2025年12月11日木曜日

Jジャーエールのエールは、応援ではない。

 と、またも見つかった虫歯治療をしに、かかりつけの歯科がある目白辺りまで、クロスバイクで向かうのでいた、、。

先日の受診に帰り際に、、レントゲン撮ったらその影が反対側にあるとの事で、、年内に、いまある虫歯を治そうという、という、そういうアプローチ。

いかんせ、ビール代用として嗜んでいた「Jジャーエール」による、甘味爽快感、習慣その嗜好濃厚である。Jジャーエールなんか飲んでやるものか!と在庫を抱え日々生活をしているが、、1930年代のアメリカの禁酒法の様に、下水にでも流し捨ててしまおうかとも考えるほどでいて、、「嗜好」ほど人を、「恒常を不安定」にする要因はない。

かつて情熱を注いでいたカワサキW1しかり、アイビーしかり、飲酒然り、、すべて仏教でいう煩悩だ。自分は無神論者だが、、そうか、そんなこんなして「男も女も死んでゆく」という意味が最近よくわかったのだ。

、、と目白。好き好んで目白に来ているわけではないけれど、、さすが小学生の時分から診てもらっている歯科医師先生には、まるでかつての担任の先生に会うような心境で、クロスバイクで通っているのだ。

着いたのが早すぎて、、途中、T馬場あたりをブラブラとポタリングしていたんだが、、迷い込んだ妖しい袋小路。

昔、このエリアには「河童軒」なんていうカウンターのラーメン屋があり、家族で食べに行った記憶がある(1980年代の話)、いまは雰囲気すら変わらないけれど「雑踏」が心地よい。実にゴチャゴチャしプラス雑踏の町=T馬場である、昨今のアジアン感がそれを盛り上げるのだ。

新目白通り沿いの、大手外食チェーン「バーミヤン」も今は無し。そこから、目白方面を目指して右往左往。歯科医に辿るも、、まだ早すぎて非日常を堪能したく、、周囲を探索する。

、、午前中は日も陰り、、実に指先が冷える時間が多かったが~、初めて足を踏み入れる場所には、必然と心ときめくもので、、「ああ、自分にもまだ冒険心なんてものがあるんだな」と、時計の振り子のような生活を振り返りそう思ったのでいた。

歯の治療を終えて、、今時あまり使用している人がいない「はたき」を手に入れた。和室の鴨居の蜘蛛の巣でも、これで振り払いましょうか、、、。何となくビンボー臭い私、、。そんな生活の私に乾杯。

2025年12月5日金曜日

背丈にあった掘り出し求め、右往左往

 昨今、当直が多く、、なかなかにヘビーである、、。

体力面での「温存」が課題でいて、やけっぱちになり飛ばせば後半戦が苦しいし、ダラダラやればなかなかに仕事が山積する始末。性格がらに「やけっぱち」「完全燃焼」で朝を迎えるのだけれど、、当直の朝焼けって、こんなにもオレンジ色に東の空が暁色になり、、素晴らしいなんて思うのは年齢を重ねたからか、疲弊しているからか、、、。

朝の仕事をこなして、ようやく平日の昼下がりに解放される、、。

夜勤明けは大体、「惰性」でもって衣類(古着)漁りに行くのが常でいる。寝るには早い、呑むには早い、当直明けはこうして、非日常を楽しむのがよろしい。

と、前から気になっていたダブルのブレザー(国産品、フランネル製)を何度も試着して、これまでも何度も見に行っていたのだが、、1000円という値段なんだがイマイチしっくりこない。もう一度、検証しようとまた、S区リサイクルセンターへ行ったのだが、、

!?これは!?

ハリスツィード協会のパッチの張られた、肉厚なツイードジャケットが出てるじゃない!!チェンジポケット、3つボタン、サイドベンツ、、カントリージェントルマンとしか言いようのないジャケットだ!!しかも800円なんて捨て値もいいところで、、これだから古着巡りはやめられない。白洲次郎もおったまげのチキチキバンバン・ミラクルカー!蚊~ドッキリ・リキッド・蚊~でいる。

これだから区営リサイクルセンターは足しげなく通う価値があるというもの。と、寄付寄贈が多いリサイクルセンターであるか、同じ人が寄付したのか?いい感じのシェットランドセーターもあり(600円)購入とする。この物価高、、正規新品は買えない自分でいるが「掘り出し」で日々楽しんでいる自分を、心の中で客観的に見ているのもオモチロイ。

と、帰り際には、不定期開催のガレージセールを覗けば、、!?チロリアンハットじゃない!!

あの映画「サウンド オブ ミュージック」でトラップ大佐が被っているような、荒縄を巻いたような中折れ帽である。サイズもぴったり、、値段を恐る恐るみるも、、300円!!

安すぎ~! ドイツ製の様だが、肉厚なフェルト帽でいて、こういう品物が出るのは土地柄なのか、舶来の品々との巡り合わせが多いのが不思議。即購入と至る、、、。

限られたこずかい、のなかで日々こうして中古衣料品を、さ迷い探している自分でいるが、、人は背丈にあった楽しみ方(稼ぎに対して)というものがあるもので。それはそれで幸せですな。、、そうして右往左往しながら、背丈にあった掘り出しを求め、明日も出勤。

2025年12月4日木曜日

川下の川沿いの、高田馬場

 先日はまたも歯の治療へ、、かかりつけの目白の歯科までの行脚となる。

目白の歯科へは小学生から通っているが、今年夏の虫歯の悪化からの治療、その予後を診てもらうためである。早朝ジョグ後の出発でいて、クロスバイクでの目白行脚は気だるさ100倍である!何が疲れるって、、ついつい国道沿い(あの自転車走行枠)を調子のって漕ぎ進むから疲れるのであって、、マイペースに行けばよいのに馬車馬精神とでもいおうか、西部大開拓時代の馬のような心境で漕ぐからいけない。

気だるさ、それに何故か歯医者に行くのは気が重たいのもあり、ようやく目白に到着。治療部位は経過良好、その予後もよろしく、金はかかったが神経を抜かず生かせたのはよかった。安心して念のために、反対側をレントゲン撮影するやいなや、、あらたな白い影が!!そこまでデカくなくも新たな虫歯の出現である!

先生とも話したんだが、、なぜほとんどいままで虫が出来なかったのに、こんなに虫歯が多発するのか、、その原因は昨今ビール代わりに呑んでいるジンジャーエールであることが発覚。呑み始めた時期からしてリンクする、ついつい常備しているものだから、寝起きなんかにも呑んでしまう有様で、、このジンジャーエール習慣をやめるしかなし(コーラの様にジンジャーエールはノンシュガーとかカロリーオフは聞いたことが無い、あっても高そうだし、カナダドライでなきゃジンジャーエールとは言えないのだ)、まったくもって麦酒断ちの代用が虫歯を招くとは因果なものでいる。

やや項垂れて、目白辺りを探索する。

目白御殿、とはよく言ったもので高田馬場を下にみる高台。そういえば2010年代の初頭に、前の職場の先輩方とこのあたり散歩したなあ。「日立目白クラブ」なるアールデコ調の建物があり、やはり近衛公麿絡みの建物でいた。


昔は寄宿舎で使用していたというが、、今は何に使っているのであろう。やはりこうした建造物には棕櫚の木が映える。

小学生の頃には、このあたりの古い家に、マツダのコスモスポーツが停まっていて「あ、ウルトラマンで出てくる車!」と幼心に思った記憶がある。また、このあたり一帯は高級住宅街のようだ。そして山(高台を下り)、新目白通り、ここも角さん曰くつきの新道でいるが~妙正寺川あたりに至れば、ズブズブの高田馬場エリアでいる。

この辺りは地元だが、ほとんど変わらないのは何故だろう、、時代の流れに取り残されている。川沿いがドブッぽくて、不思議な匂いが鼻を衝く。まるで友人宅に上がり込んで、その家族の入り混じった、我が家とは違う体臭と生活臭を嗅いだ気持ちになる、しかし何故か落ち着くのはうまれた街だからであろう。

人も多いし、ごみの回収がいつも遅い(出すのが早すぎるからであろう)、その繰り返しをもう50年以上繰り返している。1964年以前の、東京五輪前には、東京の人は皆がポイポイごみを捨てるから、ゴミだらけだったようで、都は必死になって指導と清掃を行ったようだが、、その名残がうかがえる。目白と高田馬場は川上と川下なのかもわからない。

そんな人臭い街を抜けて、いまはなくなってしまった母校を抜けて、、2回目になるがほとんど景色が変わっていないことに気が付く。通り沿いはとにかく、地元に住み続けている人がそれをずっと継承しているのだと思うと、町を出たのが少し悲しくなったが、、。

高田馬場にいても仕方がなかったのである。日が陰り、新しい現代の我が家へとんぼ返り。

2025年11月30日日曜日

二世代目の「戦争を知らない子供たち」

 手袋なしでは寒い通勤行脚となる、、。

「コートなしでは寒いぐらいで、、」と歌う加川良の楽曲「下宿屋」(これは高田渡の下宿先を訪ねる歌と聞く)が、脳裏を流れる感覚でいて、歳を重ねてもそういう感覚がまだ生きているんだという、擦れに擦れた長年のオオサンショウオの感傷に似た自己満足でいる。

カーラジオからは今週ランク20位になったという、ハンバート・ハンバートの、NHKでの連ドラの楽曲が流れていて、、久々にアドレナリンが脳裏を駆け巡る。自分ともそう年が変わらない、お二人であるけれど、貫きぬいたものだけが得られる極致に居るんだと、そう思う。

スキャットマンジョン、横山剣しかり、その実となり熟れた瞬間を、そう感じれ過ごせるのがうれしい。ハンバート・ハンバートもよく加川良と一緒に歌っていたことを思い出す。加川良の「流行歌」を歌うハンバート・ハンバート、良かったなあ、、。

と、先日は70sなギターストラップが届く。父親にもらったギターのストラップ(レザー製でいたが、ネック部位のものが紛失)代用として、書類をまとめるもの(つづり紐)で、職場でのレクリエーションでは使用していたのだが、、何となく間抜けで~行きつけの古道具屋やギターショップ、リサイクルショップを経てようやく手に入れたのでいた。

専門店ではなかなかの高値(当時の国産物でも4000円~5000円程度、舶来(Made in USA)ともなれば1万円を超えるものも多い)暇を見つけて足しげなく通い探すのがよろしいところ。

これは国産ギターストラップでいるが、民族調、フォークロア調とでもいうか、当時っぽくて思わずPPM(ピーター・ポール&マリー)でも弾きたくなるような衝動に駆られる。ものすごく廉価で購入できて、危惧していたレザー部位の劣化もなく嬉しいところ。

昨今の物価高からか、2000年代初頭ですべてが物価の観念が、止まってしまっている自分にとっては、ハイパーインフレに近い感ありき、だが。こうして時代に埋もれつつある感覚を、最大限に伸ばし?欲するものを手にしてゆくと思うのでいる。

ネック部位には先日、ガレージセールで購入した手編み紐を装飾として巻き付けてみた、、、。来たる団塊世代の、後期高齢者2025年問題、、問題なんて大袈裟な、いまここで一つとなりギター1本で団結して、毎日を盛り上がり過ごすまででいる。自分は団塊世代カルチャーを憧れ追ってきたのであるから、、、。

二世代目の「戦争を知らない子供たち」なのである。

2025年11月28日金曜日

南蛮由来?のベロアジャケット

 夕方が来るのが早くて、暗くなってからの活動は寒く嫌なので~日が上がっているうちに事を済ますようにしている、、、。

必然と寝るのも早くなる、夜9時に寝るなんて今時小学生よりも早いぜ、、無論日付が変わる頃に目が覚めて、二度寝して早朝は何度も寝返りを繰り返して、起床と至る。周りからは「三年寝太郎」なんてやじられて、ま何でもいいのだけれど中年の寝不足は色々とデータ的に影響を及ぼしそうなので、、「まだ40代は無理が効く」なんて先人(ここでは団塊世代を指す)は言うが、もう無理なことはしない。粛々と深いる晩秋の如く、重く重く瞼を閉じるのだ。

と、先日はまたもVANのジャケットを購入する。やや変わり種、Pコートジャケットとでもいうのか、ベロア仕立てのタイトなジャケット。なんとも60sっぽいポップさとミリタリーさがある。

じつはこの手のジャケットを初めて目にしたのが、高校1年の冬でいて、高田馬場のあった「T」という中古レコード店。飾られていた布施明の「霧の摩周湖」のEP。布施明のフアンでも何でもないんだけれど、布施明が着ている、ジャケット(おそらくこれはPコートだと思う)「カッケー!!」と豪語して購入したのだ。(確か700円ほどでいた)

何故布施明?なのだが、、、。

愛読していた?(といって服飾に熱心だった、友人Sが読み終えた物をもらって読んでいた)今では廃刊になってしまった「チェックメイト」1996年2月号の最終ページに連載していた「JAPANISE MEN‘S FASHION GRAFFITI」、綿谷寛氏、イラストの「これが正しい日本の○○〇」を毎回楽しみにしていて、そこで紹介されていた「日本のモッズ」である。

その紹介文で布施明が取り上げられていたのだ。当時はモッズルックの先輩が居たり、丁度ビートルズのラバーソウル辺りを聴いていたものだから、アイビーの次はコンチネンタルなモッズだ!と一人空回りしていて、当時の60年代の日本の「モッズ」(自分の場合はやや歪曲して、誤っていたりするけど、南蛮由来的な、日本流オリジナル)に傾倒していったのだった。そのお手本が布施明とあったのだ。もちろん、当時(1996年あたり)高校生が当時のVANなんか手に入れることはできなかったのだが、、丁度時期同じくして市町村が取り組みだしたリサイクル事業、持ち込まれた不用品、スーツなど当時のジャケットを探して、ほぼ毎日学校帰りにリサイクルセンターへ通っていたもの。(それは今でも続く、、)マイGSブーム(1997.4~1997.10)も重なり、ブルコメやスパイダースが着ているような、この手のジャケットやスーツが欲しくて欲しくてたまらなかったのだ、、。

が、VANはあってもなかなか奇抜で華やかなものが当時見つけられずに無くて、、仕立て屋に持って行き、普通のジャケットのボタンの数を増やしてもらったり、直してもらったりして着ていたが、なんとなく違うなあ、的な感あり。結局、若き日は過ぎ去り40代も半ば、、、。

そうして手に入れた今回のジャケット、気持ちは若いんだが、どうもおっさんが腕を通すと無理がある(笑)が、この手のジャケットを1996~97年辺りに着て、高校に通いたかったなあ、、なんてメランコリーな気持ちなんだ!!ま、それもそれであの頃の自分と再会かな。

コレクションとして納めましょう、、、。しかし仲の良かったN先輩はマッシュルームカットでサイケないで立ち、フレアーズボンで街を闊歩していたが、、そうしたくも中年になってしまうと、ただの「いたい」おじさんになってしまうのは何故でしょう、、。

晩秋の夕暮れ、メランコリーのVANのベロアジャケットを見つめて、、、。

2025年11月26日水曜日

やはり人生50年

 健診、でいたがあまりの体重減に「何かありましたか、、ずいぶん体重が減っているようですが」と係の人に確認される、、。この歳になっての体重減はあまりないようで、がんとか大きな病を患っている、もしくは患ったのではないか、という目で見られるのだ。

ま、それはそうと職場の同僚たちは(特に自分に近い壮年の男たちは)良いデータを求め、一時的な健康志向にはしる(酒をやめる、ラーメンを食べないなど)けど、それでは意味がない、普段通りに生活していないと現状はわからない。(それでよいデータが出たとこで、だれが安心するのであろうか)自分の場合は、よく言う生活習慣病を表す数値は、非常に良いのだが~心臓の徐脈・不整脈があり、結果判定が悪くなる。そういう意味で人生はやはり50年と悟れる。

、、と2か月に一回の職場の同僚との皇居ラン実施となる。今回は女性の職員も参加となり、総勢10名の大所帯となる。メンバーたちは真夏の7月後半、37℃の中を走った勇士もおり、今時期の快適さと余裕を胸に、ランステに集合する。

T君がペースメーカーとなり、プラタナスやイチョウが散る皇居外苑を走り行く。いやはや、景色眺めつつ、春先もよかったが晩秋の景色もなかなかに良い。しかしなんて健全な集まりなんだと、と毎回思う。それだけに普段の不摂生や夜勤、6交代の勤務体制含め、健康でいたい思いが皆強い(といいつつほぼ喫煙者なメンバーたち)、今日はややそれて銀座界隈を走ってみた。皇居外苑と違い人が多く、また信号で止まり~で服部時計店の前で折り返し、外周へと戻る。今回は1周+2Km、7Kmで終了としたが(T君の膝の痛みが強く)初めて参加のメンバーもいてジョグ終了となる。いつものように皇居外苑のベンチにて労をねぎらい、乾杯ビール。

、そして恒例の赤羽呑み、、南北線は赤羽岩淵まで赴き、あのおでん屋さんに向かうも水曜日は定休のようで入れず。唐揚げの居酒屋に入り、道にせり出したテラス席にて皇居ジョグ呑み開始となる。

しかしお通しのから揚げ(というかフライドチキンサイズ)がデカすぎて驚愕する、これは吉祥寺や西東京ではありえないサイズでいる。番町サイズなるジャッキでハイボールやらビールを飲んでいたメンバーたちでいたが、日が陰ってくると寒く、氷で体は冷えきり、顔色が悪い。(自分はずっと熱燗をのんでいたので平気だったが、、)場所を変えて、Iという立ち飲み屋へ。ようやく暖房の効いた店内で、普段なら足にきているメンバーは立ち飲みを嫌がるが、冷え切ったから体でいるよりかは良いみたいで、ようやく笑顔が戻るのでいた、、、。

そんなこんなで赤羽解散、次回開催は年明けの1月後半、今年も皇居ジョグお疲れさまでした。

2025年11月23日日曜日

SEIKOの置時計「PYRAMIDTALK」

 相変わらず妙な流行性感冒、が職場で流行っているもので警戒しているのだが、一向に「感染した」感なく、毎朝パチリと目が覚めるのが憎らしいこと。

前にも書いたが健常というのも損である、馬車馬と以前W月さんに言われたことがあるが、その感で、、日々振り子のように職場を行き来している毎日でいる。過重積載のロバの如く、、、

と、先日は夜勤明けにSEIKOの「PYRAMIDTALK」(ピラミッドトーク)なる音声型の目覚まし時計を手に入れた。

この手は80年代には流行ったようで、、調べたならば2000年代には復刻でも出てるとか。ようは視覚で時間を確認するのでなく、聴覚で時間を確認する。

自分は真っ暗闇での就寝を好むので、イチイチ携帯、のあのケバケバし画面で中途覚醒、時間を確認するよりも目を閉じたまま、聴覚で確認するのが好都合なのだ。

このピラミッドトーク、なる聴覚に視点?を置いた目覚まし時計、このピラミッドの先端を振れれば、80年代の時報で流れていたような壮年のような女性の声で、時間を教えてくれる。「午前、、7時です」と。


このタドタドしさは、現代のAIの、生成できていない、ロボットなアナログ感があり、また80年代に幼少期を過ごした、自分には「ウグイス」嬢の感あり。

職場の夜勤当直時に、カバンに忍ばせ持ち運んでいたのだが、先端部に触れるたびに「午後○○時○○分です」と声が流れるもので(笑)恥ずかしくて仕方がなかったが、、この形態は持ち運ぶものでないものと知る。、、ピラミッド形状というのはそういう物なのでいる、、、。

しかしながら、トーキング目覚まし、としてはこれ以上進化が無く(まるでガスストーブの如き)完成されたフォルムにも復刻で発売された、それもうなずける。

、、やや!確かW月さんも、今年の1月に荻窪辺りに散歩した時に、街中の時計店で目覚まし時計を購入していたな、、。当初、「あんな物になぜ2500円近く投資できるんだろう」と、苦笑いしていた感があったが、、バブル世代であるし、ただただ懐かしかったのかもしれない。(今でいうデットストック、取説付き)

、スマホのブルーライトからの中途覚醒、からのメランコリーは中年の身体には「」ですな。このSEIKO「ピラミッドトーク」で、調子よい朝を迎えましょう、、。

だんだん時に沿えなくなるアチキにアーメン。

Jジャーエールのエールは、応援ではない。

 と、またも見つかった 虫歯治療 をしに、かかりつけの歯科がある目白辺りまで、クロスバイクで向かうのでいた、、。 先日の受診に帰り際に、、レントゲン撮ったらその影が反対側にあるとの事で、、年内に、いまある虫歯を治そうという、という、そういうアプローチ。 いかんせ、ビール代用として...