夕方が来るのが早くて、暗くなってからの活動は寒く嫌なので~日が上がっているうちに事を済ますようにしている、、、。
必然と寝るのも早くなる、夜9時に寝るなんて今時小学生よりも早いぜ、、無論日付が変わる頃に目が覚めて、二度寝して早朝は何度も寝返りを繰り返して、起床と至る。周りからは「三年寝太郎」なんてやじられて、ま何でもいいのだけれど中年の寝不足は色々とデータ的に影響を及ぼしそうなので、、「まだ40代は無理が効く」なんて先人(ここでは団塊世代を指す)は言うが、もう無理なことはしない。粛々と深いる晩秋の如く、重く重く瞼を閉じるのだ。
と、先日はまたもVANのジャケットを購入する。やや変わり種、Pコートジャケットとでもいうのか、ベロア仕立てのタイトなジャケット。なんとも60sっぽいポップさとミリタリーさがある。
じつはこの手のジャケットを初めて目にしたのが、高校1年の冬でいて、高田馬場のあった「T」という中古レコード店。飾られていた布施明の「霧の摩周湖」のEP。布施明のフアンでも何でもないんだけれど、布施明が着ている、ジャケット(おそらくこれはPコートだと思う)「カッケー!!」と豪語して購入したのだ。(確か700円ほどでいた)
何故布施明?なのだが、、、。
愛読していた?(といって服飾に熱心だった、友人Sが読み終えた物をもらって読んでいた)今では廃刊になってしまった「チェックメイト」1996年2月号の最終ページに連載していた「JAPANISE MEN‘S FASHION GRAFFITI」、綿谷寛氏、イラストの「これが正しい日本の○○〇」を毎回楽しみにしていて、そこで紹介されていた「日本のモッズ」である。
その紹介文で布施明が取り上げられていたのだ。当時はモッズルックの先輩が居たり、丁度ビートルズのラバーソウル辺りを聴いていたものだから、アイビーの次はコンチネンタルなモッズだ!と一人空回りしていて、当時の60年代の日本の「モッズ」(自分の場合はやや歪曲して、誤っていたりするけど、南蛮由来的な、日本流オリジナル)に傾倒していったのだった。そのお手本が布施明とあったのだ。もちろん、当時(1996年あたり)高校生が当時のVANなんか手に入れることはできなかったのだが、、丁度時期同じくして市町村が取り組みだしたリサイクル事業、持ち込まれた不用品、スーツなど当時のジャケットを探して、ほぼ毎日学校帰りにリサイクルセンターへ通っていたもの。(それは今でも続く、、)マイGSブーム(1997.4~1997.10)も重なり、ブルコメやスパイダースが着ているような、この手のジャケットやスーツが欲しくて欲しくてたまらなかったのだ、、。
が、VANはあってもなかなか奇抜で華やかなものが当時見つけられずに無くて、、仕立て屋に持って行き、普通のジャケットのボタンの数を増やしてもらったり、直してもらったりして着ていたが、なんとなく違うなあ、的な感あり。結局、若き日は過ぎ去り40代も半ば、、、。
そうして手に入れた今回のジャケット、気持ちは若いんだが、どうもおっさんが腕を通すと無理がある(笑)が、この手のジャケットを1996~97年辺りに着て、高校に通いたかったなあ、、なんてメランコリーな気持ちなんだ!!ま、それもそれであの頃の自分と再会かな。
コレクションとして納めましょう、、、。しかし仲の良かったN先輩はマッシュルームカットでサイケないで立ち、フレアーズボンで街を闊歩していたが、、そうしたくも中年になってしまうと、ただの「いたい」おじさんになってしまうのは何故でしょう、、。
晩秋の夕暮れ、メランコリーのVANのベロアジャケットを見つめて、、、。




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