瞬く間に晩秋は往く、、、。今年の秋は短い、だが柿の実がたわわだ。
鍋が食いたくも、肝心の葉物が高く、農家直売の店を廻ろうと寒空の下、クロスバイクを漕ぎ行くのでいた。なんとスーパーではキャベツが400~500円もする、ハイパーインフレとまではいかないが、今まで都内スーパーで200円するかしないかのキャベツがそんな値段でいるから、はいそうですかと買うわけにはゆかない。~と何件かある畑の無人直売所を廻る、、。
こんなに畑にキャベツがあるのに、なんで500円近い値段になるのかが解らない。
ま、そのあたりは大人の事情ということで、、!?300円か。ま、300円なら妥当でもないけれど、、スーパーで買うよりかと300円にて硬貨を入れる、チャリン、、、。
?白菜、、だが小ぶりでいて「ミニ白菜」とある。確かに小さいがこういう品種なのか、、。白菜一個は一回じゃ使い切らないからちょうどいいサイズなんだろうけど「ミニ」が引っかかる、ミニウサギ、ミニブタ、みたいな。まあ、どうでもいいことだが鍋の材料は案外たやすく手に入れることが出来たのでいた(ちなみにミニ白菜は200円)。
こうして自分の役目は本日、終えたのでいて、西荻の作業所へと向かう。
午後限定リサイクル市をやっている福祉関係の作業所だが、前回も話で上げたことがあるが、中古衣料品を廉価な値段で出しており~暇に任せて覗きに行く休日。たまにあたりがあるもので。
と「ニットシャツ」を見つける。現在ではそんな名称のシャツはないが70年代は皆これに腕を通していたようで、化繊シャツ。「レナウン製」のそれ、明らかに70年代中ごろのオヤジたちが着ていたような、なんともいえぬ柄(大抵は幾何学模様)のそれでいて、プルオーバー(かぶり)、長そで、エリがデカいという高円寺ライクなスタイルを醸し出すシャツでいる。いわゆる「ニュートラ」のそれでいて、昨今こうした「時代」を象徴するようなシャツを着る人間は、高円寺・中野エリアしか見ないけれど、彼らを「同志」と呼んでしまうのも、ちょっと自分にも理解がある現れか?
この手のシャツは死んだ祖父が着ていた(没後もらったが、愛用していただけあり~襟足に丹頂チックの匂いが染みつき、着れるものでなく、破棄した記憶)が、ただただ懐かしく、これのシャツを着て、ベルトループのないスラックスに、茶色いサンダルが祖父の男の定番スタイルでいた。まだ、還暦に近くはないけれど、そのようなスタイルに似せたくなるのは隔世遺伝のなせる業か、、人は気が付くと祖父母に似てくるという系譜を歩むもの。
思いっきり70sなスタイルだが、、この時代のシャツは意外にタイトでいて、キツイものも多いが、いかんせレナウンのLサイズだ、購入する運びに200円。うれしい買い物。はたしてこのシャツは45年もどこでどう収納されていたのだろうか、、、。
そんな空想かきたてるのが中央線沿線カルチャーだなあ、とやはり40半ばにしてその再会にうなずく。「同志」ならぬ「同期」であることに気が付く。
そして、「ヒトリヨガリズム」を噛みしめる、もう老後は安泰だ。




















