先日は映画「鉄道員」を観た。高倉健主演の映画をコンスタントにみているんだが、1999年公開とある。なるほど、あの若手俳優のシャギーの入った髪型なんか見ると、20年前にはあんな頭した輩が多かったなあ、と振り返る。で、想像していた内容と違い、話の内容はまるで違うも「クリスマスキャロル」的な展開、と仕事で殉職する佐藤乙松(高倉健)、日本の土着性が垣間見れた作品でいた。それにしても志村けん、登場した瞬間に笑ってしまうのは「神」ゆえの存在感、何をしていても面白い。(特に酔っ払い役)
一人遊びが昨今増えて、アクチブでなくなったなあ~と感ずる40代の半ば。「誰かと遊びに行く」ということが無くなり、これも節目なのかもわからんが、どことなく物悲しい。これではいかん、とT先輩にお声がけし~都内をポタリングしようという計画をたてていたのだった。
当日、ムワリと高湿度高外気。最高じゃない、昨今「体」を忘れがちでいる。この感覚は養老孟司氏の本を読んで意識するようになったんだが、「脳」ばかりでそれに伴う「体」を忘れがち(伴わない=使わない)傾向にあると。確かに「脳」ばかり使うから、余計なことや心配事、すべて合理化された日常に傾きがちになるもので、、、。肉体的に、体力的に疲労していたらそんなことも考えずに、ぶっ倒れて眠りにつける、ある種の人として精神的な解放があるのではないか。養老氏はそういう事を言いたいのではしれないが(笑)そう解釈すると、完全燃焼の意識が優位になって、一日一日軽く燃え尽きる意識が湧いてくるもの。
ジョグもそうだが「こんな暑い時」とよく言われるのだが、それ故に「走る」醍醐味がある。先日のポタリングもそんな感の陽気で胸躍る。
と甲州街道でT先輩と落ちあい、コーヒーをご馳走になったのちに、今回はT先輩チョイスのポタリング・スタートである。懐かしい世田谷は経堂エリアを抜けて~用賀方面へ。高校時代にあったレンタルCD屋や古本屋はほとんど姿を消していたが、無理もない、あれから四半世紀は立っているのだから。このあたりに住んでいる同級も多かった。当時はよく高校から二ケツして、爽健美茶を飲みながら移動していたが、、「爽健美茶」って今でもあるのであろうか?思うにあの頃500ペットボトルが出始めで、やたらに500ペットボトルを持ち歩き歩いていた。確か「お~い、お茶」がその走りだったような。「紅茶花伝」「Piko」紅茶・緑茶系がそのほとんどでいた。空いた500ペットボトルでケつを引っぱだいたり、頭をたたいたりで通学の道中は遊んだもの。
話はそれたが、用賀から砧へ抜けて~岡本。砧の運動場はやはり高校時代に陸上の大会があり、数か月に一回は来ていた。そんな大会の慣らしのジョグは砧公園から岡本エリアへはジョグした記憶があるが、、近年は未開。
T先輩曰く高級住宅街とかで、、なるほどバカでかい門柱の家や外車が目立つ。勾配の強い道も多く、Tさんおすすめの富士見坂(正式名称でない)で遠く、富士山を望むもこの高湿度と熱気でまるで見えず。25~30°の勾配はあるか、、勢いよくクロスバイクで滑り降りたのでいた。(が体にあたるは熱気である)
その後二子玉川・瀬田方面と、川沿いの小径を行く。「ここの道を、真夏の炎天下自転車で行くのがいいんですよ」とT先輩。まさにそれである、暑い中って気持ちがいいんです。途中、多摩川を望むお寺で小休止、どことなくインド的なモニュメント、狛犬が目立つ「密寺」。
ハスの葉に不動明王が抜群のセンスである。仏教に際してはよくわからないが、こうした日本の土着性には仏教がぴったりに寄り添えている、反りが合っていると思う。
こうした象をかたどった仏像、名はわからないがご利益があるような気がする。「仏像」「東京インド=高円寺」なんてことを言っていた、「みうらじゅん」氏を彷彿させる仏閣でいた。
こうした「この場でしか、この時にしか見えない情景」というのがまたいい。Tさんと共に、再び川沿いを、そして大田区方面へとクロスバイクで漕ぎ行くのでいた、、、。しかし熱い!!。





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