そしてボランティア活動最終日、、活動を終える、、。
帰りは外海と言われている志賀町方面へと車を走らせる。志賀町へ下れば、そこまで被害もなく~のどかな田園風景が広がる。今回の地震は奥能登と言われる、半島の先端部が甚大な被害でいて中能登エリアはいたって普通の生活が営まれている様に感じる。この中能登エリアへ~奥能登エリアから避難した人も多いようだ。
右に海岸線をのぞめば、内海とは全く異なる風景が広がる。潮風だが、からりとしているもの。この先に千里浜という、車で海岸線、波打ち際を走れるエリアがある。
91年の能登行きの際は、剱地に向かう道中、マイクロバスで海の中に軽く入るパフォーマンスがあったが、今思えば車の足回りが塩害でやられそうだ、、。塩は驚くほど鉄を錆びさせる。
のと里山街道を上り千里浜での降り口、岐阜ナンバーの派手なアメ車が二台つらなり走行、、。これは絶対千里浜行きだと後を追い、至る千里浜。
すごい!浜辺に車が入って行けるのは、そして車体が砂に沈まないのは~ここならではの砂の質であろう。ちょうどアメ車ミーティングが開催されており、幾重にも国産旧車やアメ車が連なる。自身は国産現行車で、その末端へと向かい、砂浜沿いを走らせる。
天気も良く潮風が心地よいものである、、、。砂浜の目が細かいのか、重みで沈みゆくことはない。泣き砂の浜もそうであるように、不思議な砂の性状を持つ海岸が能登エリアには多いもの。
ひとっ走りして、途中見つけた定食屋へ寄る。50年ほど前まではこのエリアにも鉄道が走っていたとか。それを思わせるモニュメントと、ここを走っていたであろう痕跡。この感覚は六角精児の「呑み鉄本線日本旅」から学んだそれか、脳裏にはニッティー・グリッティー・ダートバンドの楽曲が流れたような、流れないような。
初めて入る定食は魅力である、夜は居酒屋のようで~ものすごく小奇麗な内装でいた。
チーフはダブルのコックコートを着ていたし、その人の奥さんらしき人は、ものすごく笑顔が素敵でいた。やはり外海の刺身が食べたくて、刺身定食(¥1500)を注文。見た目も盛り付けも素晴らしい!
六角さんは鉄道の知識さることながら、こうした雰囲気の中で飲み歩き~諸国漫遊しているのかと思うと(しかも地酒を飲みつつ)実にうらやましい。酒は飲めずとも、知らない初めての土地で、労働の後にこうして刺身定食に舌つづみを打てることは~幸せの極致である。
そうして一路気合を入れて、関東方面へと車を走らすこと、約8時間。
ようやくもとの古巣へとたどり着いたのである、、、。長い旅路でいたが~、困っている中でも、能登に方々の本物の笑顔が垣間見れることが多々あった。2回の能登行きでいたが、一皮もニ皮も向けた気がする、、年を重ねると新しいことをしなくなる。そうした意味合いでも、気持ちどことなく勇気わかなくとも、飛び込むことは大事だと思う。そして当たり前が幸せだと、よくよく感じるもの。
40半ばだが、ちっぽけなわが人生の、大きな転換期になったことは間違いなく、これからも積極的にこうしたボランティア活動に参加したく、体力を維持したいと思う。
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