石畳、そして長い坂。20代後半の山形旅行の折には、ここに友人と寄った記憶。そう、坂の途中にある、鮭を干している魚屋が風物でいて、こうした光景はまず関東では見かけない。
であるから、10数年たった今でも鮮明に記憶していた。それはそれで、よく食べただけあり強烈に便意もよおし、急いで公園はじのトイレへと駆け込んだのでいた、、、。
見たことある古い家並みや、珍しい昭和初期の鉄筋造りの建物、、どこかで見た記憶があったのだが、今年の冬にみた映画「おくりびと」の舞台になった建物でいた。山形の人はこの映画「おくりびと」と、ミスチルの桜井氏を押す。いずれも由縁ある故であるが、山形出身者にそう聴けば、そう答える人が実に多い。映画の煤けた鉄筋ビルディングの面影なくも、確かにそうでいた。周囲見渡せば、なるほど古い建物も多く、戦災を免れ、そして地震もこの地方は少ないのか。
戦前の映像に移ってるような家屋が多く見受けられたのだ、それだけで歴史好きとしては非常に胸躍るもの。酒田は昭和50年代に大火があったと聞く、日本海岸の東北地方は新潟大火、昨今では糸魚川大火なんかがあるが、日本海岸からの風にあおられて町一つ燃えてしまう事がある。この公園周囲はそのような火災から免れたのであろう、古い街並みを拝むことが出来たので非常に素敵でいた。
~と即身仏が二体安置されている「海向寺」へ。前回もやはり立ち寄った、祀られている即身仏は立派な鉄筋づくりの仏閣に安置されている。インターホンを押し、しばらくすると女性の方が現れて拝観希望の旨伝える、大人一人500円の拝観料を納める流れに。一つの仏閣にて2体の即身仏安置は珍しいよう、厨子を御開帳、江戸時代の初代住職である方二名の即身仏と対面。一通り説明を受けて、「では対話をしてみてください」と。実に不思議な空間、言葉にはならない、心の中で対話をしてみようにも自己紹介ぐらいしか出てこなく、こうなられるまでの苦行や救済といった人のための願い、に比べなんて浅はかな、目の前に言葉すら浮かばない。「自分の人生の終焉は自分で決める」といった説明が、妙に感慨深く、武士に通ずる何かがある。というのも、今回は説明受けなかったが、一人の上人は「元武士で人を殺めて出家した」と聞く。また「井戸で眼病の女性がいて、井戸水で目を洗っていた。その気持ちになるために、自身も目をくり抜いた」と説明を受けた記憶がある。そうした話を聞く、と自分の苦悩なんてのは鼻糞に等しく、恥ずかしくなるもの。15分ほど即身仏である上人二人と対面し続けて、海向寺を後にしたのでいた、、、。






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