2023年9月30日土曜日

狂い咲き

湿度低かったりムワリと高湿度でいたりと、まったくもって快適なのか不快なのかわからない日が続いている。どうでもいいのだけど、短パンを履いての出勤も、もうそろそろオシマイになるのかと思うと、どことなく寂しいものがある9月。体調を崩し、欠勤する輩も多く、イコールウダウダ言いながら健常な自分は駆り出されるというのが常でいる。
疲弊したならば、仕事帰りにチョコ最中ジャンボ99円をかぶりつき、先日は納品したてのそれを、そんなカチンコチンになっていたかのか、知らずに思いッきりかぶりつき顎関節を痛める。まだミシャミシャするので、理学療法士にその顎の仕組みをとえば「私、顎関節苦手なんです」と。あまり関わりたくないようである(笑)

プランツをジミに育てている自分、いまは秋の植物旺盛でいるが、目指すは冬の、わが空間に植物のある環境でいて、コツコツと鉢に植え替えたり~土を足したりとそんなことばかりしているのが
映画「おくりびと」の、あの山崎努が演じる社長の部屋・空間は見事なものだった。外は雪ふる酒田の街。そんな景色が見渡せる鉄筋コンクリートのオフィスは七輪で暖かく、そして南洋植物に囲まれた山崎努が酒のつまみを、モックンにすすめるシーン。
あのような「空間」にしたいと思ったのは丁度1年前の10月ごろだったか。あれからハイビスカスだゴムの木だ、はたや和物な山椒の木、ムクゲ、芙蓉、とコツコツ集めている。
~そんな中でも、やはり昨年の秋に貰って来た「ゲッカビジン」、多肉植物の一種でいるが一夜限り、しかも夜にしか咲かない妖艶な花として愛好家も多い。

以前、祖父母は素焼きの鉢に、一番日当たりの良い室内でゲッカビジンの開花を楽しみにしており、当時はやったフジカラーの「映るんです」で、ピンボケの被写体、24枚すべて同じ角度からバシャ、ジ~~、バシャ、ジ~~(ジ~~とは手巻きでフィルムを巻いている音)が記憶に新しい。(といっても25年も前の話)なんで、そんな花なんぞ撮るのか、見せられた写真になんの感動も得なかったが、、、いまジジイになって、そうした動植物の活動にやたらと感動を覚えるもの。生きてるんじゃない、生かされてるんです、と。
21時ごろにはすでに薄っすら開花し始めており、観察するに日付けが変わる頃がマックス、狂い咲き!!(というと1971年の岡林信康の初期からの曲を順番に歌って行く=狂い咲き、と称した、日比谷野音の実況盤LPを思い出してしまうのは自分だけか)、匂いを嗅いでみると、、生臭い怪しい香り。この香りは蝙蝠を惹きつける香りと聞く、原産地であるメキシコでは、夜間に蝙蝠が蜜をなめに訪れるとか。そして先日は「中秋の名月」、ド真ん丸な満月でいた!「怪しい」花の由縁ここに!しばらく観察していたのだが、、なんともアンニュイな9月にふさわしい飾り花でいたのだった。


翌朝、ダラリとしおれた「ゲッカビジン」、、一晩限りとは誠でいた。実に怪しい魅惑でいた一晩(笑)、、蝙蝠を引き寄せるだけあるもの。しかしながら大好きな六角精児氏のNHK「呑み鉄本線・日本旅」を見ていたら、、六角さんが口ひげ生やしていて、なかなかダンディでいた。、、不思議な魅力のある男優さんでいる。、、そんなでこれから秋に入ります。

2023年9月24日日曜日

バーミヤンの思ひで

雨が何日か続いて、、そうして日を重ねると、一日また一日と秋めいてくる。やや残暑で疲弊したからだに慣れず、体調を崩す人も多いが、そうしたことにやや優位である?自分は、その人の分も働くシステム、、体が強いに越したことは無いのだと。そう言い聞かせて日々、動き廻り見上げた空、茶色い~いがぐりに澄んだ秋の空でいる。

先日は久しぶりに大手中華レストラン「バーミヤン」へ行く。実に数年ぶりの行脚でいたが、「バーミヤン」は個人的な回想には欠くことのできないものでいて、高校生の時分にはよく「たまり場」としてご厄介になった場所でいる。
いまでこそ町中華ありきでいたが、バブル崩壊直後からは「ハイソ」志向の流れから「〇〇大飯店」とか、高級中華のステイタスがまだまだ色濃く残る90年代前半において、中華料理ファミリーレストラン「バーミヤン」の登場は革新的でいた(そうした風潮から、抜け出せずにた親世代には助け船であった事には違いない)
、、なんでも好きなのを頼んでいいからな」、まさに御大臣としか受け取れることのできない「親父の言葉」に胸をときめかせた記憶がある。いかんせ父親世代はバブル絶頂を「高原でイタリアン」な流れでいる、それをどことなく流行りだからと堂々と家族で行ける、不況さなかの幸せ?父親世代には解放区であったに違いない。いつも物足りない高校生、一品が常でいたが「、、バーミヤンラーメンと、、チャーハンと、、ドリンクバイキング、、」この3つのオーダーで90年代半ばは1000円と+税が付くほどの範囲でいた。親と行くときには別皿で酢豚を頼んだものだが、、。いかんせ満足できるファミリー中華レストランの走りが「バーミヤン」なのでいる。(あれから20数年たった今でも安心するのは何故だろう、ロストジェネレーション)。

混み合う週末の店内、名を呼ばれ席に着く。おもむろにメニューをのぞき込む、、やはり目が行くのは「バーミヤンラーメン」か「チャーハン」!これは仕方ない、店もこれを長年の「定番・まずはこれ!」で押しでいる。あまり手の込んだ中華料理は、Dピザの何種盛りに等しくて~味がよくわからなく傾向がある、と思うのは自分だけか。けど、バーミヤンラーメンはな、、、。それで迷った末に選んだのが「五目そば」。
、、ふは!?これでは当時母親が迷った末に選んだ、やや盛られた中華そばの感あり(笑)そうして運ばれてきた五目そばを、、あの時の情景のように啜るのでいた。、、血を争えないこのチョイス、、おっとバーミヤンのウインドウを叩きつける雨、秋雨前線活発化。
あの頃、語り合ったドリンクバイキングの果てしなきループ、バーミヤンの席の一角、アフター25年後の自分は何を語りましょうか。


だんだん馬鹿になるのは、あの小坂忠の「ありがとう」の歌詞の様で、久しぶりのラーメン、五目麺のあのトロミが妙にしみて、弱弱しく泣くかな終末のミンミンゼミ。確かに尾を掴んだかな、終末の夏、バーミヤンの夕食。

2023年9月18日月曜日

蒐集奇譚?「猟盤日記」を手に入れる

ここのところ図書館にひたすらに通い詰めてる
お勉強でない、視聴覚資料集めなのでいるが、もっぱら近隣区内の図書館。Hさん曰く「視聴覚資料は文京区」、その格言がひしひしと心を打つもの。近隣区内の所蔵資料の格差は前回にも触れたが、区によって力の入れ具合が違う。文京区はわかる、大学も多く必然とそうした物が求められるのであろう。けど、大学や学校があるからと言ってそれほどでもないところも多く、その匙加減はよくわからないところ。
昨今は大瀧詠一のナイアガラ系や90年代前半のJPOPものばかり借りている。そうした音源の蒐集は、自分の性にあっていて、予約から図書館へ行き、受け取る過程は何の苦痛でもない、週3回は足しげなく図書館に行く。元来地味でマメな男でいることが根底にあるようだ。

それはそうと、今年の夏は長い。今日も虚脱もいいところ、も80日以上も真夏日だし、満喫も何もそろそろ落ち着いてほしい感あり。ことのほか炎天下ジョグの過労もあり、よせばいいのに中年男のほお骨にはうっすらシミのような形成もあり、気にしないが。松崎しげるみたいに、シミがあるのかないのか判らないぐらい焼いてやる、的な90sなノリで今に至るのだ。
来週からは急に秋めくという、こうして過ごした夏の日も「おもひで」となり、月日に埋もれてゆく空しさよ、、ああ、諸行無常。(写真はパパイヤの木、パパイヤは甘い果物のイメージだが、沖縄地方では野菜)

と、そんな西日がさす青梅街道は西荻モンガ堂。前回、店主より「岡林信康の世界」を勧められるもまだ値段を聞けずにいる。17歳の頃に高田馬場にあった中古レコード店「タイム」で買ったそれだが(当時の日記を見ると2500円もしている)、「くそくらえ節」「がいこつの唄」が収録されていたから買った記憶がある。まだ初CD化の走りでいた当時は、LPでないと聞けない楽曲もあった。まるでボブディランのアルバム「ハリケーン」のLP裏面のような、写真やイラストが無造作に張り付けられているようなデザインでいて、ロン毛・無精ひげの風貌。いわばベスト盤なのだが、、手元に置く価値があるか、、いまだに思案中。


そんな折、音楽系書籍の中から「猟盤日記」「進め!猟盤日記」の2冊が目に留まる。「これは、、、!?」この題字からして見覚えがあり、幻の名盤解放同盟か、、いや名前が違う、、!そうだ、「ロック画報」にコラムを載せていた人だ!と。マニアックなレコードを筆者しかわかりえぬ感覚と感性でもって、独自の「音」の探訪、蒐集、とでもいうべきか。以前、雑誌「レコードコレクターズ」のコラムを載せていたSPレコードコレクターである岡田氏、その徹底した全国行脚からレコード蒐集をまとめた書籍「SPレコード蒐集奇譚」を読み、楽しませてもらったが~この戸川氏の話もなかなかに面白く、まとめて読んでみたいと前々から思っていただけに、感動もひとしお。しかも2冊あるじゃない!(こうした続編の、片割れだけあると、続編が欲しくなり探すに苦労するから、押さえておいた方が良い)チャンスはいつも一度きり、給料日前でいるが購入したのでいた。西荻モンガ堂は、いつでも疲弊した自分の心のよりどころ、そしていつも帰りには青梅街道の西日が、シミ形成な自分の頬をさすんです。
秋の夜長は「猟盤日記」で横になりながら午前様。

2023年9月14日木曜日

ドノヴァンのミニアルバム

ジョグ後の最中アイスを食らうのが、最高のご褒美な昨今。

ぐちょぐちょに汗でぬれたウェアーであるきながら最中アイスを食らえば極楽。内側から涼しい、そして昼前の空腹時のジョグが多いから小腹にもピッタリなのである。、そんなことをしていたと、振り返る頃には12月前後、暖房をつけて寒さに慣れぬだろう今年の末か、年の始まりと年の終わりは真冬なのである。、、ああこのひと時よ、永遠であれ。

、と虫が鳴く21時台。前の話でも書いたがだいぶ夏が衰えた、がまだまだその余韻はある、余韻に浸る。先日は古書屋へ赴くと、EPレコードに何枚か新入荷のEP盤が入っていたもので、スコスコと漁る。と、「ドノヴァン」のミニアルバムである。


これは面白い、100円とは。このやや受け口の、中川五郎のような英国シンガーにハマったのは18歳の頃か。BOB DYLANのドキュメンタリー映画「ドント・ルック・バック」で楽屋に来た青年が、ドノヴァンだった。「君よりギターがうまいよ」「、、いやな奴だな」そんな会話から、互いに楽曲を披露しあうようなシーンだった気がする。いま思うにボブ・ディランより世代が一回りとまで行かないが、かなり若い。新進気鋭でいたのであろう、表情も少年のような雰囲気さえあったドノヴァンでいた。(ちなみに加藤和彦はトノバンと呼ばれていたとか)親交もあったようで互いにアシッド・フオークでいる。「Mello Yellow」は97年の夏のテーマ曲(個人的に)と言っても過言でない、それとボブ・ディランの「ブルーにこんがらがって」、あのいまは衰退してしまったバブル期の避暑地「清里」のバイト先のペンションで掃除時にかけてもらったのが、バックグラウンドなのだが、、そうした選曲に自ら持って行ったのも父親からの影響大。カウンティカルチャーな親父を持つと、ちらちらとそうした背景が自然に刷り込まれてゆくの、不思議と共に遺伝子のなせる業、とでもいうしかない。

帰宅し針を落とすも、さすが100円でいてカビだらけ!この題字のサイケ字体がたまらないところだが、久々に「Mello Yellow」「Jennifer Juniper」を聴くと、、ああ97年頃の清里の、ミルクポットの盛夏がよみがえる。あれから何年たったかはどうでもいいけれども、そうした意味では永遠である。時折、こうした物に出会えるから、休日の「放浪」は辞めれないもので、、小銭を握りしめていつものルートを廻る40代の半ば、秋口。



翌日、枯れたモロコシの穂を眺めたならば、朝焼け。

2023年9月9日土曜日

時代を超えた置き土産?「カセットパンチ」

先日は、急遽幼少時代からの先輩Sが来宅。夜でいたが数時間趣味趣向の話で大いに盛り上がったのでいた。話しが尽きることなく、20代初頭からの小話、音信が途絶えた時期、からの再会、と実に面白く、時代を超え巧みに今、こうして語らっていると思うと、不思議でならなかったのだ。地元が一緒、小学校高校が一緒、趣味が一緒、と3拍子揃っているのもあまりないもの。気がつけば午前様でいて、明日のためになくなく解散した至り。
現実に戻る、いつもの景色にいつもの心情だが、台風の高湿度。はるか遠くからは黒く低い雲が、じわじわと近寄ってくる、大抵所沢方面である。、ほれみろと、ぽつりぽつりがザーザーぶりとなるのは必須で、クロスバイクたち漕ぎで向かう日々が続いている。
そんな道中、久しぶりにパンドラの箱、そこには無造作に不用品が詰め込まれ、「ご自由にどうぞ」とある箱と遭遇する。ん、確かに不要となるだろう、そして役目を終えた、役目のない品物が所狭しと詰め込まれている。額縁、フォーク類、栓抜き、雨合羽、、、どれもくたびれているのだが、それすらも捨てれないのは世代間か、リサイクル意識の高まりか。大抵の人はスルーするところだが、この悪天候時でもついつい足を止めてしまう自分、そう、時折面白いものも混ざっていることがあり、嫌いでない。

と、今回見つけてきたのはこの「カセットパンチ」なる当時1000円もする、不思議なカセットテープである。正直、再生する気にもならないそれだが、、大手ファ三レスの「G」のシールが貼ってある。ファ三レスのあのレジ横の購買は実に不思議なエリアでいて、会計まちの際になんか、ついつい見てしまうもの。子供を誘惑するような品々も多く、見ていれば駄々こね泣き叫ぶ子供も多い。そんな中に売られていたのだろう「カセットパンチ」、裏を見れば1995年とある。


90年代前半~半ばには「うんこのにおいがする香水」とかスケベな商品を「ジョーク商品」と称して、町はずれのディスカウントショップでよく売られていた。ディスカウントショップは2000年代には大手ディスカウント「D」に淘汰されてしまい、町はずれのそうした店は続々と消えていったが、、バブルはじけて最後の「遊び心」だったのかもわからない。「それをしようとも思わない」といった趣旨の物が多かった。聴こうとは思わなくも、トマソンとかしたそれに親近感を覚えて、貰って来たのでいた。

ま、それはそうと先輩Sと一緒に採集したノコギリクワガタはいまだ健在でいて、ピンピンしている。もう2か月になるが、けんか相手がいないのと毎日面倒見ているのが功を奏したか、今でもピンピンしていると、うれしくなるもの。2023年夏の置き土産、年を越せないクワガタと、今を一緒に生きている自分。人間より年を取るのが早い「犬」のその命の「」の違いに似ている。仕事もあり、今年の採集は1度きりしか行けなかった。本業の蝶も旅行がてらにちょっと採集したのみで、なかなかに時間が割けない。もう「あれだけ採集したのだからいいだろう」そんな天の声がしてくるような、しないような。
日々経過してゆくのが20代の倍以上とは誰が言ったことか。この瞬間も過去となる。

2023年9月7日木曜日

針箱のある暮らし

21時台には虫の音が盛んでいて、高田渡の楽曲の「秋の夜の会話」を思い出す。「♪寒いね、寒いね、ああ、寒いね」と始まるあの歌だが、もっと冬に近い晩秋の時期だろう、草野新平。草野新平が居酒屋での眼鏡をかけて、着流し姿で呑んでいる姿と、吉祥寺の高田渡がリンクする。


先日の巨大なゴーヤは調理してもらい、巨大なゴーヤの肉詰めとして提供され2日間かけて食べた。20代の頃は、あの苦みがダメでダメでたまらず、よけて肉や豆腐ばかり食べていたのだが、これも加齢のなせる業か、ゴーヤばかり率先して食べるから、昨今では他の具材が残り何の料理だかわからなくなる始末。今年はウリ系がやられた印象を受けたが(酷暑のため)、この巨大ゴーヤが今年の締めくくりとなりそうである。

外気30度をきる、クロスバイク通勤もさほど汗ばむことなくなったが、台風のせいもあり、かなりの高湿度である。そんな帰りに杉並区のリサイクルセンサーの、分厚い鉄の自動ドアをくぐる。衣料品全般、オールドアパレル他、目ぼしいものは見当たらなくも、和裁の針箱を見つける。

実は自分、そうした針仕事は嫌いでなく、初めはジャケットのエンブレムやワッペン貼りを母親から教わったのが始まり。特にワッペンなんかは裏にノリが付いているのだが~洗濯しているうちに剝がれてくるもので、、がっちり綿の糸で張り付けるのを得意とする。(といってもそんなしょっちゅう、行うものでもない)で、針や木綿糸・絹糸を集めているとそれを納めるソーイングボックス(針箱)が必要となる。工具箱に糸を入れるというのも、、やや難あり。で、見つけたのがこの日光彫風な和裁の針箱


針山が付いており、くけ台(和裁をする際に、布を引っ張りながら縫って行ける)も付属。針箱の役目だけでなく、小さな作業台として成り立ってるのがじつにおもしろい。かつては実家・母屋にもあった印象をうける「針箱」でいるが、、洋裁すらできる人が限られる昨今、和裁においてはほとんど出来る人は皆無である。和裁を習っていた方も、すでに高齢、何かの機会に頼んだことがあるが、「目が見えないから」「指先がおぼつかないから」と体よく断られてしまうもの。着物全般、和装には興味ありいずれ男「和裁」を習いたいと思っている昨今である。


この針箱を小脇に抱えて帰路に就く、不思議な小箱を抱えた中年男性、其処にいる。帰宅したのちに、早速集めていた糸や針を収納してみると、、「渋いぜ!」。この傍らに着物を着たおばあちゃん、畳部屋ならば完璧である。それらを見つめて、まんじりともせず、、夕刻。




2023年9月1日金曜日

値下げの「三尺バナナ」

本日より9月に突入、、

あっという間に冬であるから、せめて夏の後ろ姿を捉えたくなるなるような、「面の皮が厚く」なってきた40代のメランコリーなのだ。空いた時間を、横になっている事は性分的にできず、一路埼玉県は新座あたりまでクロスバイクにまたがり行くこととする。確かに暑いんだが、弱まった2023年の夏


ひたすらに新座あたりへ向かい~関越自動車道のあの防音の、ドーム状に収まった合わせて4車線の脇、滑るようにこぎ行く。あの景色は旅行時しか見ない簡素な高速道路上、それを並走できるのはどこかに行くような、そんな錯覚になるもの。調子乗ってこぎ進めていたならば、埼玉県は新座市、耕作地が広がる景色となる。



「新座の新鮮野菜」とのぼりがでているが、果たして何の野菜をさすかがわからない。が、無人販売所、こ、これは!!化け物のようなニガウリである。1ケ100円、これはでかい!我が家のニガウリは鼻糞のようである(笑)今年はウリ系がどことなく活気無かった印象、暑す過ぎたのか、、、スイカもそこまで安くなかった。毎日水をやっているにも関わらず、四角豆・ゴーヤと生育が悪く、今になって活気が出てきたのは、やはり暑すぎたからであろう。こんなにでかいにも関わらず、ついつい2ケ購入してしまったのだ。

うはうはで新座を彷徨うも、どうやら道に迷ったようだ。混んでいる国道を探しようやく見慣れた景色へとたどる新座市片山あたり。かつてそうであったろう、東京郊外の景色が懐かしい。やや戻り道、今回の目的地である「
コメリ」へとたどる。

実は6月あたりから何回か訪問している自分、店頭で売られていた「三尺バナナ」なるバナナの苗を狙っていた。以前、自分は同じ仲間である「芭蕉」を育てていたのだが、冬に枯らしてしまい悔しい思いをしたことがった。6月にこの「三尺バナナ」(うまく育てれば実もなるそうな)を見つけて、欲しかったのだが3980円はちと高い。生き物であるし、そのリスクはあるのだが何とか値が下がらないか、、と夏の間通い続けていた。で、粘着質な自分は本日9月1日、値段が下がってるかもわからない!そんな期待を胸にコメリまでやってきたのだ、、。


あ!!1500円になっている(笑)
努力が実った瞬間である。6月に見た時と比べ、背丈が若干帯びた印象、この小さな鉢で成長していたんだと思うと涙が出るもの。もう1鉢あったが、同じように値下げを待っていた人に買われていったに違いない、、。どちらにせよ、今日から「三尺バナナ」は私の物である!



「車で来ればよかった、、」鉢も買ったものだから、クロスバイクではやや無理がありフラフラ、、。汗だくで抱えながら帰宅したのでいた。前回の「芭蕉」は冬を超えるのが厳しかったので、「鉢」でそして真冬は室内で生育を楽しみたいと。真冬でも「トロピカル」な室内を目指してコツコツと南洋植物を蒐集中。この夏、一通り欲しかった植物たちをコンプリートしたのでいた。、、そう私の夏は終わらない

Jジャーエールのエールは、応援ではない。

 と、またも見つかった 虫歯治療 をしに、かかりつけの歯科がある目白辺りまで、クロスバイクで向かうのでいた、、。 先日の受診に帰り際に、、レントゲン撮ったらその影が反対側にあるとの事で、、年内に、いまある虫歯を治そうという、という、そういうアプローチ。 いかんせ、ビール代用として...