2023年7月19日水曜日

「私を断罪せよ」岡林信康のLP

最近、燃え尽きている。燃え尽き症候群というのがあるが、個人差とは言いつつもどれくらいで燃え尽きるのであろうか。燃え尽きた後の虚脱・虚無。こうした濃厚すぎる修行に近い日々がいつか実を結ぶ日が、来ることをただただ願うのみ。しかし言ってたぜ、水木さんが。「努力は裏切る」と(笑)

そんな夕暮れ西日の青梅街道を、西荻モンガ堂へと立ち寄る。冷房をつけているため、軒先の安価な段ボール群の書籍は、すべて点内に収められている。まるで昭和の学習塾のような、アルミの引き戸を押しいると、プンと古書のかおりがするのでいて、疲れた体と思考にはいいフレグランスとなる。つげ義春はないか、と探す。が、だいぶモンガ堂でつげ義春の古書は買ったもので、昨今見かけない。弟の「つげ忠雄」の書籍があったが今回へ敬遠。植草仁一、赤塚不二夫あたりが気になるも、今回は無いかな、、、。


と、店主の方が「これどうですか」とおもむろに岡林信康のLPを出してきてくれた。実に懐かしいLP,高校の時に高田馬場「タイム」で買った「岡林信康の世界」である。高校時代は狂ったように岡林信康を聴いていたが、、なぎら健壱の本からして自分も「フォークの神様」だと思ってた。この「岡林信康の世界」は「ビクターSFシリーズ」でいて、なぎらけんいちや、流行歌手もこのシリーズでリリースがあった記憶。ベスト盤でいたが「くそくらえ節」「がいこつの歌」収録、たしかこの2曲は発禁扱いでURCレーベルからのCDにはなく、当時聞きたくて堪らなくLPを購入したのだった。当時バイブルと称して愛読していた「日本フォーク私的大全/なぎら健壱著」1995年で、岡林信康の話。当時のフォーク・コンサート会場に飛び入りで参加した岡林信康、カレッジフォークの小奇麗な恰好で(ボタンダウンシャツにコットンパンツのいで立ち)が多い中、岡林信康は下駄ばきで「くそくらえ節」をうたい、聞き手の度肝を抜いた~といった趣旨の話があった。それ以来、スッカリ岡林信康に傾倒してしまい、友人Sとの関西旅行の折には岡林信康の出身である、滋賀県近江八幡まで訪れたもの。考えるに、岡林信康から派生しての~高田渡・加川良~はっぴいえんど~といった具合に聞き漁っていたのだった(自分の場合、ほとんどは邦楽フォーク)。


中でも96年に新宿のCDショップで初CD化で買った「わたしを断罪せよ」はいまだに名盤、というか個人的に思い入れが深い。「断罪」という言葉の意味が解らず、、当時調べるに「有罪を下すこと、打ち首にすること」とある。なかなか重たい意味合いなタイトルだが、、岡林信康は教会の息子さんなのである。そうした宗教的な意味合いが深いからかもわからない。奇しくも当時は、慕っていた叔母が亡くなり自分にとっては「冷たい夏」でいた。そうした故人の片付けの折、親父が借りてきたレンタカー、なぜかエアロスミスの曲がながれラジオを消した親父が「おい、なんかCDあるか」と手渡したのが、この「私を断罪せよ」岡林信康ファーストアルバム、なのでいる。(表はフオークギターを抱えたもので、裏はエレキギターである)



1曲目の「今日をこえて」(確かバックははっぴいえんど)はフォークロック調のアップテンポでいたのだが、後の楽曲はマイナーコード主体の暗い曲ばかりでいて「モズが枯れ木で」を聞いた折には、叔母を亡くした喪失感で胸がいっぱいになった記憶。最後の曲は「友よ」でいるのだが、岡林信康の挨拶が入る構成でいて「え~~、今回僕のレコードを買ってくれて~ありがとう」といった趣旨の内容「え~~、僕の歌、暗いのが多いんですけど、、」と自分で言っているほどである。だが、なんとも関西の土着性の強い、岡林信康の楽曲を聞くと、、まるで古い、排他的な「日本昔話」の世界感から、新しい感性の芽吹き、竹林の春先の筍の如く地を突き破り、伸び行く若竹の世界観にハマるもの。セカンド、サードと聞きいるうちに取りつかれてしまった「岡林信康」の世界、、、。

そんな回想を2~3分して、そっと「岡林信康の世界」を元の位置に戻したのでいた。手元に置いておきたくも、、レコードってあると安心して、聞かなくなっちゃうんだよな~。それをいったら自分の書斎は成り立たなく、ま、しばらく考えることして、西荻モンガ堂をあとにしたのでいた。







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