2023年6月2日金曜日

98年、吉祥寺の友達

 西荻窪あたりを徘徊していることが多い自分、かつてはこのアンチック押しな町に住むのが夢でいたが、こう毎日出勤で行き来すると何とも思わなくなるもので、飲み屋を除く大体の店舗はどこにあるかを把握している。そんな西荻窪辺りを行き来している、とある裏通りのマンション。あれは98年の2月、当時家出をした自分は(笑)吉祥寺の住んでいたYを頼り、落ち合った場所、、。

当時はまだポケベルやPHSすら持っておらず、なんで家出したのかも思い出させない思春期真っ盛り。新宿から真夜中歩き続けて、なんとか西荻窪までたどり着いたのだが、連絡の手段が公衆電話からYの自宅にかけるしかなく、電話口に出たりでなかったり(真夜中に彼の家族は迷惑だったに違いない)。なかなか約束の場所で落ち合えず、昔より自分はこうしたパターンが多い(笑)高円寺~荻窪~とひたすら中央線の高架下をゆき、当時はまだ多くあった公衆電話から彼の自宅にかける諸作業を行うも、電話は不通。致し方なく吉祥寺の手前、西荻窪駅でうなだれていると、ビリビリに裂けたワークシャツのYが現れたのだ。「おい!これみろよ、リーマンに絡まれてヌンチャクのシャツこんなになったんだからな!」と自転車で現れたY。なにかあったようだが、後年そのお気に入りのワークシャツをマジックピンでうまく、パンク風にあしらっていたのがYらしいセンス。2月の外気、数時間歩き続けて(しかも卒業式は彼の家から行くつもり)でいたから大量の荷物を引きずり、自分は難民の如くいで立ち。彼は人の不幸?を爆笑していたが~そこもまた彼らしく、一人っ子の彼、友人を迎え入れることには積極的でもいた。彼の家は吉祥寺の繁華街、マンションの一室にありネオンまばゆい7~8階でいた。何回かお邪魔していたが、彼のお母さんは秋田の人で自分がゆくと、いつも比内地鶏できりたんぽを作り待っていてくれた。「アイビーの子」みたいな言われ方をしていたが、綺麗なお母さん。そんな真夜中、彼の部屋にて数日過ごすことに。もう卒業式まで半月ほどでいたので学校は無く、当時ハシりの海外製のフィギアやハイスタンダード、ヌンチャクのポスターが所せましと貼られた部屋、「ミュージックマン」なるエレキベース、バウンティーハンターのサポーターやら裏原宿系のブランド服が、無造作に脱ぎ捨てられている部屋に居候。高校生なのになんでこんなハイブランド品ばかりかというと、彼は当時OLと当時付き合っていて、色々買ってもらっていたようだ(笑)


あいつらしいといえば、あいつらしいのだが。深夜のコンビニ弁当を食らい、当日は就寝したのだが、朝起きると調子が極めて悪い。どうやら夜中とおして2,3度の外気の中を歩き回ってきたものだから、風邪を引いたよう。彼はバイトに出てしまい、自分は彼の部屋で寝込むこととなる。最初の1日、2日はよかったが彼の家族にも、申し訳なく3日で自宅に戻ることとなる。「なんだよ、おまえ、、もう帰るのかよ」「帰んなよ、あんな家」口の悪いYらしく口をとがらせ留まるよう説得されたのだが、「お前なんか知らねえ、じゃあな」とどこかに行ってしまったのだ。電車賃を借りて自宅に戻ったのだが、何とも消化できぬしこりの様なものがいまだに残り、、今思えばあのまま彼の家から卒業式にでて、そのままどこかへ旅立つべきだった(笑)

その後、90年代後半よりフリーターとなったYと自分は、うまがあい良く呑み遊んだが、20代の後半、ある日を境に自分の前から姿をけしてしまった。人生ってのは色々あるが実に寂しい。いつかまた西荻窪あたりで再会できることを夢見て。そして今日も西荻窪を行くのでいる。


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