は綿との混ぜ物だが、、綿に比べればだいぶ過ごしやすい。すぐに乾くし愛用しているのだが、、この入梅前の寒暖差で、日が暮れれば思いっきり寒い思いをすることもある。
素材に傾倒し、そして気候に左右し始めたのもジジイになってきたな、意固地になってきたな~そう「偏屈への入口」だなあ、、とそう呟くのだった。
沖縄時代の廃鶏食を思い出す。沖縄の北部では産卵鳥の、年老いた個体を「廃鶏」と呼びそれを、安価で手に入れて、自身の好みに味付けしたタレに漬け込み、よくバーベキューをしていた。「廃鶏は安いさ、けど硬いからよ、、こんなして漬け込んで食べるわけ」と説明してくれたっけな。確かに硬かったが、うまかったものでオリオンビールの発泡酒で流し込んでいた。そんな意固地になりつつある自分を、沖縄北部の「廃鶏」と重ねれば、うん、確かに痛めた左肩はいまだだ不調であり、柔軟性がないことから、色んな意味で「硬く」なっているのは間違いがない。
そんなことをブツクサといいつつ、出勤途中にいつものリサイクルに顔を出す。95パーセント年配の女性でいて、自分みたいな男は数パーセントの確率でしか現れない。が、なんども顔を合わせると「あいつだ」と双方思うようになるわけで、、自分がいうのは何だが変わった人が多い。こころの声を無意識に発している人、「なんだUクロか~~」といいつつそれに値しない人とか、、。無論、自分の上から下までリサイクル衣類でいるから仲間!?



と、ガサガサと漁っていると東芝の「昼光ランプ」が5個あり、昨今あまり見ないが青色のコーティングがされた、むかし理科室とか技術室でみた記憶がある代物。「普通の白熱電球より、自然の光に近く学習しやすい」とある。これは面白い、昨今裸電球もほとんど見なくなったし、クワガタの興味を示さないLED電球ばかり。甲虫からの視点ならばLED電球なんてぼんやりとしか映らんのであろう。虫嫌いにはLEDは良いかもわからないが、昔のように門柱の電球にカンカンぶつかる虫たちの、あの光景がたまらなく思える自分には、こうした電球にはレアー。3つで200円、これはデットストックとの事で買い。

、と昨年6月に採集したノコギリクワガタのオスが昨日絶命した。普通はノコギリの寿命は3か月ぐらいと言われる中、冬を越して約一年生きたのでいて、ついつ中野のむし社に質問したのは前述したが、、、。1年も一緒に過ごしたとなると、なんとなく寂しいで喪失感が襲う。そんな奴の一生を称えて昆虫標本にした。おそらく奴は童貞だったに違いない、、そんな奴を捕まえてきた後ろめたさを引きずりながら、立派な標本に仕上げたのでいた。
小坂忠のアルバム「ありがとう」と、1曲目「カラス」、、あれが自分への昨今の鎮魂歌である。「あんまり怒るなよ、カラス」。

2024年6月4日火曜日

夏の雲だ、入道雲未遂

左肩の寝違えがなかなか良くならず滅入る。
心臓の不調からの放散痛と、無理な腕立て伏せと、寝違えが混ざりあえい、どうやらひどく筋を違えたようだ、、。筋トレなんか再開するんじゃなかったと、ため息をつく昼下がり。40代はまだ無理がきくとかつての40代は語るが、、これからはこうした事が増える一方であろう。
この前、NHKで87歳になられた横尾忠則氏の番組を放映していたので視聴。ざっと横尾氏の「すべてを受け入れる」「運命を受け入れる」その姿勢をなぞろうと思った自分、、。
あの番組は元気になった。「腰巻お仙」のポスターは高校の時に部屋の壁にはってたなあ、、あの原色ギラギラ、大正~昭和初期の広告的な、商標登録をうたうインパクト大なイラスト。「よだれを垂らす女」とか。自分の中ではあれが60年代を象徴するイメージ、、アートには全く持って軽薄だが。「ハンデを持ってこそ、出来るものがある」という解釈は心に響いたもので、ナレーターが細尾晴臣氏でいたのも低音ボイスは、さらに軽薄な私の心臓部に達する響きを持つ。

すぐ感化される自分でいたが、、左肩が傷むも夜勤明け、武蔵野方面へと自転車を走らせたのでいた。夏の雲だ、、入道雲未遂とでもいうか。この中途半端さと「未遂」が肩を並べるその時、ふと市民農園の無人販売所で巨大なキャベツが200円で売りに出ていた。今年の春先の天候不順から品薄、高価なキャベツでいたがスーパー・仲卸を通さなければこんなにも安いのかと、90年代前期に不作ゆえに流行った「外米」や「闇米」を思い出す。消費者の手元に届くまでの手間賃て何なのか、お百姓から買えばこんなに大きくて立派なキャベツが手に入るのだ。ああ、城南電機の宮路社長


小生はしばらく、大好きなキャベツを敬遠してきたものだから、迷わずカタツムリの殻のように渦巻くキャベツを購入したのでいた。
92.93年辺りはコメ不足で国産米が流通しなかった?頃を思い出す。当時は中学生でいたが生徒総会で友人が「いま給食はタイ米が混じってますがですが、、いつから国産米になるんですか?」と生徒会長に質問があった。映画「戦メリ」でないが「、、そこの部分は記録しなくてよろしい」的な先生の指示・対応でいたのが思い出される(ちなみに、自分は生徒会の書記でいた、むかしからそうした役職にシレっとつく体質を持ち合わせる)。意識していなかったが、そんなにまずいと感じなかったもので~腹に入れば一緒(空腹は最高のスパイスでいる)、成長期の過剰なまでの食欲には、外米も国産米もなかったのである。無人販売からのキャベツ、もう30年も前のことが脳裏に過り、宮崎駿監督の「思い出ぽろぽろ男版じゃないか!!そうこう考えているときには、全く左肩の寝違えからの疼痛は気にならないもので(笑)気直しに、夜勤明け恒例のリサイクル巡りをする。


数件廻るも、、今日はナイキのランニングパンツ(200円)で見つけ購入する。このランニングパンツだが、ちゃんとコインポケットも付いていて、ここが大事。自分はジョグ中に走行距離や音楽を聴かない。毎回走行距離やカロリーを表示させて、いったい何を得たいのか!?音楽は自分の苦しい自身の呼吸からの酸素置換がリズムである、であるから音楽はいらない。であるから、そのようなものを収納するアームホルダーやヒップバックは必要なく、、が代わりにランニングパンツにチャック付きのコインポケットを重宝する。
ここに200円いれて、真夏は乾燥後にチョコ最中ジャンボとビタビネCを飲むのが恒例となっている。ランニングパンツはそうしたポケットが無いものも多く、これは使える。夜勤頑張っただけあったな、、そう呟いて蒸し暑い武蔵野路、、帰路に就いたのでいた。




Jジャーエールのエールは、応援ではない。

 と、またも見つかった 虫歯治療 をしに、かかりつけの歯科がある目白辺りまで、クロスバイクで向かうのでいた、、。 先日の受診に帰り際に、、レントゲン撮ったらその影が反対側にあるとの事で、、年内に、いまある虫歯を治そうという、という、そういうアプローチ。 いかんせ、ビール代用として...