2025年9月28日日曜日

ボーラーハットとの再会

 いい加減30度近い陽気にはげんなりするが、、不思議とジョグとなると炎天下も嫌でない、出勤時に汗でシャツが貼りつくのが大変に不快。この「割り切り」の線引きは何なんだろうか、仕事と余暇としてのジョギングの「暑さ」への不思議な格差。


と、先日は暇に任せて大手リサイクルショップSを覗く。このところの物価高で、男物なんてものはおいそれとは買えず。大抵の所帯持ちはUとか自分みたいに中古衣料品でしのいでいるのではなかろうか。

この前立ち寄ったセレクトショップではジーンズが18000円もしていて驚く(というのも自分の価格設定が1997年辺りで止まっているからなのだが、昔はフツーのジーンズは9800円とかで買えたものだが)いいな、と思いタグををひっくり返せばそんなこんなで当世を知る羽目になる。ならばタグをひっくり返さなければよかった、大抵は値段のタグはひっくり返してある。

その隙に店員が近寄る間を設けているのかもわからないが。そんなんでしばらくすると同世代の恰幅の良い男現れて、そのリバイスのGジャンを羽織る、、気に入ってるようで後ろから鏡で見たり、定員のマニアック?なんたらウオッシュだの、ノリがどうのと、ああ、高校のビンテージジーンズが流行った頃に、みんなそんな話をしていたなあ。くそ、昔の振り返り世代(クライシスエイジ)なんて言われる所以だな、、私。

数万するデニムのジャケットは彼はペイペイで買う、それを見届けて店を後にする自分は、、まるで正月に親戚から大量のお年玉をもらいヨドバシカメラでカセット、ゲーム、ウォ―クマンを爆買いしていた、あの頃の友人と、かたやなんら身寄りのない、親族バラバラなゆえに大抵数千円だった自分のかぎられたお年玉、そのままスライドしただけじゃないか!なんて、ひがみ根性だからいけないそう俺はすぐ忘れるから、それが自分のいいところ?

とハットのコーナーを観ていたらボーラーハットがあるじゃない!しかも英国のクリスティーズ製である。サイズもぴったり、値段も3000円とは!?実は2000年代に渋谷の老舗帽子店でクリスティーズの帽子を買おうか迷ったことがある、、35000円ぐらいしていて、被るか被らんかのボーラーハットに3万越えはないな、と違う安物のボーラーで事済ましていた。

いわばセンタークリースや中折れと言われるのがソフト、ならばボーラーやシルクハット、ホンブルグはハードに属する。硬いウールのハットだ。このボーラーは着物(特に紋付)によく映える、またインバネス・コート(二重廻し)なんかも明治・大正期には和洋折衷で被られており実に興味深い。家族から「やめてほしい」と言われるのは必須なのだが、ボーラーハットは押さえておきたく購入する運びとなる。



値段が安いのは内側のポマードガードのあて側のところが汗で塩を吹いているからであろう。外からは判らないし全く問題なし。また一つ欲しいものが手に入ったのだが、これを被る時には単独プレーの時にしようと思う。まだ暑くて被れやしない、、、。

2025年9月23日火曜日

ベーコンブロックの因果

 このところ浅い眠りのせいか、、深層心理を突くような不可解な夢ばかり見る。

階段一面にウジと、その上に漆黒の黒い塊が6本の足を絡ませあっていて、ひっくり返したらゴキだったり~とか。、はたや自分が高所、何かにぶら下がっていて、手を離したら即死に至るような場面だったりとか。どうも働きすぎの様だ。

そんなこんなで、今日は何もしないと決めていた。気ままに目が覚めたならば、どうせ朝6時前後には目が覚めるに決まっていて、、窓を開けたならば一面の羊雲、、、?違うかもしれない。

何もしない宣言」は、実は容易ではない。

この働き盛りの昨今、何か済ましておくことは無かろうか、これから秋にかけて昨年みたいに伐採作業でウルシにかぶれてみたりと(それは本望ではないけど)なんとなくジッとしているのが苦手なのがつらいところ。あのウルシカブレは処置が終了するまで、ひと月を要した。海外では「うるし」を「ポイズンアイビー」というようで、「巣鴨プリズン」に響きが似てなくもないが、、やや無理くりか。

実験的に庭に植えたバナナの木も、冬には寒さに立ち枯れしてしまうので、、鉢植えに戻さなくてはならないな、、など蛇足の山積休むはずの休日を押しつぶすのでいる、このルーティーンはまさに負の巡回でいる、、ここ40数年そんなことばかり繰り返している(坊ちゃんになぞって)

そんなこんなで、昨今やや話題から遠い、田無のRへ食材を買いに行く。「精を付ける」そういう意気込みで向かうのだが、、元からの貧乏性からかスルーするばかり。

物悲しさにやられつつ、肉肉しいのが食らいたい!それも脂身が肉層肉混んでいるような、ベーコンを火であぶって食らいたい!ベーコンブロックを買い物かごに投げ入れる。それと、いつものラム肉だ、品数は少なくもこれが無くては始まらないぜ、購入。

と!!あった、今年は豊漁と聞くサンマ!3尾で598円は安い!昔は100円だったけど、倍でも全然問題がないぜ!職場で「すだち」を大量にもらったし、これで少しでも非日常を演出しよう、、そんな気持ちでいる。

それらを購入し、さっそく自宅の普段は敬遠しがちな魚用コンロで焼いてゆく。同じく好物な「塩サバ」もコンロであぶる、、、。う~~ん、この混沌とした、「魚焼いてます」的なカホリ。昨今の日本人は欧米化し過ぎて、線香の香りとかアサゲの味噌のカホリとか、こうした近海物の魚の薫りを嫌がるが、、遺伝子に「懐かし」さが組みこまれている感あり。

、、う、うまいな。一日二食の空腹に、染みわたる塩加減。空腹に勝るものはなし。

貰った、徳島県産の「すだち」を冷ややっこにかけて食らうと、これもまた染みわたる。素食のなせる新感覚かな、、。空腹に勝るものは無し、人は実に燃費が良く、その時々の状況に合わせられるように造られているんだな、、と知る、秋の始まり?

、、と翌朝、なんか胃がもたれていると思いきや、、、「ベーコンブロック」だ!あいつは胃に負担をかけたようで、、酸味むせ返る朝の6時頃、かくの如し。

2025年9月15日月曜日

風立ちぬ、、今は秋

 先週の好天気からの激変、帰り途中にはものすごいゲリラ豪雨に見舞われ、、帰りの道中はなすすべもなく、アパート軒下へと非難したのだが、、住民から怪訝の目先で、足元から頭先まで見渡される始末で、、都内でいう「薄情け」とはこの事、追い払われたカラスの如く、近場の軒を探してはクロスバイクを止めたりしたけれど、、すでにトラウザースはグチョグチョもいいところで~小雨の中を帰路に着くのでいた、、、。

近くの河川沿いを往けば、、どぶ臭く、、四方八方からの急な汚水迷水が流れ込んで~運河の如く、、この夏場の勢いからか、飛ばされて芽吹いた若木は~すでに水中の藻と化す。

その悲鳴なのかもしれない、このどぶ臭さは。能登でも感じたが濁流がもたらす、泥流交じりのそれは人間哺乳類でいる「血生ぐさ」のそれでいる。

そんなこんなで、貧乏臭くも大好きな「厚揚げ」をトースターでカリカリに焼いて、深谷ネギと桃屋の刻みニンニクを乗せて、個人的労をねぎらった夕飯でいた。どこにも行かなかった夏だけれども、都内で十二分に夏を満喫した2025年の夏でいた、かくの如し。

橋幸夫が亡くなった、、あのニュースからして経過が早いなって、そう思っていたのだけれど~60年代好きには欠かせないマスト歌手でいた、あの旋律を歌えばエピソード記憶を呼び起こさせてくれる楽曲「子づれ狼」、世代を超えた、それをつなぐ橋渡し。特にアイビー好きな私にとって~橋幸夫が流行った1960年前半から~中盤の風俗には注視していただけあり~、楽曲「恋をするなら」、、ああ、またこうして一人二人去って行く。致し方ないけど、世代間のこうした橋渡しとしての、60年代の担い手が居なくなるのは寂しい。

次第には町の歴史家的なスタンスに落ち着くのが、落ちかも知れないわたし。それでよし。

2025年9月7日日曜日

奥武蔵野行脚/ダイハツ・フェロー・ピックアップ仕様

 今年の夏は観測史上、これでもか!という位に暑い夏だったとか、、。

各国の対策もバラバラだし、みんな足元しか見ていないのもありきでそれを見越して、2.3度高いくなりつつある気候に合わせた環境に、自身の体調もあわせなくてはならない。

日本においては四季がどうのこうの、なんて言っている余裕はない物であって、生き残るには高温に対しての恒常性を必要としている、、。いまに始まったことでないが中年の昨今、それを噛みしめる。「生き残れ少年少女」、、2000年代に野坂昭如氏がそう、謳っていたようにIn ガード下、当時のJ連合なる政治団体、はよくそうした場所の目利きが上手でいたが、、野坂さん亡き今、あのメッセージはインクのにじみの如く、今でもジンワリ心に沁みています、、、

そんなこんなで東京から外れて武蔵野エリアを求め、、西へ西へと突きすすむ。週末ともあればひどい混雑な街道筋であるけれど、あくびを繰り返し辿るT沢市。T沢市には数件の郷土資料館があるけれど、みな開館は限定的でいて、3件をうまく開業閉業で支えあっているようだ。

今回行ったのは郷土資料館、実に場所が解りずらく。大いに道に迷ったのだが~大抵区営市営施設が近くにあることがパターン的に多い。右往左往していたのだが、見つけた!こんなところに!?的な雰囲気が、郷土博物館の醍醐味である。郷土資料館というのは何となく寂しさを纏うのである(全国共通で)




「どうぞ!」と感じの良い丸メガネの初老の男性に通されて~、このエリアは雨乞いの儀式がある、なかなか井戸を掘っても水が出なくて50Mは掘らないと水が出ない、と説明を受ける。「、、すいません、、暑いんですけど、冷房が調子悪くて、、」ぜんぜんOKです、それ故にこの資料の醸し出す匂いが、この狭いエリアで活きるという物で~、この手の匂いは、地方の郷土資料館の共通でいるでいる、おばあちゃん家の臭い。撮影禁止、とうるさくかかれた入館料取るようなデカい市区町村の施設とは大違い、、このローカルさにいつも心癒されます。

「奥に近隣の電気屋さんから寄贈された古い車があるんで、、写真撮ってもらってOKです」と、通されたのふだが、、!?よく1960年代後半のメンズクラブで見る「ダイハツ フェロー」じゃないか!?うは~~!!これはピックアップ仕様の、もろ電気屋さんの東芝仕様でいるけれど、、実際「ダイハツ フェロー」には乗ってみたことが無く感激。三角窓、まわして開ける窓、、などアナログ・デジタル世代の自分には、なんとなく取り扱いが解るというのも待っていてくれた?感あり。

そしてこんなに狭いんか!?というぐらい狭いフェローの座席。簡素な造りでいるけど、荷台に積まれた鉄ばね扇風機やら、真空管テレビも映えるもので~武蔵野の景色に憧れる昭和40年代の景色を想ったのでいた、、、。

想うのは自由である、、これからはこの武蔵野奥地エリアを開拓しつつ、週末を楽しむとしよう、そんな奥武蔵野行脚。

2025年9月3日水曜日

チャールズ・インガルスと松田優作とのっぽさん。

 、、ここ数日体調を崩している

というのも夏を乗り切った安堵感からか、、毎年9月にガクンと来る傾向にあり。

個人的には職場での席が変更になり勤務中に、冷房ガンガン当たる席で、出勤汗だくからの急冷効果で、体温の恒常性が乱された事にあると思う、、なんて言ってみたところで、体調が悪いのは払しょくできず。

「ああ、、、」と日に何回呟いただろうか、半年に一度の体調不良は身に染みる。

男は体調不良に弱い。それを残暑の炎天下が容赦なく襲うもので、ここぞとばかり日々日ごろの鍛錬の元、活かそうと思うけどカラ元気で終わるという始末。

確か昨年9月は能登半島行脚で体調を崩した記憶。9月、1月は自分にとってはいわば因果国境線とでもいう月マタギか、警戒しなくてはならない時期なのである。

そんなこんなで、病み上がりに秋物を探しに、、所沢まで車を走らせたのでいた。

所沢行脚の時には小坂忠と決めているので、小坂忠のウルティメイトベストを車中流しつつ、残暑厳しい中を車を走らせたのでいた。いかんせ所沢のリサイクルセンターは古着が100円でいて、時にビックリするような品物が出るからたまらない。

過去には、ブルックスブラザースのⅠ型ブレザーやら、J・PRESSのオーセンティックモデルのスーツ、時にはVANや昔のデザイナーズブランド(BIGIとかニコルとか)、、そんなのがひょいと吊るされていたりすると、言葉少なげに「やった、100円だぜ」そんな気持ちになるもので、いつも昆虫採集のような心境で赴くのだ。

残念ながら、今回は皆無だった。(5回言って1回当たりがある、釣りみたいな物)その徒労感がとりこになる所沢行脚なのである。JUNのタブカラーのシャツがあったが好みでなく、ニコルのサマーセーターはバブル期を彷彿させて、、今思えばボタンどりで購入しておけば良かったかな。結局所沢では何も購入せず~初秋の?小金井街道を上り帰路に着いたのでいた。

あまり活動的になりすぎると、病み上がりなので昨今NHKで放映している「大草原の小さな家」シーズン2を観る、、もう春先から録画しては観続けているが、録画ミスでシーズン1の1話を録画し忘れてしまったが、、その後は現在まで見逃すことなくコンスタントに視聴し続けている。

リアルタイムに放映されていた頃にはオープニングしか記憶にない、また幼少期過ぎて父親であるチャールズ・インガルスと、松田優作と「できるかな」のノッポさんが混在していて、よくわからなかったが~1974.5年辺りの、アメリカ建国の節目である開拓期時代への懐古と、その時代を生きた、アメリカに憧れていた自分の父親の影響も相成り、、いま改めてシーズン1から見ると実に面白い。そして、島国の小さなエリアで細々と、振り子のような生活を営む、邦人としての自分を見つめたりもする。是非ともシーズン9まで見切りたいと思う。

日々の鍛錬が夏風邪からの復活を早めてくれたと信じて、、明日から当直です。

Jジャーエールのエールは、応援ではない。

 と、またも見つかった 虫歯治療 をしに、かかりつけの歯科がある目白辺りまで、クロスバイクで向かうのでいた、、。 先日の受診に帰り際に、、レントゲン撮ったらその影が反対側にあるとの事で、、年内に、いまある虫歯を治そうという、という、そういうアプローチ。 いかんせ、ビール代用として...