2023年10月9日月曜日

私鉄沿線、でなく都営荒川線沿線

、先日はようやく山場、乗り越えたのかそうでないのかよくわからないが、しばらくは休息をかねた「普通の日々」が過ごせる。安室の「♪長かった~~恐かった~~、、でも」そんな心情、気がつけばどっぷり秋の中盤に浸かっている。

2週間ほどぐらい前まで、冷房かけていたが「夏の突然死」といっても過言でない、残された後家の気持ちで、自分はトレーナーなんか引っ張りだして、羽織ったんだが、、。どうも長くクローゼットにしまっていたせいか、えらくカビ臭く、なんどかムセ込んだのだった。トレーナーはヴァン ジャケットの創業者・石津謙介の和製英語だと本に書いてあった。他に「スウィング・トップ」「TPO」などなど、、、。だからなんだという話なんだが、いまだ使われているのが凄い。なんとなく「ああ、あれか」と想像がつくもの。

、所要で高田馬場へと向かった先日、都営荒川線に乗るためにJRの駅から都営荒川線「学習院下」までテクテクと歩いたのでいた。学生時代にお世話になった「ジーンズメイト」、一時期は24時間営業していたが、そのメリットがよくわからない。だが、夜な夜な訪れた「ジーンズメイト」はイカ釣り船のように煌々と光る店内、寂しさが紛れるような、ぼんやりとした「希望」がそこにあったような、なかったような。現在はちゃんと朝は閉まっていて、逆に安心した。


早稲田通りを抜けて、、明治通り辺りまで。このまま道沿いを行くのは面白くなく、外れた裏道。昔から高田馬場は細く狭い路地が多い、、で軒先に植木を置く、この下町感はいまだ健在、猫よけの「猫水」と、その正反対・猫愛好家の餌やり場が混在している不思議なエリアだったが~昔ほど野良猫は見なくなった。ネコが好きなのか、嫌いなのか、よくわからない町が高田馬場でいる

この明治通りと合流する辺りは、学生時代には夜な夜なジョグをしていたもので、変わらずただただ懐かしい。池袋方面へ向け伸びる、長い長い直線の明治通りはこのエリアの代名詞。こち亀の表紙にもなっていた記憶。初乗り170円、初乗りとは言わないか、全区間170円でいるのだから。「チンチン」と走り出す際のベルが不思議で、運転席後ろに備えられていたベル、をずっと見ていた。昔、実家で飼っていた犬が~壁をずっと見つめていて、その先に目をやると巨大なゴキブリが留まっていたことがあった、そんな感じに近い。
都営荒川線、1両でいると混み合うとかなりの寿司詰め、、昨年の春に乗った際もキチキチもいいとこで、押し寿司の具材になった気分だ。今回はそんなこと無くとも「奥に詰めてください~~」と運転手の低い声が車内に響く都営荒川線。今回は「庚申塚」という駅に用事があり降りたのだが、、そうか無人駅でなくこれは軌道を走る路面電車なんだな~と改めて実感。
商店をあるけば、武蔵野エリアでない北区エリアの濃厚感がこの町の風情を生む。古い建物も多く、木造、看板、銅板張りの建物は無くも、まさしく「商店」である。やや寝不足気味でいて、目頭が熱く~用を終えて帰る復路、都営荒川線はさらに度を越して滅茶苦茶に混んでいて~並んでいる人があるも、乗れないほどでいた!多くの人は大塚駅で降りたのだが、知らずに横から入ろうとしたおばさんに、並んでいた人から「、、みんな並んでるんですけど」と乗れる乗れない、瀬戸際が苛立ちを生み、普段どうでもいいことが、どうでもよくなくなる瞬間。


ふと路線をみると、不思議だ、蜘蛛の巣のように張り巡らされた都電の軌道敷地。「ああ、自分はここでこうしているんだな、以前からこうしていたのかもしれない」といった、つげ義春をなぞる様な心情でもって庚申塚を後にした。、、特にオチは無し。

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