先日は久しぶりに大手中華レストラン「バーミヤン」へ行く。実に数年ぶりの行脚でいたが、「バーミヤン」は個人的な回想には欠くことのできないものでいて、高校生の時分にはよく「たまり場」としてご厄介になった場所でいる。
いまでこそ町中華ありきでいたが、バブル崩壊直後からは「ハイソ」志向の流れから「〇〇大飯店」とか、高級中華のステイタスがまだまだ色濃く残る90年代前半において、中華料理ファミリーレストラン「バーミヤン」の登場は革新的でいた(そうした風潮から、抜け出せずにた親世代には助け船であった事には違いない)
「、、なんでも好きなのを頼んでいいからな」、まさに御大臣としか受け取れることのできない「親父の言葉」に胸をときめかせた記憶がある。いかんせ父親世代はバブル絶頂を「高原でイタリアン」な流れでいる、それをどことなく流行りだからと堂々と家族で行ける、不況さなかの幸せ?父親世代には解放区であったに違いない。いつも物足りない高校生、一品が常でいたが「、、バーミヤンラーメンと、、チャーハンと、、ドリンクバイキング、、」この3つのオーダーで90年代半ばは1000円と+税が付くほどの範囲でいた。親と行くときには別皿で酢豚を頼んだものだが、、。いかんせ満足できるファミリー中華レストランの走りが「バーミヤン」なのでいる。(あれから20数年たった今でも安心するのは何故だろう、ロストジェネレーション)。
混み合う週末の店内、名を呼ばれ席に着く。おもむろにメニューをのぞき込む、、やはり目が行くのは「バーミヤンラーメン」か「チャーハン」!これは仕方ない、店もこれを長年の「定番・まずはこれ!」で押しでいる。あまり手の込んだ中華料理は、Dピザの何種盛りに等しくて~味がよくわからなく傾向がある、と思うのは自分だけか。けど、バーミヤンラーメンはな、、、。それで迷った末に選んだのが「五目そば」。
、、ふは!?これでは当時母親が迷った末に選んだ、やや盛られた中華そばの感あり(笑)そうして運ばれてきた五目そばを、、あの時の情景のように啜るのでいた。、、血を争えないこのチョイス、、おっとバーミヤンのウインドウを叩きつける雨、秋雨前線活発化。
あの頃、語り合ったドリンクバイキングの果てしなきループ、バーミヤンの席の一角、アフター25年後の自分は何を語りましょうか。
だんだん馬鹿になるのは、あの小坂忠の「ありがとう」の歌詞の様で、久しぶりのラーメン、五目麺のあのトロミが妙にしみて、弱弱しく泣くかな終末のミンミンゼミ。確かに尾を掴んだかな、終末の夏、バーミヤンの夕食。


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