2024年9月14日土曜日

奥能登探訪~輪島市門前町・総持寺にて~

職場の出張にて石川県は奥能登エリアへ行く運びとなる、、、。

奥能登はあの石川県日本海に飛び出た先、輪島市から上を指すようだ。

車で経路を色々調べると、関越道~上信越道~北陸道でのルートが一番近いようで、、長岡からの経路を考えていたが時間的にも7時間半ほど、と決して近くはないが頑張れば行ける距離である、、。

朝普通に出発、鼻歌交じりで高速にのり、気が付けば日本海にでる親不知あたり。糸魚川を超えて富山県に入れば未開の地域。「入善」というところでが俵型のスイカが取れるとかで気になるところだが、収穫時期は7月末が最盛期であるから時期を逸している。

石川県には入ったならば、、1991年の小学生以来の石川県入りである。あの夏はソ連崩壊の時期でいた。通っていた進学塾の子供と石川県は剱地地区との子供の交流会があり(なぜ、剱地であったのかがいまだ解らない)関東地方から100名以上の子供たちがなだれ込んだのである。「○○フォーラム21」(正式な名称が思い出せない)その地区でのキリコなる神輿を担ぐ、お祭りに参加した。

あの頃はバブル末期だったのもあり、小松空港までは飛行機で、そのあとJRに乗ったが車両にはその「○○フォーラム21」のパネルまでつけた電車が登場し、一同「おお~~」と驚愕したものだが、繰り返すがそのイベントの趣旨と、目的がいまだに解らないのでいる。

そんなこんなで、地理感全くない中、のと里山街道を北上する。自分はその街道を走りに道がガタガタでなんて走りにくいんだ、途中でくねくねと右往左往する道に眉をひそめたが、、あ!これは不謹慎にも地震で致し方なく、こう通行できるようにされていることに気が付く。反対車線は滅茶苦茶である、あの2005年の中越地震の折にも、長岡方面もかなり道が歪んでいたが~それ以上でいた。勾配も土地の隆起もあってひどいものである。北陸道を下りて2時間かかると先方から話を聞いていたが、実際に2時間近くかかり輪島市穴水へと至る。

一路、かつて参拝した門前町・総持寺を目指す。穴水市内ではそう気にならなかったが途中倒壊した建物が多く目立つ。大体が1階が潰されてしまっている、また道路もヒビ行ったところ多々あり、そうしたところにはコーンパイプが立てられている。なんとなく人気もなく、まず子供がいない、若い人がいない。道路端の歩行路を歩いている人はまずいない、、、。町全体が静まり返っているのだ。そうしてマイクロバスで小学校の時に尋ねた、門前町の総持寺に立ち寄る。

あんなに賑やかでいた参道の商店はみなしまっており、誰一人いない。

町が仮死状態なのでいる、とそこにセミがワイワイ泣くので残暑の勢いと人臭さが比例していない。総持寺に入るも、拝観料はしばらくはいただきません、とある



立派な山門や石垣、灯篭の類は崩れてそのままでいるが、ムワリ蒸し暑い総持寺の境内、その景観たるや、こうした状況であるけれど威厳がある。

数年前に寄付金を集めて修理改築をしたばかりであると聞いた、どうりでその壊れていない、割れなかった瓦には「令和2年 ○○○○寄贈」と寄付者の氏名が書かれ山積みにされている。30数年前とは偉く違う風景をしばし見つめていたが、額を流れる汗をぬぐうことを忘れるほどに、震災の傷跡を目の当たりにすることとなる。




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