つげ義春、
でないが一時期「夢日記」的なものをつけていた。昨今は、その忘れる過程が早いもので、本当に印象深い物しか記録してないが、、。夢には潜在意識が反映されているのかいないのか、ものすごく訳の分からない夢を見るから面白い。
と、夢はどことなくストーリー展開的につながっている、毎回続編のようで同じ場所が出てきたりするから不思議。それも思い込みかもしれないが、、、。そんな「訳の解らぬさ」を楽しむ余裕が40代になると余裕として?現れる。
浅い夢の中で、スキー場のような雪に閉ざされた世界で上り坂急斜面、ばたりばたりと人が遭難している夢を見る。ひとりひとり声をかけるがすでに息絶えているもの、虫の息の者、と10人以上雪に埋もれているから確認して廻る。そんな夢や、指が六本もある酔っ払いの夢、、やら。不可解な夢ばかり見て、果たして現実なのか夢なのか、自身が病んでいるのか、、春先とはこういう奇怪な現象??非現実な夢を起こす引き金となるようだ。
それにしても物凄い風でいて、、春一番はすでに吹いたし、、ただ単に迫りくる低気圧の影響の様だが。叩きつける雨戸が、天地創造を駆り立てる。外に出れば畑からの、巻き上げられた砂埃から、春の霞たなびく隅田川、、でないが物凄く埃っぽい。目なんか開けていられないが、こうして佇んでいても致し方ないので、クロスバイクを漕ぎ行く。
しかし向かい風だ、バカ野郎!!と全然進まないじゃない!?右往左往しながら、やっと思いでたどり着いた図書館。返却貸し出しを繰り返し、埼玉県方面とクロスバイクを進みゆく。さらに畑が増えたためか、、まるでスーパーマリオ3の「砂漠面」みたいになっている!風で煽られた砂埃が、幾度となくモミクチャにされて町全体を覆っている。軽い砂嵐状態でいたが、、こうしてその嵐の中から抜けて、高台から拝むと「ああ、あの渦中はこんな状況なんだな」とよくわかるもの。
花粉症は無いが、、目がしばしばするのは砂嵐の渦中にいたんだな、、、と。ふと太陽を見上げたならば、、太陽の周りをブロッケン現象のように埃で輪になっている。ここまで来るには、かなり苦労を要したが来てよかったぜ、と体験は語る。そんな埃臭い中を抜けて、街中へでれば、すさまじい高層ビルからの風を受けて、よろつき、、場末のリサイクルショップで顔を出す。
いつもの女性が「美女と野獣」を澄んだ声で唄っていることが多いが、今日は楽曲名は忘れたが岡本真夜の楽曲でいた。品定めをしながら聞き耳を立てていたが実にうまい。「躊躇」というフレーズが無いから良い、ガンガン歌う、それに賛同した同僚が歌う。それを黙って聴いていた男性が「、、音階がちょっと外れてる」「それって褒めてないよね、、褒めてないんだよこの人」「その業界で働けるんじゃないの?」「、、だったら此処に居ないよ」なんて。一番響いたのは「素」で唄っていることで、いつもこの店にくると洗練された気分なる。それってのは大事だと思う、年を重ねてくると、どうしても偏った思考になったり、偏屈になったりしがちでいる。こうした「気づき」で自己の偏屈さ屈曲さを修正できるような気がする。自分にとってそう感じることが、筋肉のコリを、人生の解釈を和らげることなのだ。
すっかり修正されて、ものすごい北風か、彼女の歌声に修正に効果あり、現実に帰らせていただきます。



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