そうしてフリーの日曜日。どうした訳かエンジンかからない日常でいる、気になる事といえば、千葉にある幼少期に祖母とよく言った大型スーパー「イトーヨーカ堂」が閉店になることぐらいか。
来年の2月閉店でいるが、、年初めは忙しく~今でなければ余裕をもって行けないな、、と昼寝は後回しとすることにして、貴重なフリー休日を千葉は姉ヶ崎にあるイトーヨー堂をメインとした姉ヶ崎行脚とかこつける!
「姉ヶ崎、、ああ姉ヶ崎」である、
実家から2時間かかるこの地で、祖父母が軒を構えたのは1978年と聞く。時同じくして生誕した自分でいるが、よくバギーに乗り、この地まで来たものだが、それは19歳までと約20年近く通った道のり。千葉らしい、冬にはススキの花が乾ききって干からびて、乾いた風に揺れるのが千葉でいて、その景色はつげ義春の「茂原」時代のそれか、えらく共感できる景色でいる。都心で生活をしていると空っ風で埃っぽくて、茶色の原野を見ていると、何とも言えぬ風情がドンと押し寄せる。まさに「枯野」でいる。
当時は国道沿いのバス停で~よくバスを待っていたものだが、、その向かいの電気屋の屋根に、ビクターのニッパーが何体も並んでいた、それが幼心に不思議でいたが、、、。?
よく見ればまだ一体ニッパー君が屋根の上で首をかしげている。すすけたニッパーだが、こうして何十年も首をかしげているかと思うと、妙な親近感がわくという物。
その向かいのコンビニでは布袋寅泰のシングルCD(1994年辺り)が売られていたが、、それを横目に思春期の目覚め、成人向け雑誌なんかも、遠く離れたこの地で読み更けていた(笑)
当時と同じ心境重ね、祖父母の家があった辺りまで出向くことに。最後に来たのは1999年辺りでいるから、もう四半世紀は経っているけど区画といい、茶色い土手と言い、何ら変わっていない。まるでタイムスリップしたような景色、幼少期には道に迷い~妹と共に半泣きで祖父母宅を探してた事や、「おもちゃのチャチャチャ」を流しながら来る、移動パン屋なんかを思い出す。
そんなこんなで、かつて祖父母のあった家の跡、、。もう人手に渡り、その佇まいはないが、、厳密にいえば壁面がまだ生かされている。その壁面が名残り、、ここでサンダル履きの幼少期の死んだ祖母・死んだ叔母と映った写真がまだあるが、それでもなんとも懐かしや。懐かしい懐かしい、、と初老も超えた中年の現れ顕著。この公園の入口に置かれた象のマスコットは当時のままでいる!!
ふと、お隣さんが洗車をされていて、このエリアで有名な「姉崎神社」の行き方を尋ねたならば、丁寧に教えてくれた。実は姉崎神社では遠目でしか行ったことが無い。その道順を聞いたのちに、ふと祖父母の話をすると、しっかりと覚えていてくれて嬉しかった。「、、私もまだ子供でしたが、、おじいさんおばあさん、猫飼っていて、、」「お孫さんなんですね!?」なんて。なんとも独りよがりな突発的な行脚から、ポッと一輪花が咲いたような心情で、礼を言って笑顔で別れた。
姉崎神社は鎮守の森でいて、大きなクスノキが迎えてくれた。しばしここで佇んで、「ああ、自分は姉崎でこうしているんだな」そんな心情で姉崎(あねさき)の昼前。
0 件のコメント:
コメントを投稿