2024年7月31日水曜日
真夏の勝浦’N’ツイスト
2024年7月27日土曜日
「Bobson」のバンダナ
相変わらず何かを探す毎日でいる。
よく就寝前に読んでいる戸川昌士氏の「猟盤日記」でないがピン、ときた物を手に入れるというのは幸せでいる。「物欲」と氏はいうが、、心境的によく似ている。いつものルーティーンでもって「あ、、これは!?」といった類のものと出会った瞬間は妖怪アンテナビーンである。
そんなんで、フリーな休み(フリーが年を重ねると共に増えつつある)は練馬の端、大泉町へとゆく。実は「浮き輪」を探しているのだが、新品で買うとなかなかの高価、急を要するもので大手ディスカウントショップDへ行くも、キャラクターものなんか2000円近い値段するのでいる。
ま、普通の値段でいるのであろうの、だが個人的には数百円でどこかで中古品を手に入れたい。そういう時にはタイミングよく出会えることは皆無でいる傾向、、案の定なくて何件かいつもの店を廻るも発見に至らず。
とりあえず、午前中は終了として午後より再び、思い当たる先を廻る。しかしけだるい夏の午後、昼休憩前にジョグをしたのがいけない。昨今は完走できていないのだ、、これを加齢ととるか、暑さのせいにするか。完走もできていないのに呑む、「ビタビネC」が咽頭~食道を通過した時にはたまらない爽快感でいた。(食道にも、舌と同じくして味蕾的な味を感知する器官があるという)、がこれは一回きりの至福、ビールがうまく感じる最初の一口はコレナノネ。
西荻方面へ、いつも立ち寄る作業所には、先日見た1200円の西武ライオンズの子供用キャップがまだ置かれていた。「、、、1200円か」やはり当時物といえ、そこまで出す気になれない、のはおそらくリアルタイムで被っていなかったからであろう(周囲にはいたが自分は、こうしたキャップを被ったことがない、景色的に懐かしいだけである。)
自分の中では買値は200円である。「今日も暑いですね」と声をかけてくれた所長さん、「これ、、いいですよね」「1200円なんですよね」「え、、!?」「これ、、プレミア付いてるって話してました、、この前係の人が」「、あ、そう。こういうのも、たまにあるんですよ、値段のバリエーションが色々と、、」と。掘り出しで色々、買わせていただいてるんで、それ以上は聞かずもとの位置に戻したのでいた、、。おっと浮き輪を忘れていることに気が付く、ウダル午後の西日。
途中は練馬区のリサイクルセンターへ立ち寄る。古いマグやキャラクターもののガラス製品が良くでるが、ハンケチコーナーで懐かしい「Bobson」のバンダナ(100円)未使用を見つける。「Bobson」はまだあるののか?「EDWIN」「BIGJHON」「BOBSON」といえば和製ジーンズメーカー御三家(90年代初めまで)でいたが、今ではほとんど聞かなくなった。90年代の終わりごろに、なぜかそうした和製ジーンズメーカー・リバイバル?履いている子をチラホラ見かけたけど、あれが最終絶滅の感あり。
実は自分の実家には「BOBSON」のオーバーオールがあった。母親のでいたが、90年代前半に10代の自分、履くのがやっとなほどで普段履きは難しかった、、、。(女性でオーバーオール・スタイルといえば映画「幸せの黄色いハンカチ」の「朱美」こと桃井かおりであろう)
、、おっとまた「浮き輪」を忘れかけておる、、。何軒か廻ったが時期もあり、おいそれと手ごろな中古品と出くわすことは難しい、、。
?まてよ、街中のおもちゃ屋に置いてあるのでは!?昨今おもちゃ屋さんも大分減ったが、駅近のおもちゃ屋さんに寄ると、、、あった!無地のカラー「浮き輪」、これは昭和の終わりの品か、平成の初めか!?値段はなんと「370円」‼こうでなくっちゃ!暑い中散々歩き回っただけあった。
二つ購入、、グチョグチョのTシャツをハタハタ、任務完了。最近は井上陽水をよく聞いているけど「夏の終わりのハーモニー」でなく「夏の初めのハーモニー」、疲れました。
2024年7月23日火曜日
アフリカの原野で生きる「コイサンマン」
慣れぬデスクワークが今年の夏からスタート、気分は公文式に通い始めた小学生のような憂鬱。長くしてブルーカラー、現場仕事が長かったせいか、体が慣れぬもので、、。フレイル。
日勤帯出勤というのも久しい、ゆく途中の道中でも関西から北上してきたクマゼミの鳴き声に、2005年あたりに爆発的発生したツマグロヒョウモンのそれと重なる。(もともとツマグロヒョウモンは南方系のヒョウモンチョウでいたが、2005年に関東地方にて食草である、スミレ科(植込みのパンジー類)から爆発的大発生した経緯がある)
当時は知識が薄く、南方のカバマダラかと必死に追いかけまわしたものだが(メスはカバマダラの擬態)、、今では見向きもしなくなったもの。同様にアカボシゴマダラ(中国亜種)、、この2例は時代が味方したとしか言いようがない、両者とも食べ放題か、極めて健全でいて大型。
話は戻るが、長い間座り仕事をしていると。下肢がこんなにも浮腫むのかと驚かされる。いわばエコノミー症候群である、夕刻にはくっきりと靴下のリブの跡が残り~硬いふくらはぎ。養老孟司氏の本でないけど、こうした座り仕事は「脳」主体でいて、現場でのとっさの判断やそれに伴う肉体運動への連動、は皆無でいる。いいやら悪いやら、、でいるが、ま、3年は頑張ろうと思う。
昔、80年代の終わりに「コイサンマン」という、アフリカの原住民主演の映画を、池袋に見に行ったことがある。彼らのカルチャーをびっくり人間的に、世界七不思議的史観からとらえたな内容でいたが、、今思えば彼らの生き方が正しいと思う。
年齢不詳、何キロも先の獲物が解る、必要最低限の生活、、いわば野人だが、そうした生き方に感銘を覚える。記憶だと、日本のテレビ局は彼らを日本に連れてきて、その文明さを見せつけたりして、驚く映像を流していたけれど、、、その数年後にはバブル崩壊となり、、そこを見せてほしかった。文明社会に流されない、生きる最低限の生活がスタンダードな彼らがうらやましい。彼らにとってあの狂乱した時代はどう映ったのであろうか、、、。(別に何とも思わなかったと思う)
氷河期世代な自分は、何かにつけて悲観的要素にその世代を結びつけるが、、あの狂乱をうっすら享楽していたに違いない。確かによく外食に行った、何かにつけて新宿副都心、タクシー、、あの10代後半、20代の塩辛い経験は「ツケ」である、よく言うじゃないの「幸せの量は、人生みな決まっている」なんて。
けど、なんとなく40代にして~何となく上昇してゆくような、、気が、、する。
そして応える夏は始まる、、、。
2024年7月20日土曜日
ウダルタケルノミコト
うだる午前中、杉並界隈はまるで日影がなくて、汗だくで歩いていると自身淘汰されている気がしてならなかったのだ。ウダルタケルノミコト、そんな造語を思いつき自分に当てはめる。
夜勤明けでいたが、所要あり目的地まではこうして徒歩で移動しなくてはならなかった。
15分ほどの道のりでいたが、こんな酷な状況でも、意外にも普段の鍛錬が活きている気がして、そんな嫌でもない。
首から汗拭きタオルを下げてゆく道中は、解放感も重なって「2024年の夏をこうして、今歩いているんだなあ」といった、つげ義春的な感傷でもって楽しもうとしている。
?、軒先に置かれた足踏み式ミシン、、蓋には鉢が置かれているところから~オブジェとして使用してる感だが、シャレオツ。あ、そうそうW月さんの家にも、足踏みミシンを活用したデスクがあったな、、あれを観させてもらったのも5.6年前だ、自分で購入し使用不可能となった南部鉄器の風鈴を差し上げた記憶があるが、、W月さんは使ってくれているだろうか?
そんなことを思い出しつつ、その先でガレージセールをやっていた。食器類ばかり、たたんだ店舗の残りの品々だろう、、土鍋に惹かれたが、この暑さで、これを持ち歩くのは嫌味であり~考えた末にスルー。(値段は自分で決めてください)と書いてあったが、あまり興味そそられる品はなかった。カツオ節を削るあの箱、、2個あったが現代では不必要。
所要を済ませて帰宅。
が、、たしか行きつけの作業所でのバザーがあると,是非どうぞと声を掛けられていたのを思い出す。いや自分にだけでなく、来た人に皆声をかけていたに違いないのだが、、よせばいいのに小休止したのちに向かう(笑)
電車の遅延の影響からか、長らく踏切が開かず、ジリジリと肌を焦がす、湘南通いヘビーローテーションのTさんが言ってた、「地元サーフアーの叔父さんは、真っ黒で焼きすぎて皴がひどい」のあの観察眼からの日焼け批評が脳裏をよぎるが、、。確かに「面の皮が厚くなる」そうした趣旨の言葉は、いろいろな意味で中年男性の「男の総括」へ辿る手前のような気がして。こうしたことを考えるのも明けと酷暑の、環境からであろう、。結果、「で、何なの?」といった日常の景色に流されてゆく。
作業所のバザー、ここは良品の衣類が出るのだが、以前チェックしたものばかりでいた。が、、これは!?自分が幼少時代に被っていたような80sの西武ライオンズの野球帽(裏にメッシュがついている)を見つける。これはいい!!と値札を観ると「1200円」!!これはないぜ、、高い!しかも子供用の野球帽であり~バザーにしては異例の値段設定である。係の人に聞くと「、、え!これ、、1200円なの!?」と。すると奥から別の人が「ネットで調べたら、、プレミアついていて、1200円で出てたから、その値段付けたんだよ」と。
、、そうした値段のつけ方は実に残念だが、まあ仕方がない。ただの80sの、しかも子供用のキャップだけれどだ。200円なら買ったが、1200円出せば漁りの期待で~かなり遊べるもの。そっとそれをもとの場所に戻して、自宅へと戻り路。
気が付いたならば24時間以上覚醒していたから、考えてみればやっぱり自分は「ウダルタケルノミコト」なのかもわからない、、梅雨あけて夏本番の杉並にて。
2024年7月16日火曜日
「ミルキーはママの味」、曇天の不二家レストランへ
カーラジオで「曇天」という言葉を、、40数年たって初めて知る。
「晴天」の中間、曇り空を「曇天」と表現するんだけど、自分的に実にま新しい言葉。「曇天」、これから積極的に使おうと思うが、若い連中には聞き返されるに決まっているであろう、、、。
そんなんで、前から気になっていた「不二家レストラン」を杉並区で見つけて、胸につかえた熱き想い、、ふらふらと曇天の西東京を目指すのでいた。
「不二家レストラン」、、ああ、SINCE 1910 横浜で誕生とあるが、昨今は舶来の、外タレの甘味企業に押され、都内でもあまり見かけなくなってしまった。「ミルキーはママの味」、このセリフ、、CMの締めフレーズで聞くことがなくなった昨今、自分ぐらいの世代や団塊世代Jr世代には、いかにマザコン男子が多くいるかが解る昨今。、そうした思いを助長するからか、はたや、経営的にあまりよろしくないのか、CMすら見なくなったもの。
しかしながら昭和と平成の境目、あたりに小学生だった者にとっては、ママの味だろうと、パパの味だろうと「不二家」と聞けば胸熱くなるもので、、週末のデパート7.8階あたりのレストランからの延長、サザエさん一家の口封じ的のお約束、当時のお約束は、こうした甘味処である。「不二家」の「不二」、、この響きも赤塚不二夫や藤子・F・不二夫に通じる意味合いがあるのであろうが、調べていない。そんな名前の紙巻きたばこも戦前にあったような、ないような、、、。
と、この店のスタイルからしてカミング80sでいて、例えるならば1980年代のアーリーアメリカン、太平洋のかなたのビームス、閃光(これではアパレルメーカー BEAMSと同じ感じだが)そんな感じ。中に入れば、屋根が高く吹き抜け、これは東京ディズニーランドの、トゥモローランドにある、あのレストラン?
はたやバック・トゥ・ザ・フューチャーの、テロリストにドクが撃たれる、JCペニーにありそうな構造物。(例えがわかりにくいが)木製のブラインドや仕切りが自分にとって優しい。「まだ、こんな落ち着ける空間アッタノネ」と。
調べればこの不二家レストランの開店は1979年4月と、、ほぼ私と同世代でいて驚く、まるで古い教室に入ったかのような安心感はこれだ。若いウェイトレスさんがメニューをくれた、、「大人のお子様ランチ」なんて物があるが、、これは「ミルキーはママの味」世代向けの、鎮魂歌(レクイエム)か。
ま、それは今回注文せず。昼下がりもあり、ロン毛の中年はチョコレートパフェ(名前が違うかもしれない)をオーダー、、実に35年ぶりの注文となる。とドリンクバイキングは、共に注文するといくらか安くなる、、いいんだ、今日は水でなく「普段のご褒美」という女子が好みそうな定義で、遠慮なく。
アメリカンをすすりつつ運ばれてきた、タワー。
パフェとはこんなに大容量か。中間はかさましに昭和後期には、よくコーンフレークが地層のようになっていたが、コーンフレークでなく、クッキーの端切れみたいな関東ローム層でいた。一口目、てっぺんのサンデー的な部位を、パフェのスプーンですくい取り、思わずアニメ「紅の豚」のマルコ・ロッソ並みの低音で呟いてしまう「、、うまいわ、いい腕してやがる」と。止まらず、パクパク食い進め、中間にアメリカンを流し込み~貧乏性からかアメリカンを3杯もお代わりしてしまう。「ああ~~食った食った、、、」とアメリカン3杯、がすきっ腹に効いたか、けど何とも懐かしい空間で、懐かしい味、そしてこの至福感、、、俺は近く死ぬのかもわからない。
曇天の「不二家レストラン」、今後もリスペクト!
2024年7月13日土曜日
「シネマディクト Part2」~90s初頭の映画~
旅行に行けていないので、、夜な夜なNHKのBSプレミアムの映画ばかり見ている。
(写真・先日は杉並区で不二家レストランを見つけ、、胸躍る昼下がり、、)
旅行に行けないって言ったって、2泊もすれば、振り子のような三文劇場のような、当方都合の良い、当たり障りない生活に戻りたくなるくせに、と。
前にも話をしたが、あのBSプレミアムで放映される映画は約一年周期で廻ってくる。3~4割方は50~60sのアメリカ西部劇映画が多いが、時には「エクソシスト」や名作といわれる、時代を象徴するかのような名画が放映されるから見逃せない、、。4,5日に一回は必ずチェックして、「あまり見たくない、興味のないだろう映画」を観ることとしている。時に、見返す、、この作業は実に有意義で若いころ見た印象と、そして20年後に観た映画とでは、「記憶」という自分勝手な印象が、例えるならば遺伝子の、らせん構造が破損を受けて、修復(思込み)なんかがあったりして、自身の中でそれを修正する、といった具合。俺もこうした「一人遊び」が実に上手くなったもの、、、。
旅行に行きたいなら、アメリカ開拓時代の西部物、、。非日常を味わいたいならばニューヨーク、この「ニューヨーカー」この響きに妖怪アンテナビンビンになる、80.90年代を過ごしたものにとって魅惑であり、そしてチープに浸る。
メリル・ストリープ主演の「永遠に美しく、、」を観る、知ってはいたがあまり観る気にはならなかったのだが、、観る(笑)が、これはアタリ、1992年作だがコンピュータの加工が気持ち悪い(一番気持ち悪いのは80年代中期の、ターミネーター)あそこまでT800のカクカクさは無いまでも違和感がある、そこがまたチープ。同じく91年辺りの(ターミネーター2)の液体金属に通じるそれがある。あの水銀形状のような丸焼けの車の中から「原型」で出てくる姿は、不気味さを通り越している。「永遠に美しく、、」は女性の老化を止めるために、あらゆる手法を用いて美しさを追求してゆくのだが、、、おっとこの先はご閲覧を。先日「マディソン郡の橋」を観たばかりで、さすがメリル・ストリープはロバート・デ・ニーロに指名される経緯あること、納得できる。
、ともう一作は「西部無法伝」、1971年のジェームス・ガーナ―主演の映画。この時代あたりの映画、まだまだ懐古主義・開拓期とリバイバルもあり~当時からしたら100年ほど前のストーリー(いわゆるアメリカ開拓期時代の西部劇)元気がある印象。ビリー・ザ・キッドやアープ兄弟、開拓期のアウトロー・ネタは今でも胸躍らすものがある。
映画「俺たちに明日はない」のボニー&クライド、もその流れだが後者は、法下での最期のアウトローであろう。個人的に「ジェームス・ガーナ―」主演の映画ははずれがない、二つに割れた顎、飄々とした役どころ、190近い高身長、と~あれぞ邦人からみたメリケン俳優である。
結果メキシコへ行く、、この落ちが西部らしく、スティーブ・マックイーンの主演映画「ゲッタウェイ」もそんな落ちだった。法の手の届かない他国へ渡り優雅に生活する。小遣い制である自分をそこにあてはめたりして、俺はメキシコではなく奄美大島へ渡りたい、、西部とはまるでかけ離れた東洋の神秘の島、奄美大島。ああ、ここから1400Kmあまり、、、。車のトリップメーターならば一瞬なのに遠いなあ、、。そんな心情の駆け引きが、映画の醍醐味、、。は!?と我に返れば蒸し暑い東京、、湿度83パーセント。
そんなこんなで、行きつけの古着屋へ、、。ここは廉価で、オモチロィ(水木風)古着を手に入れることができる(大抵200~300円)、毎回出会いがあるわけでなく、足しげなく通う必要があり、そのうちに「あたる」ことがある。
と、ポパイのTシャツを見つけてしまう。このタグは中高時代によく見かえたが、昨今あまり見かけない。何となくこうしたダイアグラムというか、格子調のデザインは80sを彷彿させる(個人的見解)なんだか不思議な匂いがするが、個人的にナイスデザインなので購入(500円)。
「Tシャツは3桁」が購入鉄則な40代の自分、、いまだに古着ばかりでいる。
2024年7月11日木曜日
THE新座のモロコシ
今週前半はぐちょぐちょでいた、こんな梅雨の中休みなんていらないぜ、と思うほど猛烈に暑く、そして高湿度は40代をクラリとさせる。
何を意固地になってクロスバイクを漕ぎ進めているのかが判らないところだが、、線路を二つ超えるのは開かず踏切、気持ちは焦るばかりでいる。井上陽水の初期の楽曲「開かずの踏切」、あの楽曲が脳裏を流れるあたり、こうした焦りを描写するのは井上陽水はうまい、精神的に分析しているかの如く、楽曲「夕立」もそう。
背中に貼りついた安物シャツに嫌気をさしながら30分は席に着き、パタパタと仰いでいる就業開始時間。慣れぬデスクワークに勤しむ毎日でいる、、、。扇子を一つ買おうと思う昨今。
、、そんな数日をこなしてフリーの休日。
脳が疲弊、体は元気でいるという、今まで経験したことのないアンニュイな朝を迎える。
初めて「横になっていたい」といった欲求があるも、習慣からしてそれはあり得ないのでいて、、また天候もえらく不安定・読めないのでいて~車で隣県あたりへ出かける事に。
みうらじゅん氏、押しの「夢の中へ」を聞きたくてたまらない、あの歌は仏教的でいるという、みうらじゅん氏。「探し物はなんですか、見つけにくいものですか、カバンの中も。机の中も、探したけれどみつからないのに、、、 まだまだ探す気ですか、、それより僕と踊りませんか」この終盤の「それより僕と踊りませんか」という真反対な一説が仏教的であるという。今までの行いを180度転換するあたりが「空あり」のそれに通じるという、、。
そこまで考えたことがなくも、その氏の言っていることに、検証してみたくなるところで、、初期の井上陽水の曲から聞いて8分目で「夢の中へ」を聞くところ、、スカッと5月晴れな空が割れた晴天、そんな曲調に「はあ~ああ~~~」と口をそろえたのでいた、、。
そんなんでW氏の旧家があった所沢市のM郷、クリーンセンターへ久しぶりに赴く。
定期的に通いたくなる立地は映画「となりのトトロ」のそれであろう、、このクリーンセンターのリサイクル市を覗くのが恒例。
、、この施設、いつも誰もいない。バブル期か?その頃に建てられた建造物も、あまり活用できていないというか、リサイクル元年である90年代初頭の「事業の象徴」としての、存在感が個人的に好き。なんとなく1970年の大阪万博の「○○館」を彷彿させるそれでいるので、そんな気持ちで自動扉を行くのでいる。
以前和服に凝っていた時には、足しげなく通っていたが、熱が冷めて見向きもしなくなった(が浴衣はチェック)カックイイ柄の浴衣はなく、帯もそういいものなく、男性物コーナー巡るも品薄でいた。ポール・スミスのネクタイを50円で購入、、、。
他食器類見ていると、、出ました!懐かしの「湯呑み」(キャラクター系)、、しかも「スーパーマリオブラザース」でいる笑、、。
まだ80sは湯呑でお茶を飲む慣習があった証拠ですな、、とサンリオ系のキキララのマグカップ。リアルタイムで見ているから懐かしくもなんともない、がこの当時物を「寝かせ」れば熟成されてゆくだろう、、、!?(と、自分の部屋はこうしたマグカップだらけだ)いずれも50円で購入、、、。陶器は土に戻らないから、リサイクルの観点からいえば「煮ても焼いても食えない」それなのであろう、、、。だれもいない、この構造物の長い階段をおりて、蒸し暑い所沢をあとにしたのでいた、、。
途中、新座へ。このあたり(清瀬もそうだが)耕作地が多く、この時期になると「とうもろこし」の産直販売所が軒を連ねる。中には早い時間から列をなしているところもあり、、欲しくもそれは億劫なので、前回尋ねた出店あたりへ。
あの生産者であるファ―マーが腰を掛け佇んでいるのを発見する。
あのモロコシはうまく、小生食べたモロコシの中で1.2位を争うそれでいた。1年ぶりに出店へ、、「どうも、、、」「これ、、食べてみて、、生でも食べれるから」とファーマーは幾重にも焼けたごつい手でトウモロコシ1本皮をむき、手渡してくれた。「、、え!?食べていいんですか」「どーぞ」と。茹でたり蒸してない生のトウモロコシ、なんてNHKの取材みたいで、、かじりつくと全然生でも甘く、感動する。
「あ、、うまいですね!!生でも全然食べれるんですね!」商品はいずれも4本入っており、「これは傷物だけど、お得」「傷のない、こちらは700円」と。大体無人販売所では2本で300円が相場だが、、これほど甘くないので700円は買いである。ほかにキュウリ4本を100円で購入、お買い上げ。夏が来た感じがした、、おっとカーステレオからは井上陽水と安全地帯「夏の終わりのハーモニー」が!!(夏の始まりだが、、、)
初夏っぽい半日を堪能できた休日でいた、、、。
2024年7月6日土曜日
「贅沢な暮らしが最高の復讐」
ヘビーな夜勤明けでいた、
寝不足、猛暑、口喝と、、それ故にまっすぐ帰ればいいのだけれど、何か手に入れたい物欲にかられるのは常でいて、、買わずとも「拝みたい」「いいものを見つけたとしても断念する」というシュールへの期待は、明けではひとしおでいる。
街中の気になっていたジーンズショップ、、勇気を出して入ってみる。
今では「ジーンズ・ショップ」ってあまり見なくなった。表にディッキーズのオーバーオールがつるってあった。(ちなみに9800円とは!?)いわゆる30年ほど前には、どこの町にもあった地元のジーンズショップなんだが、懐かしいは懐かしい、多角経営しすぎて何でも屋になる傾向(私物やリサイクル商品、果ては「ご自由にどうぞ」コーナー、、まで)がある。サボテンやメダカまで置いていると、ジーンズショップの面影はない。けど、こうした「なれ果て」感は嫌いでなく、店内をひと廻り。自分が高校生のころCMでやっていた、ブラット・ピットのEDWIN製品なんかが積まれている、、、。
が現在のファストブランドの波に、その当時の値札でも高く感じてしまう。(+TAX)とあるが、90年代半ばのタグに~消費税3%なのか、5%なのか、現行の10%なのか、、こうした店では怖くて尋ねられない。リバイスやリーもあったか、あの型番がどのようなシルエットなのか説明がなくわからない。(あのジーンズメイトでさえも、型番ごとにシルエットの記載があったもので、、)また、30インチ以下は、履き手も限られるためインディゴ地層の一片となる運命にある。これらが1枚オール1000円とかならば、飛びつくんだけど、前述したような価格の確認、現在との価格の相違と、「とっつきにくさ」が仇になって、、結局店を後にする運びとなる、、そうなることはわかっていたはず。ぐるりと廻り店を立ち去ったのでいた、、、。
ジーンズってのは、現在では履かなくなったんだろう。個人的には90年代あれだけビンテージだなんだって、古いジーンズがもてはやされていた時代が、アメリカの好景気に沸く大恐慌前の一夜のようで、、「贅沢な?暮らしが最高の?復讐」だっただが、、そうした時代のもの(自分にとっては1990年代なのだが)と出会うと、触れたくなるのがその古傷か。
そうした意味でも、「失われた世代」でなくとも「氷河期世代」、、同情を求めているのではない、「同情するなら金をくれ」なのである。よくいう「若いころ苦労して、年取って優雅に暮らす」「若いころ優雅に暮らして、年取って苦労する」、、俺はどっちらけなんだろう。
けれど、話し戻るけどジーパンことジーンズが欲しい40代がここにいる。それは俺の長髪と比例。自信が持てなかったことをしてみようと思う。
2024年7月4日木曜日
まるで青梅街道はルート66
Jジャーエールのエールは、応援ではない。
と、またも見つかった 虫歯治療 をしに、かかりつけの歯科がある目白辺りまで、クロスバイクで向かうのでいた、、。 先日の受診に帰り際に、、レントゲン撮ったらその影が反対側にあるとの事で、、年内に、いまある虫歯を治そうという、という、そういうアプローチ。 いかんせ、ビール代用として...





























