2024年10月3日木曜日

2回目の能登派遣

 ~と職場からの依頼を受けて、先週は二回目の能登派遣となる、、。

きっかけは先月21日に起きた豪雨水害による、浸水からなのだが~弱り目に祟り目とはこのこと、ようやく復興の兆しあるところに、今回のような天災が重なり、また振り出しに戻ってしまうのでは、、、と。知り合った方々は、大丈夫なのであろうか?「うちは全滅です」という言葉に、これは再び能登入りしなくてはと、荷物をまとめたのでいた。

おおよその経路は一度訪ねているので、想像がつくが、、いかんせ北陸道下りて七尾市に入った後の「のと里山街道」が途中までしか行けないとの情報。朝8時に出発、関越道~上信越道を下り、今回は先を急がず90分毎に休憩しつつ能登を目指す。親不知あたりから新潟県災害支援の自衛隊の車列と並走、、親不知当たりの長いトンネルを超えると富山県へと入る。


前回と違い天候が良く、広い富山米を育てる田園地帯。入善で一休みとし、その田園風景をしばし眺めていたのだ。「越中境」はおそらく新潟県と、富山県との県境。その先、富山県と石川県の県境もあるが何境だったか思い出せない、、。東京からだと9800円ほどの高速料金がかかる。

七尾市につけば安泰、いや途中から行けないとの情報でいた「のと里山街道」でいたが、意外にも穴水まで下車することなく到着。一路、輪島市を目指したのでいた。水害による被害はあまり感じなかったが~奥能登へ行けば行くほど河川が氾濫し、特に架橋にひっかかる大量の廃材だったり自然に折れて流れてきた樹木は、水害の被害の大きさを知る。

なんとなく町全体が埃っぽいのは、そうした土砂や泥が乾き、それが風に飛ばされて舞うからである。高校生が大勢道沿いを泥かきそしていてが、そこそこの暑さ、その埃からの防塵対策、みなマスクを着用し作業にあたっている。


ようやく到着、2週間ぶりの再会。9月21日の午前中の様子を伺うと、かなりの荒れた天候でいて大雨、河川もそうだが裏山から流れる、小さな川からの山水が一気に土石流の如く流れ込み、浸水。河川と山からの土砂から双方の被害を受けた、、と。能登(特に奥能登)は海からいきなり山間部であるような、奄美大島に似た地形でいて、平地が無い分、そうした山間部からの土石流も多いようで、目をやれば山崩れしているところが多々あり。

金沢方面からのボランティアの人はバスに乗り、ひっきりなしにやってくる。泥かきしてくれたり、居室内の清掃。みな裸足で作業されており、不思議と女性が多いのは母ごころか。自分のすべき、できる事をこなした終日。空いた時間を、あの前回尋ねた「猿山岬」方面へと車を走らせる、、。



!?ここへ行くまでの国道は川が並走しているのもあり、実に被害がひどい。道も寸断されており、ところどころコンクリートの地面、その下の土がえぐられたか、空洞化。穴の開いている箇所も多い、、。この近辺集落の人も非難しているようで、人影もなく照りつける太陽の元、粗削りな川の水音と、晩夏のセミが泣き叫ぶ。


「、、工事関係の人ですか?」「、、いや、猿山岬にいこうと」「、、いけないですよ、トンネル埋まってますから」前回尋ねた岬への国道は、寸断されていると。教えてくれた人に礼を言い折り返した。なんとも無情な雰囲気が漂うけど、満天の星が反比例して諸行無常だ。奥能登での活動は続く。



0 件のコメント:

コメントを投稿

Jジャーエールのエールは、応援ではない。

 と、またも見つかった 虫歯治療 をしに、かかりつけの歯科がある目白辺りまで、クロスバイクで向かうのでいた、、。 先日の受診に帰り際に、、レントゲン撮ったらその影が反対側にあるとの事で、、年内に、いまある虫歯を治そうという、という、そういうアプローチ。 いかんせ、ビール代用として...