マイルス・デイヴィスをひも解く宵、、、。
ひも解くなんて偉そうな響きだが、全くわからないところから、連日連夜一枚一枚聞いてゆくと、、「あ、これカッコいいな」「なんとも寂しげだな」「やたらに耳につくな、、」といった具合。そうした感性・感覚は不幸・不運な時ほどさえるのは、何故なんだろうか。
昨晩は洗濯機周囲が水浸しになり、聴いていた途中よりジャズどころでなくなる。
一度、食洗器を電化製品周囲に置いていた時代があり、水が漏れて漏電から感電したことがある。感電とは、電気のそれは言うまでもないが「びびびびびび」とくる。それは水分で構成された体に伝わるのも早く、いうなれば高度な「足のしびれ×4倍」といった具合か。であるから、感電は怖いのである。
そっと洗濯機により、(アースをつけていても信じられない)忍び足で近寄り、床材をふき取る。いい感じで「Live Evil」をいい気持で聴いていたのに、、過去の感電事件が脳裏をよぎり、それどころでなくなってしまった。どうやら洗濯機のゴムパッキンの劣化の様で、、乾燥機付き洗濯機は寿命7年ほどと言われている、、なるほど、確かに今年で7年目でいる。
「ばかやろう」と小さくつぶやいて席に着くも、、もうあの「Live Evil」のノリは取れ戻せない、洗濯機も修理に出さねばならず、ああめんどくさい、と中学時代に流行っていたミスチルの楽曲を聴きかけるが、これではいつもの流で「Don,t Look Back」だぜ!と「Spanish Key」をやや大きめ出かける!いいなあ、この楽曲を聴くとネバーエンディングストーリーにでてくる、「虚無」ことあのオオカミを連想させる。それから沈みかけているアトレイユの、わずかな希望、ホワイトガソリンという名の希望注入、フアルコンが助けに来る、それを阻止しようととびかかる「虚無」、、その希望と虚無のせめぎ合いが中年の自分には必要なのだ。
周りを観れば皆ネガティブだ、、(自分もだが)昔の話ばかりしている、ああだった、こうだった、と過ぎた話ばかり。自分は新たに知ろうとしている、このジャズ新境地から、腐る泥沼から抜け出したいのだ!(実におおげさだ!!)「Spanish Key」後半の目まぐるしい展開、あれは走馬灯のような展開、生まれて間もない自分が小学生・高校生となり家庭を持ち~普遍、怒り、葛藤、気がつけば老の始まり、なんとなく落ちぶれて~我に返って、、、、と、ふと我に返ると折り返しの自分がいる、、勝手な「Spanish Key」の自己解釈。ジャズってそれでいいんだと思う、、詩があると、そうした勝手な解釈ができないい、、、。いいタイミングでジャズに足を踏み入れたか、、、。
ああ、洗濯機はどう工面しようか、、、とりあえず「バグス・グループ」を聴いてから。

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